■おすすめファンタジー

〜古典ファンタジーのススメ〜


このページでは、管理人のこよなく愛するファンタジー作品を紹介します。 ファンタジーの定義はあいまいなのですが、広義のファンタジーとして認識されているもので、長いあいだ読み継がれてきたものをリストアップしてみました。
あえて紹介する必要もないほど有名な物語ばかりですが、古典を読み継ぐことの大切さを忘れないでいたい、との気持ちを込めて。



↓著者名(ファミリーネーム)のあいうえお順です。
タイトルをクリックすると紹介に飛びます。


●ミヒャエル・エンデ

●ルイス・キャロル
●ケネス・グレーアム
●佐藤さとる
●ローズマリー・サトクリフ

●ロード・ダンセイニ
●ウォルター・デ・ラ・メア
●J.R.R.トールキン
●フィリパ・ピアス
●ジャック・フィニイ
●フーケー
●オトフリート・プロイスラー

●ジョージ・マクドナルド


●フィオナ・マクラウド
●A.A.ミルン

●ウィリアム・モリス


●トーベ・ヤンソン
●C.S.ルイス
●アーシュラ・K・ル=グウィン



●ミヒャエル・エンデ


「モモ」

時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間に
とりかえしてくれた女の子のふしぎな物語
ミヒャエル・エンデ 作/大島かおり 訳(岩波書店)
モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)
大きな都会のはずれ、円形劇場の廃墟に住みついた、ちいさな女の子モモ。 相手の話をじっと聞くことによって、話し手に自分自身を思い出させる、ふしぎな力をもったモモは、 やがて街の人々に愛され、たくさんの友だちに囲まれるようになります。 ところがモモの住む街に、いつの頃からか灰色の男たちが現れるようになり、モモと友だちの楽しい日々に、不吉な影がさし始めます。 灰色の男たちは、人間から「時間」を盗む、時間どろぼうだったのです…。

ミヒャエル・エンデの有名な物語。児童文学の傑作です。
主人公モモのふしぎな魅力。「観光ガイドのジジ」「道路掃除夫ベッポ」など、登場人物の生き生きとした存在感。 そこかしこに散りばめられた詩的幻想の美しさ。時間どろぼうが現れてからの、スリリングな物語の展開。「時間」という主題の哲学的な深遠さ――。
多様な要素が童話の形式の中にしっくりとおさまったこの物語は、読者に、世界と人生の真実を教えてくれます。

→Amazon「モモ

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「はてしない物語」

ミヒャエル・エンデ 作/上田真而子 佐藤真理子 訳(岩波書店)
はてしない物語
いじめられっ子のバスチアン。クラスの仲間に追いかけられて、コレアンダー氏の古本屋に逃げ込みます。 そこで見つけたのが、あかがね色の絹ばりの本「はてしない物語」。 その一冊につよくひかれたバスチアンは、思わず店主の目を盗んで本を持ち出し、家にも帰れず、学校の物置に隠れて、物語を読み始めます。 物語の国ファンタージェンは、いま滅亡の危機にさらされていました…。

「読んでいる本のなかへ入ってしまう物語」、自らも無類の本好きであったに違いないエンデの着想から生まれた、ファンタジーの傑作です。
ファンタジー好きの読者であれば、本の中の世界に行ってみたいと、誰でも一度は思ったことがあるはず。 この物語は、誰もが抱く望みを叶えてくれるばかりか、想像の世界に安易に溺れてしまうことの代償をも、徹底的に描き出します。 ファンタージェンの中に入ってしまったバスチアンは、こちらの世界に戻ってくるために、辛く苦しい旅をすることになります。 そしてその旅で、毎日の生活が灰色にしか見えていなかった彼は、生きることのほんとうの悦びを見出すのです。
ファンタジーを読むのは、この世界を、もう一度目を開いてよく見るためなのだと、この本が実感させてくれます。

→Amazon「はてしない物語

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●佐藤さとる


コロボックル物語(1) だれも知らない小さな国 (児童文学創作シリーズ)

「コロボックル物語」

@「だれも知らない小さな国」
A「豆つぶほどの小さないぬ」
B「星からおちた小さな人」
C「ふしぎな目をした男の子」
D「小さな国のつづきの話」
別巻「小さな人のむかしの話」
「コロボックル童話集」

佐藤さとる 著(講談社)
遠い昔から、だれにも知られず暮らしてきた、小さな人たち。
主人公「ぼく」が、この小さな人=コロボックルに出会って友情を育み、彼らが住むふるさとの小山を守ろうとするお話が「だれも知らない小さな国」です。 「コロボックル物語」シリーズは、小さな国のその後の発展、コロボックルたちのさまざまな出会いや冒険を描いています。

わたしは小学校の頃、このシリーズを学校の図書室で借りてきて、読みふけったものでした。 サンタクロースは信じていなかったけれど、コロボックルの存在は信じていたし、いまも信じているのです。 この物語は、そう信じさせてくれるほど、コロボックルの暮らしぶりを、細部までリアルに描き出しています。 ことに第A巻「豆つぶほどの小さな犬」では、コロボックルにとってはじめての新聞を作るお話を軸に、 コロボックル小国が、人間の友だち”せいたかさん”のもたらした文明の知識によって、 国として発展していく様子がつぶさに語られています。村上勉氏の挿絵も、小さな世界を丁寧に描いて魅力的です。

「だれも知らない小さな国」とは、幼い心に育まれる、「自分だけの世界」のこと。 この物語は、そういった「自分だけの世界」を、心の中に持ち続けることの大切さを、子どもにも大人にも教えてくれるのです。

→Amazon「だれも知らない小さな国」 「豆つぶほどの小さないぬ
星からおちた小さな人」 「ふしぎな目をした男の子」 「小さな国のつづきの話
小さな人のむかしの話」 「コロボックル童話集」 「コロボックル童話集 全6巻

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●ローズマリー・サトクリフ


「アーサー王と円卓の騎士」

サトクリフ・オリジナル
ローズマリ・サトクリフ 著/山本史郎 訳(原書房)
アーサー王と円卓の騎士―サトクリフ・オリジナル
有名なアーサー王にまつわる数々の伝説を、トマス・マロリー『アーサー王の死』等をもとに、 サトクリフが新たに語りなおした、現代の「アーサー王物語」。

若き日のマーリンの物語から始まり、アーサー王の誕生、少年アーサーが石にささった剣をひきぬき王の証をする話、 アーサー王の戴冠式、 湖の精に聖剣エクスカリバーを授かる話、そしてキャメロットに集まった、きら星のごとき円卓の騎士たちの冒険譚…。
このファンタジーのセオリーの中に、アーサー王と王妃グウィネヴィア、サー・ランスロットの三角関係が徐々に展開していく様子が巧みに挿入され、 読者の興味をひきつけてやまない物語が出来上がっています。
サトクリフ作品は、登場人物への感情移入を容易にすることによって、物語の品格を損ねることなく、 古典を現代に生き生きと蘇らせており、とても読みやすく感じます。

→読書日記に書いた、この本の感想はこちら

→Amazon「アーサー王と円卓の騎士―サトクリフ・オリジナル

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「トリスタンとイズー」

ローズマリー・サトクリフ 著/井辻朱美 訳(沖積舎)
トリスタンとイズー
妃を亡くした父王により、悲しみを意味する名を与えられたロシアンの王子トリスタン。成長し、亡き母の故国コーンウォールを訪れ、伯父であるマルク王に迎えられます。
マルク王は、剣や槍の技にすぐれた勇者であり、誰よりも美しく竪琴を奏でるトリスタンを愛し、彼を後継にと望みますが、それを妬む諸侯もいました。 諸侯は王に結婚して子をもうけるよう進言、王はなんとか言い逃れようと、二羽の燕が落としていった赤い髪の持ち主と結婚すると告げます。
トリスタンは、赤い髪の持ち主の女性をさがして連れてくるという、困難な旅に自ら赴き、竜退治という冒険の果てに、ついに目的の人物を見つけます。 赤い髪の持ち主はアイルランドの王女イズー。しかしトリスタンとイズーは、マルク王のもとに帰り着くまえに、お互いに愛しあうように。
何も知らないマルク王はイズーを妃とし、深く愛します。トリスタンとイズーは王に隠れて逢瀬を重ねますが、やがて二人の関係が露見して…。

『アーサー王と円卓の騎士』のなかの一章として語られるトリスタン物語。ワーグナーのオペラとしても知られる題材を、サトクリフが語りなおした一冊。
トリスタン物語の原型は、ケルト神話中の「ディアルミッドとグラーニャ」「ディアドレとウスナの息子たち」とされています。サトクリフはこの起源にたちかえり、中世風のロマンティックな恋物語を、ケルト伝説を思い起こさせる激しく暗く、なまなましい愛の物語として語りなおしています。
イズーとマルク王のために用意された愛の薬を、間違えてイズーとトリスタンが飲んでしまったために、二人が愛しあうようになったという、中世以来のトリスタン物語の媚薬のモチーフを、サトクリフは削除しました。
代わりにサトクリフの物語では、トリスタンがイズーを抱き上げて船から砂浜へとおろしたとき、二人が互いの身体に初めて触れ、「イズーの中の何かがトリスタンの中に、トリスタンの中の何かがイズーの中に入りこんで、命あるかぎりそれらをとりもどすことはできなくなった」と書かれています。
媚薬のモチーフについての解釈はいろいろあるでしょうが、原型とされるケルト神話に媚薬は登場しません。また現代の読者が読んだとき、サトクリフの物語のほうが、よりリアリティがあると感じるのではないでしょうか。
サトクリフの物語からは、中世の宮廷生活の華やかさはあまり感じられず、むしろケルトの伝説のにおいがたちこめています。
「ダグダ神が竪琴を弾いてひとびとを眠りこませて以来、かほど美しい音楽がアイルランドに響いたことはない」「外海は灰色に荒れ狂い、ひとが海神マナナンの馬のたてがみと呼ぶ、白い波頭が点々と砕けていた」などの描写が、ケルトの神々を思い起こさせますし、 イズーがトリスタンに、誰かがイズーの名において頼むことがあれば、命ある限りそれを果たすよう誓わせたのも、ケルトの「誓約(ゲッシュ、複数はゲッサ)」(*)というならわしによるものです。

サトクリフはケルトの源泉にたちかえってこの物語を語りなおしたと言えますが、終盤に登場する「白き手のイズー」のエピソードは削除されず、物語をよりリアルに感じさせてくれます。
マルク王の宮廷を追われたトリスタンは、遠くブリタニーの地で、愛するイズーと同じ名の「白き手のイズー」を妻とします。しかし瀕死の重傷を負ったとき、癒しの技に長けた愛するイズーを呼びにやり、彼女が船でやってくるのを待ちます。
イズーが乗っていれば船の帆は白、乗っていなければ黒、という合図をとりきめているのを知った「白き手のイズー」は、白い帆をかかげた船がくるのを知ったとき、夫に帆は黒だと告げてしまいます。イズーが来るという希望だけで命をつなぎとめていたトリスタンは、それを聞いて息をひきとるのですが、「白き手のイズー」の心に湧き上がった嫉妬の炎を誰が責められるでしょう。
やがてトリスタンの亡骸を間に相対したふたりのイズー。イズーに「わたくしのほうが、このかたを愛していました」と言われて、「白き手のイズー」は「それは果たしてどうでございましょう」「けれど、たしかに、このかたはわたくしよりも、あなたのほうをはるかに愛しておりました」と答えます。 このような場面は、ケルト神話に起源をもつ古い物語であっても、現代の読者も息詰まるような緊張感に満ちています。
登場人物に感情移入して読むことに慣れている現代の読者として、わたしはアーサー王物語におけるランスロットに愛されなかったエレイン姫とならんで、このトリスタンに愛されなかった「白き手のイズー」のほうに、より共感してしまうのでした。

*「誓約(ゲッシュ、複数はゲッサ)」
ケルトの騎士に特有の禁制、厳守すべき誓い。騎士たちは各々、自分の命に代えても守る誓約を王や貴族の前で誓い、その誓約を破ると生涯不名誉の烙印を押され、不幸や不運、死さえも招くと信じられていた。
(井村君江 著『ケルトの神話―女神と英雄と妖精と』(ちくま文庫)を参照しました)

→「ディアドレとウスナの息子たち」(=デアドラ伝説)についてはこちら

→Amazon「トリスタンとイズー

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●ジャック・フィニイ


「ゲイルズバーグの春を愛す」

ジャック・フィニイ 著/福島 正実 訳(ハヤカワ文庫)
ゲイルズバーグの春を愛す  ハヤカワ文庫 FT 26
大人のための、ノスタルジックなファンタジー短篇集。
古道具屋で買った机の中にしまいこまれていた手紙からはじまる、 時を越えたラブ・ロマンス「愛の手紙」は、とりわけ評価が高いようです。 ほか、無名の作家が死後に幽霊となって現れる「おい、こっちをむけ!」や、 死刑囚が刑の執行を前に、 独房の壁に不思議な絵を描きはじめる「独房ファンタジア」なども、心打たれるものがありました。

「おい、こっちをむけ!」は、無名のまま孤独に死んでいった作家が、なんとか自分の存在を世に知らしめようと、 幽霊となって現れ、 作品を書き残そうとしたものの果たせず、せめて自らの名を立派な墓石に刻もうとする、なんとも切ない話。 結局、人間がこの世に残せる、生きた証などというものは、ささやかなものでしかないのだなあと、改めて感じました。
でも、ささやかに生きる姿こそ、美しく愛しいとも思うのです。

→Amazon「ゲイルズバーグの春を愛す ハヤカワ文庫 FT 26

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●フーケー


「水妖記(ウンディーネ)」

フーケー 作/柴田 治三郎 訳(岩波文庫)
水妖記―ウンディーネ (岩波文庫 赤 415-1)
人里はなれた湖につきでた岬に、年とった漁師の夫婦が暮らしていました。老夫婦にはウンディーネという美しい娘がありました。実の子を亡くした漁師夫婦は、親のないウンディーネを拾って育てたのでした。
あるときひとりの若い騎士が、漁師の小屋に宿を求めてやってきます。騎士フルトブラントは、自由奔放で生き生きと美しいウンディーネにすっかり魅せられ、彼女の素姓に疑念を抱きながらも妻に迎えることに。
実はウンディーネは、水界の王の娘、魂をもたない水の精だったのです。ウンディーネが魂を得る道は、人間の男に愛され妻になることだけ。ウンディーネはフルトブラントに愛されたことで、魂を持ったやさしく可憐な女性となりますが、騎士の心は、すぐにウンディーネから離れてしまいました…。

ドイツ後期ロマン派の作家フーケーによる名作。巻末の解説によれば、ドイツロマン派の時代は「自然の生命、自然の魔術をよろこび、民間の伝承を重んじた時代」だったとのこと。この『水妖記(ウンディーネ)』は、民間伝承に材をとった、メルヒェンともファンタジーとも呼ぶにふさわしい幻想的な物語です。
(ここからはネタバレになってしまいますが、)あらすじは、アンデルセンの『人魚姫』に似たところがあります。魂を得たいと願う水の精。騎士をひたすらに愛するウンディーネ。しかし騎士はウンディーネを裏切って人間の娘ベルタルダに惹かれていく。ウンディーネは騎士のもとを去り、水底の世界に帰っていく…。
しかしこれは子どものための童話ではないので、人物に関しては醜い部分も描かれていて、騎士フルトブラントは愚かで自分勝手な男の典型だし、ベルタルダは意地悪で心根のまずしい女でしかありません(ベルタルダはウンディーネと取り替えられた漁師夫婦の実の子なのです)。ウンディーネだけが姿も心も美しい存在として描かれています。
結末も『人魚姫』とは違い、ウンディーネは裏切った騎士を、水の精の掟にしたがってその手にかけるのです!
ウンディーネの育ての親である漁師の爺さんが言います。「フルトブラントの亡くなったことは、だれが悲しいといって、自分で手を下さなければならなかったウンディーネより悲しい者はないだろう。可哀そうにも棄てられたあのウンディーネより」ほんとうにウンディーネの運命はなんと痛ましいことでしょう。「あの方を涙で殺しました」ウンディーネの言い残した言葉が悲しくも美しいです。

この作品は、小説として読んでは人物描写にリアリティがないとも言えるし、大人のためのメルヒェンとして、ウンディーネの悲しみも含め、物語の美しさを楽しむのが良いのではと思います。
「自然の生命」をよろこんだロマン派の作品、みずみずしい森や湖や川、華麗な城、水底の水晶宮などを背景にした、古い絵のように美しい場面がいくつもあるのですから。
またウンディーネの伯父、水の精キューレボルンがたびたび登場して、フルトブラントらを苦しめもするのですが、このキューレボルンの変化する様子などは恐ろしくもあり、美しさと表裏一体となった自然の脅威も感じられます。 キューレボルンの様子など映像化すると面白いだろうなと思います(近年の映画化されたファンタジー作品などですでに見たような…)。
この物語にはアーサー・ラッカムが絵を寄せていて、新書館版のラッカム挿絵のウンディーネは絶版になってはいるけれども、ラッカムの筆になるウンディーネはどんなに美しいものだろうと想像するのも楽しかったです。 ことにウンディーネが馬の背にのり、両脇に司祭と騎士とを従えて森を行く光景など、心に描くだけでも美しくよい気持ちになりました。

→「アンデルセン童話の世界」はこちら
→アーサー・ラッカムの紹介はこちら

→Amazon「水妖記―ウンディーネ (岩波文庫 赤 415-1)

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●ジョージ・マクドナルド


「リリス」

ジョージ・マクドナルド 著/荒俣 宏 訳(ちくま文庫)
リリス (ちくま文庫)
先祖代々ひきついできた、古いふるい屋敷の中の、これまた古いふるい図書室。 印刷技術の発明されるまえから集められてきた、古今の書物がたくさん書架におさまったこの図書室で、 主人公のヴェイン青年は、ふしぎな司書レーヴン氏に出会います。 司書に導かれ、鏡のむこうの世界に足を踏み入れると、そこは…。
蝶に変身するみみず、小鳥に変わる蛇、蛍のように光を放ちながら飛びまわる本。緑の蔦のからまる広間で踊る骸骨の群れ、広大な地下室の寝台で目醒めのときを待つ死人たち。 そして、こちらの世界とあちらの世界の間に、楔のように挟まった一冊の本――

幻想文学の巨匠ジョージ・マクドナルドの、最高傑作といわれる珠玉のファンタジー。難解との書評も多く見かけますが、この物語を読むコツは、理解しようと思わないこと。
訳者の荒俣 宏氏も、「あとがき」でこう述べています。
「この作品を、めくるめく色彩に満たされた音楽として味わうことが、まず重要だと思います」と。
わたしたち読者は、尽きせぬイメージの奔流に、ただただ眩惑されていれば良いのです。
ほら、あなたがいま無造作に本棚につっこんだ、一冊の本。
こちらから見えない半分は、あちらの世界の本棚に、突き出ているかもしれませんよ…(^^)

さて、この本には原書にはなかった挿絵が付されています。この作品のために描かれたものではないのですが、エリナー・ヴェレ・ボイルの美しい木版画を味わうことができます。古書蒐集家としても知られる荒俣氏の訳された文庫本には、名だたる挿絵画家の作品が収録されていることが多いので、ちょこっと載っている挿絵も見逃せません。挿絵本好きな方にも、見逃せない一冊ではないでしょうか。

→読書日記に書いた、この本の感想はこちら

→Amazon「リリス (ちくま文庫)

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「北風のうしろの国」

ジョージ・マクドナルド 著/中村妙子 訳(ハヤカワ文庫)
北風のうしろの国 (ハヤカワ文庫 FT ハヤカワ名作セレクション)
舞台は19世紀のロンドン。御者の息子ダイアモンドは、馬車小屋の2階の干し草置き場で寝起きしていました。
風のつよいある晩、彼は、うすい板壁の節穴の向こうから、自分に話しかけてくる声を耳にします。声の主は「北風」。
長い黒髪の美しい女性の姿であらわれた北風に導かれ、ダイアモンドはいくつものふしぎな冒険をすることに。 ロンドンの街を北風の背から見下ろしたり、大聖堂の窓に描かれた聖人たちが喋りだすのを目の当たりにしたり…。
そしてダイアモンドは、とうとう北風を通り抜け、「北風のうしろの国」を訪れます。そこは美しい平安の地――
やがて北風のこちら側に帰ってきたダイアモンドは、澄んだまなざしで、人を、世界を、真実を見つめるようになるのです。

訳者あとがきによると、この作品は1868年、《Good Words for the Young》誌に子どもの読み物の連載を求められたマクドナルドが、 2年にわたって執筆したものとのこと。
想像世界の美しさと、ロンドンの貧しい家庭の現実、はっとさせられる珠玉の言葉たちが、子どもに語りかける調子で書かれており、とても読みやすく感じられます。
はたして「北風のうしろの国」とは、いったい何処のことなのか? それは、読んで確かめてみてください。

本文中の挿画は、ラファエル前派の画家アーサー・ヒューズの手になるもの。マクドナルドの幻想世界にぴったりの、クラシカルで美しいイラストです。

→「ウィキペディア」でアーサー・ヒューズについて確認!
→読書日記に書いた、この本の感想はこちら

→Amazon「北風のうしろの国 (ハヤカワ文庫 FT ハヤカワ名作セレクション)

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「かるいお姫さま」

マクドナルド 作/脇 明子 訳(岩波少年文庫)
かるいお姫さま (岩波少年文庫 (133))
表題作「かるいお姫さま」は、『ねむりひめ』などの昔話でおなじみの筋書きを下敷きにした、親しみやすい物語。
洗礼式に、意地悪な魔女に呪いをかけられ、<重さ>を失ってしまったお姫さま。いつも身体がふわふわ浮いてしまい、 心にさえも重しがなく、ほんとうの喜びやほんとうの悲しみを感じることもないお姫さまでしたが、 宮殿のそばの湖で泳いでいるときだけは、<重さ>を取り戻すことができました。
ところが意地悪な魔女は、お姫さまが湖で楽しんでいることを知ると、その湖さえも干上がらせてしまおうと企みます。
湖の水が減っていくとともに、次第に弱っていくお姫さまでしたが…。

併録の「昼の少年と夜の少女」は、「かるいお姫さま」よりずっとあとに発表された作品で、マクドナルド独特のキリスト教的世界観が色濃くあらわれています。
魔女ワトーは、「あけぼの」という意味の名をもつアウロラの息子を、フォトジェン(光の子)と名づけ、闇から遠ざけ昼しか知らない子として育てます。 また「宵の明星」という意味の名をもつヴェスパーの娘を、ニュクテリス(夜の子)と名づけ、ランプの明かり以外の光を絶対に見せず、夜しか知らない子として育てました。
あるとき地震がきっかけで、ニュクテリスは閉じ込められていた窓のない墓所から抜け出し、外の世界へ出てゆきます。そして夜闇をおそれるフォトジェンと出会い…。

『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロル等とともに、近代イギリス児童文学の基礎を築いたマクドナルドが、おそらく純粋に子ども向けに書いたファンタジー作品。
子どもたちはもちろん、大人でもマクドナルド初心者、ファンタジー初心者にとって、わかりやすく、入りやすい作品になっていると思います。

本文中の挿画は、ラファエル前派の画家アーサー・ヒューズの手になるもので、マクドナルド作品にぴったりの味わいです(^-^)

→「ウィキペディア」でアーサー・ヒューズについて確認!
→読書日記に書いた、この本の感想はこちら

→Amazon「かるいお姫さま (岩波少年文庫 (133))

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●ウィリアム・モリス


「世界のはての泉 上・下」

ウィリアム・モリス・コレクション
ウィリアム・モリス 著/川端康雄、兼松誠一 訳(晶文社)
世界のはての泉 (上) (ウィリアム・モリス・コレクション) 世界のはての泉 (下) (ウィリアム・モリス・コレクション)
小国アプミーズの若き王子ラルフは、故郷を退屈に思い、ある日冒険の旅に出ます。 旅の道すがら出会った美しい女王との恋と別離、ふるさとから遠くはなれた街や森で陥る危難。 やがてラルフは運命に導かれるようにして、その水を飲むものに若さと健康と幸福をもたらすと言われる、 <世界のはての泉>を目指します…。

この物語の美点は、ラルフ王子が泉の水を飲んだところで終わりになるのではなく、帰郷の旅についても丁寧に描かれているところ。 往路では若く無邪気で、未熟だったラルフが、復路においてすばらしい成長ぶりを示し、多くの人々に平和と友情をもたらしていく様子は、 読者に安心と慰め、癒しを与えずにはおきません。 また文体の明確で堅固なことは、<物語(ロマンス)>を語る上でのお手本とも言えるのではないでしょうか。
トールキンやルイスが多大な影響を受けた、モリスの最高傑作。まさに現代ファンタジーの源流と呼ぶべき作品です。

ちなみに、ケルムスコット・プレス版のバーン=ジョーンズの挿絵が、上巻に2葉と下巻に2葉、収録されているのも見逃せません。

→読書日記に書いた、この本の感想はこちら

→Amazon「世界のはての泉 (上) (ウィリアム・モリス・コレクション)
世界のはての泉 (下) (ウィリアム・モリス・コレクション)

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「世界のかなたの森」

ウィリアム・モリス・コレクション
ウィリアム・モリス 著/小野二郎 訳(晶文社)
世界のかなたの森 (ウィリアム・モリス・コレクション)
ラングトンの富裕な商人の息子ウォルター。若く美しく誰にもうらやまれる存在であった彼は、しかし妻の不実と憎しみに悩み、ある日、航海に出ることを決意。
出航前、ウォルターは美しい貴婦人と侍女と小人の、不思議な三人連れを目にし、妖しい幻にひきよせられるように旅が始まります。
嵐にあった船がたどり着いた未知の陸地で、彼は岩壁の「裂け目」をこえ、緑なす美しい土地にたどり着きますが、 そこは「世界のかなたの森」、幻に見た美しい貴婦人が、魔法で支配する国だったのです。
貴婦人に気に入られたウォルターでしたが、彼は貴婦人に仕える侍女を愛し、侍女の知恵で「世界のかなたの森」からの脱出を試みます。

ウィリアム・モリス・コレクションのなかの一冊。モリスの最高傑作といわれる、上記「世界のはての泉」は、上・下巻にわたる大長編でしたが、 本書は中篇といって良い短さ。テーマやモチーフは「世界のはての泉」と同じで、コンパクトにまとまっているぶん、 「世界のはての泉」より読みやすく、わかりやすく感じました。
物語の舞台は、モリス独特の、みずみずしい自然にあふれた世界。
そこに中世の騎士道物語の冒険の要素、妖精物語の神秘的な要素がとりこまれ、とりわけ美しいファンタジーに仕上がっています。

ちなみに、巻頭にはケルムスコット・プレス版のバーン=ジョーンズの美しい口絵が収録されています。

→読書日記に書いた、この本の感想はこちら

→Amazon「世界のかなたの森 (ウィリアム・モリス・コレクション)

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「輝く平原の物語」

ウィリアム・モリス・コレクション
ウィリアム・モリス 著/小野悦子 訳(晶文社)
輝く平原の物語 (ウィリアム・モリスコレクション)
春まだ浅いある日のこと、レイヴァン家の若者ホールブライズは、疲れきった三人の旅人に出会います。旅人たちは年老いて悲しげで、<輝く平原>の国、<不死なるものたちの国>を探して急ぎ旅を続けているのだと言いました。
我が家で休んでゆくようすすめるホールブライズに目もくれず、旅人たちが去った直後、ホールブライズの許婚である乙女ホスティッジが、海賊にさらわれたという知らせが入ります。ホールブライズはすぐに許婚を取り戻すため旅立ちました。
海岸で待ち受けていたかのような謎の大男に誘われ、ホールブライズは海賊たちの島へ、そして旅人たちが目指していた<輝く平原>の国へと、導かれるようにたどり着くのでしたが…。

ヴィクトリア朝の詩人であり、現代日本では装飾デザイナーとして知られるウィリアム・モリス。モリスはマクドナルドやトールキンの先達、ファンタジーの始祖でもあり、理想の書物を追求し自らケルムスコット・プレスをたちあげ、数々の美しい書物をこの世に送り出しました。
『輝く平原の物語』は、そのケルムスコット・プレスで最初に製作された記念碑的作品。
この晶文社版では、ケルムスコット・プレス版のウォルター・クレインによる挿絵23葉が、そっくり収録されています。このクレインの挿絵の美しいこと! モリスの、良い意味で古めかしいファンタジーを、格調高く彩っています。
ケルムスコット・プレス版の豪華な装幀をそのまま再現することは難しいとしても、ウィリアム・モリス・コレクションは、表紙カバーにモリスの手になる壁紙のデザインが使われていたりと、 美しい本に仕上がっていて、なかなか素敵です。

もちろん物語自体もとても美しい! モリスのファンタジーの特徴である、牧歌的な風景、中世の騎士道物語の冒険の要素、叙事詩を思わせる簡潔な文体のすべてがここに見られますし、最後はもちろんハッピーエンド(ハッピーエンドは上質なファンタジーの必須条件ではないでしょうか?)。読後感はこの上なく爽やかです。
主人公ホールブライズの人となりも、まっすぐで、許婚のホスティッジ一筋という感じで好ましい。
ホールブライズがそこに留まろうとはしなかった<輝く平原>の国の美しさ、船に乗って越えてゆく海の色。読みながら、モリスの物語世界の、自然にあふれた芳しい空気にひたるのは、読書の至福です。
「モリスの想像世界はスコットやホメーロスのそれのように、風が吹き、手でしっかと触わられ、響きを発し、立体的である」というC.S.ルイスの言葉に、深く頷かずにはいられません。

→「ウォルター・クレインの絵本」はこちら

→Amazon「輝く平原の物語 (ウィリアム・モリスコレクション)

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●C.S.ルイス


ライオンと魔女 (カラー版 ナルニア国物語 1)

「ナルニア国ものがたり」

1 ライオンと魔女
2 カスピアン王子のつのぶえ
3 朝びらき丸東の海へ
4 銀のいす
5 馬と少年
6 魔術師のおい
7 さいごの戦い

C.S.ルイス 作/瀬田貞二 訳(岩波書店)
空襲をさけ、地方の古い屋敷に疎開した四人きょうだい、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィ。 ある日ルーシィが、屋敷の片隅の大きな衣装だんすの中に入ってみると、そこは雪のふりつもる別世界”ナルニア”に続いていたのです。 ナルニアではもう何年も、白い魔女の悪い魔法で、クリスマスのない厳しい冬が続いていました…。

四人きょうだいがナルニアで、白い魔女と戦うことになる「ライオンと魔女」から幕を開ける、 壮大な「ナルニア国ものがたり」。トールキン「指輪物語」と並ぶ、イギリス産ファンタジーの傑作です。 キリスト教的世界観にささえられた物語の枠組みの中で、古い伝承の生き物たちが、見事に息づいています。
「指輪物語」より子ども向けの印象ですが、 大人にとっても読みごたえのある深遠な主題を秘めた物語。 実際わたしは大人になってから読んだのですが、最終巻「さいごの戦い」には、かなり衝撃を受けました。 この物語には、ナルニアという世界のはじまりから、いくたりもの王の御世、そしてさいごの戦いまでが描かれているのですが、 さいごの戦いのあと、どうなるのかは…とにかく、読んでみてください。

→Amazon「ライオンと魔女」 「カスピアン王子のつのぶえ」 「朝びらき丸東の海へ
銀のいす」 「馬と少年」 「魔術師のおい」 「さいごの戦い
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●アーシュラ・K・ル=グウィン


影との戦い―ゲド戦記 1

「ゲド戦記」

T 影との戦い
U こわれた腕輪
V さいはての島へ
W 帰還
X アースシーの風
ゲド戦記外伝

ル=グウィン 作/清水真砂子 訳(岩波書店)
竜と魔法が息づく多島海世界アースシー。少年ゲドは偉大な魔法の力を秘め、魔法使いを育てるロークの学院に入学します。 しかし若さゆえの傲慢な心から、死んだ人間の霊を呼び出す禁じられた魔法を使い、地上に邪悪な”影”を放ってしまうのです。
影に追われ、やがては影を追って、ゲドが世界の果てまで旅を続ける「影との戦い」から始まる「ゲド戦記」シリーズは、 ゲドの生涯を軸に、アースシーというふしぎな世界のあらゆる側面が描き出されています。

アースシーという異世界は、すなわち、わたしたちが生きるこの世界をうつしだす鏡のようなもの。 文化人類学的な知識を駆使し、細部まで完璧とも思える精度で構築された異世界は、「指輪物語」や「ナルニア国ものがたり」などの、 すぐれたイギリス産ファンタジーとは、また手触りが違います。
「ゲド戦記」からは、土と血と死のにおい、深い闇にねざした、骨太の世界観が感じられます。

→読書日記に書いた「ゲド戦記外伝」の感想はこちら

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