■読書日記(2006年7月)


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2006年07月31日

アンソニー・ドーア 著『シェル・コレクター』

2006年07月22日

トーベ・ヤンソン 著『少女ソフィアの夏』

2006年07月09日

ジョージ・マクドナルド 著『北風のうしろの国』

2006年07月01日

ウィリアム・モリス 著『世界のかなたの森』



「シェル・コレクター」

アンソニー・ドーア 著/岩本正恵 訳(新潮社)
2006/07/31

アメリカ出身の作家、アンソニー・ドーアの処女短篇集。
孤独な人々の希望を孕む物語、全8篇。さまざまな手触りの作品がおさめられていましたが、 どれも自然への畏怖の念に貫かれており、その描写力には圧倒されました。

ケニア沖の孤島でひとり貝を集めて暮らしている、盲目の老貝類学者の物語「貝を集める人」。
目の見えない老貝類学者が、少年時代、貝に手で触れ、指でかたちをなぞって、その美しさを感じる場面は印象的。 目の見える人間は、とかく視覚に頼りがちなものですが、自然は五感で感じるものなんですよね。
クライマックスの、老貝類学者が貝の毒に侵されながら感じた孤独、その描写は出色です。

ハンターを生業とする男と、死者の記憶を生者に媒介するという不思議な能力をもつ女性の愛の物語「ハンターの妻」。
これはO・ヘンリー賞受賞作とのこと、アンソニー・ドーア作品の中でも、高く評価されている一篇のようで、ほんとうに素晴らしかったです。
幻想的な主題、自然の風景、冬の苛酷さ、生と死の神秘を描ききる筆さばきは、熟練の作家を思わせます。 結末も、美しく希望を感じさせて、素敵でした。

「長いあいだ、これはグリセルダの物語だった」は、何かと目立つ存在で、高校生のときに「金物喰い」を生業とする男と駆け落ちした姉グリセルダと、 地味でおとなしく、ずっと故郷で暮らしつづけ、地元の男と結婚し、母の死に水をとった妹ローズマリーの物語。
淡々とした筆致で描かれているのですが、最後、二十年ぶりに姉に再会したローズマリーがまくしたてる言葉が印象的で、共感しました。
地に足をつけ、一見して平凡な日々を送る人こそ、誰よりも偉大なんだよなあ、と。

「世話係」では、内戦で故郷アフリカを追われ、オレゴン州にたどりつき、金持ちの別荘の世話係になった男と、別荘の主人の娘で耳の聞こえない少女との、心の交流が描かれています。
これは前半の、アフリカ西部リベリアの内戦を描いた部分が、なんとも苛酷で、読んでいて辛かったのですが、 後半の、主人公と少女との交流の場面で救われる、癒しと回復の物語。結びの文章は、胸にぐっときました。

アメリカ人の化石ハンターが、タンザニアの大地を駆ける女性に惹かれ結婚したものの、オハイオでの都会暮らしに心がすれ違っていくさまを描いた「ムコンド」。
主題も構成も、「ハンターの妻」と共通しています。
都会暮らしで、野生の命の輝きを奪われた妻ナイーマは、空をゆくガンの群れを見て、空の神々しさを感じ、やがて空を撮る写真家になり夫のもとを去ります。 現代の都市がどれほど膨張し、野生を消し去ろうとしても、わたしたちの頭上にはいつも、人間の知識の及ばぬ空がひろがっていることに気づかされます。
この作品も終わり方が素敵。おとぎ話かと思えるほどの、美しく希望に満ちた結末です。

こんなにも自然への畏怖の念を感じさせる物語が、アメリカの若い作家によって書かれたというのが意外です。
現代日本にも、こういった主題をとりあげ、描ききることのできる作家はいるのでしょうか? いれば良いのに、とは思いますが。

→「新潮クレスト・ブックスの魅力」はこちら

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「少女ソフィアの夏」

トーベ・ヤンソン 作/渡辺 翠 訳(講談社)
2006/07/22

母を亡くしたばかりの少女ソフィア、ソフィアのパパ、おばあさん。フィンランド湾に浮かぶ岩の小島で、3人が過ごした夏の思い出を、みずみずしく描いた一冊。
訳者あとがきによると、この3人の登場人物は実在していて、少女ソフィアは作者トーベ・ヤンソンの姪、おとうさんはトーベの弟でムーミン・コミックスも手がけたラルス、 そしておばあさんはトーベの母親がモデルになっているのだそうです。
作者トーベもラルスさん一家も、夏には数ヵ月間、フィンランド湾の岩の島で実際に過ごしていたとのこと。 トーベ・ヤンソンは、おばあさんとソフィアとのあいだに実際に起きた出来事を、想像力たくましく物語に仕立て上げたというわけです。
「『Sommarboken』(原題―夏の本―)は、わたしの書いたもののなかで、もっとも美しい作品なのよ」
作者の言葉どおり、「少女ソフィアの夏」は、読んでいてほんとうに気持ちの良い、夏にぴったりの本だと思います。

「おばけ森」と呼ばれる枯れた森で遊ぶソフィアとおばあさん。牧場の散歩。ごっこ遊び。島の洞穴への小さな旅。夏至祭。
ときどき現れる珍客たち。こわがりのベレニケ、漁師猫、謎めいたエーリクソン。
となりの島に新たに建てられた、社長さんの豪華な別荘に忍び込んだり、パパが突如、庭作りに凝り始めたり…。
そして、凪いだり、嵐になったり、船を遭難させたり、いろいろなものを浜に打ち上げたりと、絶えず表情を変えつづけながら、しかし永遠に変わることのない、海の風景。
作者自身、島暮らしをしていたからこそ、こんなにも魅力的な夏の思い出を描くことができたのでしょう。

この作品は、邦題が「少女ソフィアの夏」となっていて、少女の夏の思い出を描いたもののように思われますが、 実は重要なのが、ソフィアのおばあさんの目線です。
ソフィアとおばあさんは、あくまで対等で、どちらかが他方の保護者ということがありません。
人生のとば口に立ったばかりのソフィアと、出口に向き合っているおばあさんは、ふたり一緒に、一所懸命遊び、夏を味わっています。
未来への希望と鋭敏な感受性をもつ少女の思い出だけでなく、老いと死の不安を内に秘めた、おばあさんの目から見た夏の風景が描かれることによって、物語が深みを増し、美しさが際立ってくるのです。

ソフィアとおばあさんには実在のモデルがいるわけですが、作者自身の少女時代の思い出と、老境の感慨とが重ねられていることは、想像に難くありません。
入れ歯をシャクヤクの茂みに落としてしまって、探しているのをソフィアに見つかって、不機嫌になるおばあさん。
おばけ森で、枝や幹の切れ端を彫って、ふしぎな木の動物を作り出すおばあさん。
島を訪ねてくる古い友人と、いつも一緒に飲み続けてきたシェリーが、実は大嫌いだったおばあさん。
みんなを心配させないために部屋に置いてある室内用便器が、「ふがいなさの代名詞のようで」、ほんとうは嫌いなおばあさん。
わたしは、トーベ・ヤンソンの描く、ちっとも悟りをひらいていない老人たちが大好きです。

自然と人間の営み、若さと老い、これらの要素が対立することなく調和して描かれているところが、トーベ・ヤンソンならではの筆さばきと言えるでしょうか。
またこの本には、ムーミン童話を彷彿させるトーベの挿絵が付されているのも魅力です。

→トーベ・ヤンソンの小説の紹介はこちら

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「北風のうしろの国」

ジョージ・マクドナルド 著/中村妙子 訳(ハヤカワ文庫)
2006/07/09

舞台は19世紀のロンドン。御者の息子ダイアモンドは、馬車小屋の2階の干し草置き場で寝起きしていました。
風のつよいある晩、彼は、うすい板壁の節穴の向こうから、自分に話しかけてくる声を耳にします。声の主は「北風」。
長い黒髪の美しい女性の姿であらわれた北風に導かれ、ダイアモンドはいくつものふしぎな冒険をすることに。 ロンドンの街を北風の背から見下ろしたり、大聖堂の窓に描かれた聖人たちが喋りだすのを目の当たりにしたり…。
そしてダイアモンドは、とうとう北風を通り抜け、「北風のうしろの国」を訪れます。そこは美しい平安の地――
やがて北風のこちら側に帰ってきたダイアモンドは、澄んだまなざしで、人を、世界を、真実を見つめるようになるのです。

訳者あとがきによると、この作品は1868年、《Good Words for the Young》誌に子どもの読み物の連載を求められたマクドナルドが、 2年にわたって執筆したものとのこと。子どもに語りかける調子で書かれているので、とても読みやすく感じられました。
読み終えて思い出すことは、想像世界の美しさと、ロンドンの貧しい家庭の現実、はっとさせられる珠玉の言葉たち、でしょうか。

まず想像世界の美しさ。マクドナルド晩年の傑作『リリス』を読んだときにも、めくるめくイメージの奔流に魅せられましたが、 『北風のうしろの国』にもマクドナルド独特の、常識の枠にとらわれない想像世界が描かれています。
印象的だったのは、主人公ダイアモンドが見た夢。ダイアモンドは知人の屋敷の庭を走りまわっているうち、 美しい田園の中に出、そこで星の呼び声を聞きます。そして大空でなく、地下に通じる階段をおりると、天使たちの戯れる丘にたどり着きます。 そこでダイアモンドは天使たちが地面を掘って星を探す様子を見、星を取り出した後の穴をのぞいて素晴らしい喜びを味わい、 一人の天使が大好きな色の星を見つけ、星の穴からまっさかさまに身を躍らせて去っていくのを目にします。
常識ではつながらない場面が、切れ目なく自然につながって感じられる、夢独特の美しいイメージ。
他にもダイアモンドの友だちナニーが見た、月がおりてくる夢も、とてもふしぎで美しい夢で、印象に残っています。 『リリス』で展開されるイメージも、夢の美しさに満ちていることから、マクドナルドが、夢や夢についての心理学に関心を寄せていたことがうかがえます。

この作品では、夢の世界の美しさと、ロンドンの貧しい家庭の現実とが、対立することなく、ない合わされて描かれているのが特徴的です。
ダイアモンドの父親が、お金持ちのお屋敷の御者の職を失くし、辻馬車屋となって苦労したり、母親がやりくりに悩んだりする様子は、とてもリアルで共感できます。
これは、訳者あとがきにあるとおり、マクドナルドの裕福とは言えない生い立ち、家庭をもってからの困窮の経験があって書かれたものだからこそ、説得力があるのだと思います。

最後に、マクドナルド作品に散りばめられた、はっとさせられる珠玉の言葉、そのひとつを挙げて、感想をしめくくりたいと思います。
それはサクラソウだった。ごく小さいが、それなりに非の打ちどころのない美しさで――ふしぎなほど可憐だった。 …(中略)…それは冬枯れのくすんだ大地が空に向かってぱっちり開いている瞳であった。ダイアモンドははっとした。 このサクラソウは祈っているのだ――そう思った。

「北風のうしろの国」より

上記の引用は、与えられた生命を生きることは祈りそのものなのではないか、と考えるわたしにとって、まさに、はっとさせられる言葉でした。 マクドナルドの祈りについての言及は他にも見られますが、どれも深く納得させられるものばかりです。

→おすすめファンタジーの紹介はこちら

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「世界のかなたの森 ウィリアム・モリス・コレクション」

ウィリアム・モリス 著/小野二郎 訳(晶文社)
2006/07/01

ラングトンの富裕な商人の息子ウォルター。若く美しく誰にもうらやまれる存在であった彼は、しかし妻の不実と憎しみに悩み、ある日、航海に出ることを決意。
出航前、ウォルターは美しい貴婦人と侍女と小人の、不思議な三人連れを目にし、妖しい幻にひきよせられるように旅が始まります。
嵐にあった船がたどり着いた未知の陸地で、彼は岩壁の「裂け目」をこえ、緑なす美しい土地にたどり着きますが、 そこは「世界のかなたの森」、幻に見た美しい貴婦人が、魔法で支配する国だったのです。
貴婦人に気に入られたウォルターでしたが、彼は貴婦人に仕える侍女を愛し、侍女の知恵で「世界のかなたの森」からの脱出を試みます。

ウィリアム・モリス・コレクションのなかの一冊。モリスの最高傑作といわれる「世界のはての泉」は、上・下巻にわたる大長編でしたが、 本書は中篇といって良い短さ。テーマやモチーフは「世界のはての泉」と同じで、コンパクトにまとまっているぶん、 「世界のはての泉」より読みやすく、わかりやすく感じました。
物語の舞台は、モリス独特の、みずみずしい自然にあふれた世界。
そこに中世の騎士道物語の冒険の要素、妖精物語の神秘的な要素がとりこまれ、とりわけ美しいファンタジーに仕上がっています。

登場人物の設定や、物語の細部のエピソードは、けっこう生々しく、おりおり凄惨な場面さえ語られます。
ウォルターの旅のきっかけは、妻の浮気。
「世界のかなたの森」を支配する女王は、美しい愛人をとっかえひっかえし、ウォルターも愛人にするために、魔法で呼び寄せたのです。 また女王は、侍女を奴隷としてひどく虐待しています。
侍女とウォルターが「世界のかなたの森」からの脱出を計画したために、恐ろしい事件も起きるのです。
こんなふうに書くと、どろどろしたお話のようでさえありますが、実際に読んだ感じはとても爽やか。
木々の密集した森の中の、むっとするような緑の匂い。小川の水の冷たさと美味しさ。地面をおおうばかりに咲き乱れるちいさな草花の色。 読後に思い出すのは、なぜかそういった感覚ばかりなのです。

これはモリスの文体によるものだと思います。
巻末の訳者解説によると、モリスは旧約聖書、ホメーロスの叙事詩、北欧神話、アーサー王の死、千夜一夜物語などを愛した人であり、 自身の作品もまた、韻文でなく散文であるとはいえ、神話や伝説にならった文体で書いているのです。
近代になって確立された小説の技法とは、まったく異なる方法で書かれたモリスの散文ロマンス。
「世界のかなたの森」では、微にいり細をうがった生々しい場面の描写などなく、すべては、ただ出来事として物語られるだけです。 登場人物の心理描写も一切なく、読者自身が、起こった出来事から想像するしかないのです。

読後感の爽やかさは、わたしが想像を膨らませずに読んだからではなく、想像するために、できるだけゆっくりと、 出来事や事件の合間あいまに立ち止まりながら読み終えた結果、物語世界の空気を存分に味わうことができたからだと思います。
訳者解説には、「ナルニア国ものがたり」の作者C・S・ルイスの、こんな言葉が引用されています。
「モリスの想像世界はスコットやホメーロスのそれのように、風が吹き、手でしっかと触わられ、響きを発し、立体的である」
現代の小説も良いけれど、古いロマンスを読むことも、また素晴らしい読書体験です。

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