■片山廣子とケルト圏の文学

〜滅びゆく民の文学に共鳴した幻視の魂〜


かなしき女王―ケルト幻想作品集 (ちくま文庫)

ふいと見た夢のように私は幾度もそれを思い出す。私はその思い出の来る心の青い谿そこを幾度となくのぞき見してみる。まばたきにも、虹のひかりにも、その思い出は消えてしまう。 それが私の霊の中から来る翼ある栄光(ひかり)であるか、それとも、幼い日に起った事であったか、よく見極めようとして近よる時――それは、昼のなかに没するあけぼのの色のように、朝日に消える星のように、おちる露のように、消えてしまう。

―松村みね子 訳『かなしき女王』(ちくま文庫)30ページより


燈火節―随筆+小説集

よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき

―片山廣子 松村みね子 著
『燈火節―随筆+小説集』(月曜社)762ページより


片山廣子は、大正期の歌人。松村みね子の筆名で、J.M.シングやロード・ダンセイニ、フィオナ・マクラウド等、多数のケルト圏の文学を翻訳し、日本に紹介したひとでもあります。
上記に引用したのは、フィオナ・マクラウド作品を松村みね子が訳したものの抜粋と、片山廣子の第一歌集『翡翠(かわせみ)』の表題作です。
滅びゆくケルトの民の哀しみを謳いあげる文章と、夢と現をゆききする魂をあらわす歌とに、共通するものを感じる人は多くいるでしょう。
大正期、日本の文壇でアイルランド文学が注目されていた時代。女性でありながら、見たこともない遠い島の文学を、美しい日本語にうつして世に広めた片山廣子/松村みね子。
このページでは、興味のつきない大正期の閨秀歌人の幻視の魂に触れるべく、片山廣子の随筆と、彼女が翻訳したケルト圏の作家たちの作品をとりあげます。


↓クリックすると紹介に飛びます。

●片山廣子


略歴
『新編 燈火節』
『燈火節―随筆+小説集』

●ロード・ダンセイニ

略歴
『ダンセイニ戯曲集』

●フィオナ・マクラウド

略歴
『かなしき女王』

●J.M. シング


略歴
『シング戯曲全集』
『アラン島』(栩木伸明 訳)



●片山廣子 ― かたやま ひろこ ―

明治11年(1878年)、東京麻布生まれ。父は米国総領事等をつとめた外交官吉田二郎。
ミッション系の東洋英和女学校卒業後、佐佐木信綱に師事し、歌人として活躍。21歳で大蔵官僚の片山貞次郎と結婚。
大正3年(1914年)頃より、鈴木大拙夫人ベアトリスのすすめでアイルランド文学の翻訳に携わり、ダンセイニ、シング、マウラウドなどの作品を紹介。森鴎外、坪内逍遥、上田敏、菊池寛らに高く評価される。 「松村みね子」という筆名は、翻訳の仕事のときに用いた。
歌人としては歌集『翡翠(かわせみ)』『野に住みて』などを発表。また暮しの手帖社より刊行された生涯唯一の随筆集『燈火節』は、1955年、第3回日本エッセイスト・クラブ賞を受けている。
昭和32年(1957年)、79歳で永眠。
凛とした才媛であった彼女は、室生犀星や萩原朔太郎らに慕われ、芥川龍之介の最後の恋の相手と噂されたこともあった。また堀辰雄『聖家族』のモデルとも言われている。

「新編 燈火節」

片山廣子 著(月曜社)
新編 燈火節
フィオナ・マクラウド『かなしき女王』の訳文に感銘を受けたことから、松村みね子の著作を読んでみたいと思い、月曜社から大部の集成本『燈火節―随筆+小説集』(下記に紹介)が出ていることを知って、迷ったすえに購入したのは2006年末のこと。
『燈火節』の美しさに、すっかり片山廣子/松村みね子の文章の魅力の虜になったのでしたが、けれども彼女の本が、安価でハンディなかたちではもはや流通していないことが、さびしくも感じられたのです。
ところが2007年12月に、同じく月曜社から、全48編に随筆8編を新規に加えた『新編 燈火節』が刊行されたとのこと。
さっそく入手してみると、これが初版本のハンディさに立ち返った、ソフトカバーの廉価版、しかも底本どおりの旧字旧仮名遣い。
ひそかに片山廣子/松村みね子の文章を愛する読者にとって、またいまだ彼女の文章に触れたことのない読者にとって、何と嬉しい知らせだったことでしょう。

この随筆集は、四分の一ものページがアイルランド文学について割かれており、松村みね子の訳文に感銘を受けたわたしのような読者にとっては、たいへん興味深い、必読の一冊です。
かつて情熱をもって翻訳を手がけたアイルランド文学についての思いを綴った「過去となつたアイルランド文學」、シングの紀行文について書かれた「アラン島」、アダムの前妻リリスについて書かれた「古い傳説」(これは『かなしき女王』の井村君江氏の解題によると、マクラウドの作品をもとにしているのだそうです)など、わたしはどれもたいへん面白く読みました。
またアイルランド文学についてのみならず、「イエスとペテロ」などミッション系の教育を受けた人らしい題材、芥川や菊池寛ら文学者との交流の思い出、古き良き日本へのノスタルジーを感じさせる多くのエピソードは、昨今はやり(?)の「乙女」のための本としても魅力があると思います。
凛とした、美しい日本語で綴られたこれらの随筆は、夫の死や敗戦を乗り越えた歌人の、しずかな心境をあらわして、何度も読みかえすにふさわしい品格を感じさせます。
 私は村里の小さな家で、降る雨をながめて乾杏子をたべる、三つぶの甘みを味つてゐるうち、遠い國の宮殿の夢をみてゐた、めざめてみれば何か物たりない。 庭を見ても、部屋の中をみても、何か一輪の花が欲しく思ふ。
 部屋の中には何の色もなく、ただ棚に僅かばかり並べられた本の背の色があるだけだつた。ぼたん色が一つ、黄いろと高ニ。
 私は小だんすの抽斗から古い香水を出した。外國の物がもうこの國に一さい來なくなるといふ時、銀座で買つたウビガンの香水だつた。 ここ數年間、麻の手巾も香水も抽斗の底の方に眠つてゐたのだが、いまそのびんの口を開けて古びたクツシヨンに振りかけた。ほのかな靜かな香りがして、どの花ともいひ切れない香り、庭に消えてしまつた忘れな草の聲をきくやうな、ほのぼのとした空氣が部屋を包んだのである。村里の雨降る日も愉しい。

『新編 燈火節』所収 「乾あんず」223-224ページより
*一部表記できない旧字は新字に置き換えてありますのでご了承ください。

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「燈火節」

随筆+小説集
片山廣子 松村みね子 著(月曜社)
燈火節―随筆+小説集
月曜社の『燈火節―随筆+小説集』は、片山廣子初の集成。
著者の人柄をあらわしたように奥ゆかしい装幀で、随筆集『燈火節』のほか、夫の死について綴った「かなしみの後に」などの珠玉の随筆の数々、小説や童話など、短歌以外の片山廣子の作品が集められています。
巻頭の廣子と長男の写真、巻末の鶴岡真弓氏による解説も興味深く、値段ははりますが、手にとるたびに買って良かったと思う一冊です。
ちなみにこちらの集成では、旧字は新字に改められています。

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●ロード・ダンセイニ ― Lord Dunsany ―

1878年生まれ。アイルランドの劇作家・幻想小説家。
”ロード・ダンセイニ”は貴族としての称号であり、ファミリーネームはエドワード・ジョン・モートン・ドラックス・プランケット。第18代ダンセイニ男爵。
軍人としてボア(南ア)戦争、第一次大戦に出征。旅行・狩猟を好み、クリケットやチェスの名手でもあった。
1905年、処女作『ぺガーナの神々』を上梓。1909年、風刺劇『光の門』で劇作家としてデビュー。イラストレーター、シドニー・H・シーム(Click!)とのコンビで多数の本を出版した。
主な著書に、Time and the Gods(1906年)、The Sword of Welleran(1908年)、A Dreamer's Tales(1910年)、The Book of Wonder(1912年)、Fifty-One Tales(1915年)、Tales of Wonder(1916年)、Tales of Three Hemispheres(1919年)がある。
ケルト的幻想と詩情にみちた独特の作風は、ラヴクラフト、稲垣足穂ら、後の作家に多大な影響を与えた。
1957年、没。

「ダンセイニ戯曲集」

ロード・ダンセイニ 著/松村みね子 訳(沖積舎)
ダンセイニ戯曲集
宇宙的視野をもつ稀有な幻想小説家であり、すぐれた劇作家でもあったロード・ダンセイニの戯曲集。
「アルギメネス王」「アラビヤ人の天幕」「金文字の宣告」「山の神々」「光の門」「おき忘れた帽子」「旅宿の一夜」「女王の敵」「神々の笑い」の9篇がおさめられています。
どの作品も、ケルト的幻想とペシミズムに満ちた神秘劇です。

収録作品のひとつ「光の門」は、著者の劇作家としてのデビュー作。天国の入り口まで行った2人の男が、固く閉ざされた天の門を無理やり押し開けると、「中は空しい夜と星」「遠い星が途もなくさまよい歩いている」「無」であった、というお話。
生きていた頃の思い出や希望について話す2人の男ジムとビルの背後で、奇妙な笑声がおこり、天の門を押し開け「無」が現われる劇的な最後には、「残酷な激しい笑声」になります。幕が下りたあとも続く哄笑。
「神々の笑い」でも描かれるように、この怖ろしい笑声は、人間をもてあそぶ神々の声なのでしょうか。
戯曲は小説より簡潔なぶん、ダンセイニ作品特有の、無慈悲で残酷な神々の姿が際立ちます。

王や予言者といった神話的な登場人物の語りが印象的なダンセイニの作品では、松村みね子の訳文は格調高く、舞台でこれらの科白が朗々と響きわたるのを、ぜひ観てみたいところです。
俺は思う、都会(まち)がいちばん美しいのは、夜が人家から滑り落ちて行く夜明けの少し後の時だ。都会はゆっくりと夜から離れて行く、ちょうど上着のように夜を脱ぎ捨ててしまう。 そして美しい素肌で立って何処かの広い河にその影をうつす。すると日が昇って来てその額の上に接吻する。その時が都会の一番うつくしい時なのだ。 男や女の声が街に起る、やっと聞えるか聞えないくらいかすかに、あとからあとからと起る。それがしまいにはゆったりと大きな声になって、どの声も一つに集まってしまう。そういう時には都会が俺に物をいうように俺はたびたび思う。 都会はあの自分の声で俺にいう。アオーブ、アオーブ、お前は何時か一度は死ぬ、わたしは此世のものではない、わたしは昔から何時も在ったものだ、わたしは死なないと。

『ダンセイニ戯曲集』所収「アラビヤ人の天幕」38ページより

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●フィオナ・マクラウド ― Fiona Macleod ―

本名、ウィリアム・シャープ(William Sharp)。
1856年、英国スコットランドのグラスゴーに生まれる。
若い頃からケルトの民話を聞き集め、1892年『異教評論』の自費出版を皮切りに、W・B・イエイツらのケルト文芸復興運動(* Click!)に参加。 本名でオカルト研究に従事する一方、マクラウド名で幻想物語を発表しつづけた。
彼は自身を「フィオナ・マクラウドの代理人」と称し、二人が同一人物であることが明かされたのは、シャープの死後のことだった。
1905年、病没。

「かなしき女王」

ケルト幻想作品集
フィオナ・マクラウド 著/松村みね子 訳(ちくま文庫)
かなしき女王―ケルト幻想作品集 (ちくま文庫)
まず、冒頭に収録された短篇「海豹」を読み、キリスト教的イメージの濃厚なことに意表をつかれ、大正期の歌人、松村みね子(本名:片山廣子)の美しい訳文に感動しました。
聖者コラムが、まったき平安を求めて、おのが罪を悔い改める、この短い話。
コラムは月夜の浜辺で、人間の母と海豹の父とのあいだに生まれた子どもに出会うのですが、 この子の歌う姿の、妖しく昏い美しさは、忘れがたいものがあります。
人間と海豹の罪の子、たましいを持たぬ子の、哀しいさびしい歌に、胸をつかれます。
この歌など、歌人・松村みね子の、言葉に対する鋭い感受性あってこその名訳だと思います。

「女王スカァアの笑い」「かなしき女王」の2作品は、ケルト神話に材をとった、愛と血と狂気に満ちた作品。
本のタイトルにもなっている”かなしき女王”スカァアの、美しき英雄クウフリンへの狂わしい愛。 その愛がかなわぬことを知り、残酷に人を切って捨てては哄笑する女王スカァアの、おそろしさ、かなしさ。そのイメージの鮮烈なこと。
また、スカァアにそれほどまで思われる、英雄クウフリンの美しさも、つよく胸に灼きつけられます。
フィオナ・マクラウドの描くクウフリンは、ケルト神話の代表的な英雄ク・ホリンとは、少々趣を異にしているように感じられます。
神話より、いっそう美しく、昏く、孤独なイメージなのです。
フィオナ・マクラウドにとっての、このクウフリンのイメージは、たいへん興味深いものがあります。

「最後の晩餐」「魚と蠅の祝日」「漁師」などは、キリスト教的モチーフに彩られた作品。
これらの作品では、キリストがたびたび登場するのですが、このキリストの雰囲気やたたずまい、 あらわれ方、語る言葉などが非常にケルト的で、なんとも不思議な味わいがあります。
「浅瀬に洗う女」という作品では、死の予言をする妖精バンシーが、「わが名はマグダラのマリヤ」と歌っていて、 ほんとうにケルト的イメージとキリスト教的イメージとが渾然一体となっています。
アイルランドをはじめとするケルト圏へのキリスト教の布教は、土着信仰とキリスト教とのゆるやかな融合のかたちをとったと言いますが、 上記のような作品から、その布教の成果の一端がうかがえるでしょう。

「精」においては、ケルト圏の土着信仰と、キリスト教との相克があったこともうかがえます。
キリスト教の聖者コラムに仕える青年カアル。信仰と女性への愛との間で苦悩し、愛を選んだ彼は、罰として樫の洞の中に、生きながら閉じ込められてしまいます。
しかし彼は肉体の死ののち、たましいの自由を得、精の人たちの存在を知ることに。カアルは女の精デオンと愛し合うようになり、精としての生命を得ます。
数年後、カアルに罰を与えた聖者モリイシャは、精の人となったカアルと対面。キリスト教の教えにそぐわぬカアルの姿を、はじめは呪ったモリイシャでしたが、 やがて悟りを得、妖精や動物たちを祝福し、平安のうちに死を迎えるのです。
土着信仰ドルイドとキリスト教との相克の問題に、フィオナ・マクラウド独特の神秘思想がひとつの答えを提示する、印象深い物語。
白い花からとった、月の光る露を瞼に塗られたカアルが、樹の内と外とを自由に出入りする「美しいうす青い生命」、精の人たちを目の当たりにする場面は、圧巻です。

「琴」と題された一篇は、フィオナ・マクラウド 著/荒俣 宏 訳『ケルト民話集』(ちくま文庫)収録の「クレヴィンの竪琴」と同じ作品です。
最後に収録された戯曲「ウスナの家」は、「琴」の続編にあたり、あわせ読むと、ケルトの哀感がいっそう際立ちます。
また「ウスナの家」は、ケルト神話の「デアドラ伝説」(* Click!)に材をとったもので、この「デアドラ伝説」は有名な「トリスタンとイズー」の物語の原型と言われています。
J.M. シングも「デアドラ伝説」を題材とした戯曲を手がけており、美女デアドラをめぐる悲恋の物語は、ケルト文芸復興運動に関わった多くの作家たちの想像力を刺激したのでしょう。

『かなしき女王』の訳文は、松村みね子の翻訳のなかでも、スコティッシュ・ケルトのもの哀しさと、歌人の感性で選びとられた叙情的でみずみずしい日本語とが響きあい、とりわけ美しく幻想的。
巻末の井村君江氏による解題は、わかりやすく丁寧で、松村みね子女史への尊敬と憧れがにじみ出ており、訳文を味わう上でとても参考になります。
「この少女はダフウト――不思議――と名づけて下さい、ほんとうにこの子の美は不思議となるでしょう。 この子は水泡のように白い小さな人間の子ですが、その血の中に海の血がながれています、この子の眼は地に落ちた二つの星です。 この子の声は海の不思議な声となり、この子の眼は海のなかの不思議な光となりましょう。この子はやがては私のための小さい篝火ともなりましょう、 この子が愛を以て殺す無数の人たちの為には死の星ともなり、あなたとあなたの家あなたの民あなたの国のための災禍ともなりましょう、 この子を、不思議、ダフウトと名づけて下さい、海魔のうつくしい歌の声のダフウト、目しいた愛のダフウト、笑いのダフウト、死のダフウトと」

『かなしき女王』所収 「髪あかきダフウト」49ページより

→荒俣 宏 訳『ケルト民話集』の紹介はこちら

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かなしき女王―ケルト幻想作品集」(沖積舎版・単行本)

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●ジョン・ミリントン・シング ― John Millington Synge ―

1871年、ダブリン郊外のプロテスタントの家系に生まれる。
トリニティ・カレッジを卒業後、ドイツ、イタリア、フランスなどを転々としながら文学や音楽を学ぶ。 その後パリで出会ったW.B. イエイツのすすめでアラン諸島に赴き、滞在の記録を1907年『アラン島』として著す。
また島での取材や体験をもとにした戯曲「谷の影」(1903年初演)、「海に行く騎者」(1904年)、「聖者の泉」(1905年)、「西の人気男」(1907年)などを次々と発表。 しかしもともと丈夫でなかったシングは若くして病に倒れ、1909年に没した。
病中に書いていた戯曲『悲しみのデアドラ』は、ケルト神話の「デアドラ伝説」(* Click!)を題材にしたもので、未完のままに終わったが、没後1910年に上演。 ケルト文芸復興運動(* Click!)に大きく寄与したシングの作品は、のちのベケット、ジョイスらにも影響を与えた。

「シング戯曲全集」

ジョン・M・シング 著/松村みね子 訳(沖積舎)
W.B. イエイツらとともにケルト文芸復興運動(* Click!)の中心的人物として活躍した、ジョン・ミリントン・シングの戯曲集。
「谷の影」「海に行く騎者(のりて)」「鋳掛屋の婚礼」「聖者の泉」「西の人気男」「悲しみのデアドラ」の6篇がおさめられています。
アラン諸島に滞在した折の取材や体験が、戯曲として結晶した作品群。紀行文『アラン島』(下記に紹介)を読んでからこの戯曲集を読むと、そのことがよく分かります。

実際の体験をもとにし、貧しい暮らしの鋳掛屋や乞食を主役にすえたシングの作品では、科白に人間の滑稽さや愚かしさが生々しくあらわれています。 松村みね子の翻訳も、ダンセイニやマクラウドの作品とは趣を異にし、たいへん庶民的な調子です。
いくつかの短歌や、フィオナ・マクラウド作品の訳文、随筆集のはしばしに、夢想家としての素質のうかがえる片山廣子が、ケルトの作家たちのなかでもとりわけシングのものを好んだというのは、読んでみてとても意外でした。
とはいえ、シング作品の人間くさいリアルな科白や、人物が舞台上でよく動くことは、とても面白く惹きつけられます。

そのなかで、シングの病中に書かれ未完に終わった「悲しみのデアドラ」は、マクラウドの「ウスナの家」と同じくケルト神話の「デアドラ伝説」(* Click!)に材をとったもので、他の作品とは作風が違っています。
同じ題材でありながら、「ウスナの家」とは切り口がまったく違うのが興味深い1篇。リアリズム志向のシングらしく「悲しみのデアドラ」では、伝説上の人物でも科白のひとつひとつが生々しく読む者に迫ってきます。
美女デアドラをめぐる悲恋には、死の予感がつきまとっていて、デアドラの「死ぬのは情けない、つまらないことだ」という科白など、病に伏したシングの心中をあらわしているとも読みとれますが、片山廣子の『燈火節』によれば、シングは実際、病床を見舞う婚約者に、「死ぬのはつまらないことだ」と言ったのだそうです。
キュアンの森、キュアンの森、ひがしの方の愛する国! 七年のあいだ、私たちはただ歓びに満ちて生きていた、きょう私たちは西に行く、ひょっとしたら、死に会うために行くのかもしれない、そして、死ぬ人が女王であろうと、死ぬのは情けない、つまらないことだ。

『シング戯曲全集』所収「悲しみのデアドラ」319ページより

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「アラン島」

J.M. シング 著/栩木伸明 訳(みすず書房)
アラン島 (大人の本棚)
片山廣子の生涯唯一の随筆集『燈火節』のなかには、「アラン島」と題された一節があり、シングの同名の紀行文について、わかりやすく魅力的に述べられています。
片山廣子はまた「過去となったアイルランド文学」という一節の中でも、「あんなにシングのものを愛してゐた私」とまで書いていて、彼女が翻訳を手がけた数々のケルト文学の中でも、ことにシングの作品に惹きつけられていたことがよくわかります。
『アラン島』は松村みね子が訳したものではありませんが、彼女が愛したシングの作品、しかも今読んでも非常に魅力的な紀行文ということで、ここに紹介したいと思います。

さて、現在、みすず書房《大人の本棚》シリーズのなかの一冊として刊行されている『アラン島』は、 1907年に発表された紀行文ながら、現代を生きるわたしたちにも大変読みやすい、みずみずしい訳文に仕上がっています。
1896年、文学の道を志し、パリに滞在していたジョン・ミリントン・シング青年。同じホテルに泊まっていた詩人W.B. イエイツにすすめられ、 あらゆる文明から切り離されたアイルランドさいはての島、アラン諸島に赴くことに。
1898年の最初の訪問以来、苛酷な自然の中の原始的とも言える素朴な生活、妖精たちにまつわる伝承を信じ続ける島人たちに魅せられたシングは、五度にわたりアラン諸島を訪れ、 やがてその折の滞在の記録を、『アラン島』として発表します。

アラン諸島とは、アランモア(イニシュモア)、イニシュマーン、イニシーアの三島のことで、シングはこの三つの島々をわたり歩いて、島人たちと親しく交流します。
死と隣り合わせの荒海に、カラッハ(島カヌー)で漕ぎ出す男たちに混じって、波のほんとうの力強さを身体いっぱいに感じたり。
人柄もあたたかいおじいたちから、島に伝わる数々の妖精譚を聞かせてもらったり。
島人の葬式の会葬者ともなり、アランの人々の狂おしい哀悼歌(キーン)に胸を打たれたり。
アラン島は、お坊っちゃん育ちで都会の暮らししか知らなかった若きシングにとって、まぎれもなく異世界でした。
だからこそシングの筆は、みずみずしい感動に満ち、原始的な暮らしをとどめる島を、客観的にではなく理想的に描き出しています。
そしてシングの時代から百年後の現代文明のなかで生きるわたしは、アラン島の暮らしを理想的なものとしてとらえた彼の感性に、共感をおぼえるのです。
この紀行文の価値は、シングが異文化に出会った喜びをかくさず、主観的に理想的に島を描いていること。 シングの文章を読みおえると、まるでわたし自身が百年前のアラン島を旅したかのように、島の景色や島人たちの姿を、懐かしく思い出すことができます。
シングがイニシュマーンで寄宿していた家の、古ぼけたキッチンの味わい。おかみさんが作ってくれるお茶や食事。寄宿先の息子でゲール語の先生であるマイケル青年や、ストーリーテラーであるパットおじいとの友情。 シングの演奏するフィドルで、ダンスに興じる島人たちの、心から楽しんでいる様子…。
こうしたシング青年のアラン島での経験は、のちに『海に行く騎者』など数々の戯曲に結晶し、遠く日本でも、松村みね子の翻訳で紹介されることになるのです。

なおこの本には、アラン島の雰囲気を伝える味わい深い挿絵が付されており、これが何と詩人W.B. イエイツの弟、Jack.B.Yeatsの手になるものとのこと、見逃せません。

村へ帰ってくる散歩のあいだずっと、空はみごとに晴れ渡っていた。雨後のアイルランドでだけ体験することのできる、島国特有の強烈で透明な明るさが、 海と空にあらわれるさざ波ひとつひとつに、そして、湾のはるか向こう岸の山波の隈ひとつひとつにまで、降りそそいでいた。

栩木伸明 訳『アラン島』14ページより

※ 『アラン島』はじめラインナップの渋さはもとより、装幀も素晴らしい、みすず書房《大人の本棚》。 文字も比較的大きめで読みやすく、軽いソフトタイプのカバーなので手になじみ、表紙・表紙カバーのデザインも上品で素敵。 まさに《大人の本棚》にふさわしい、注目のシリーズです。

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*「ケルト文芸復興運動」
長期のイギリス支配に対し文化的独立を謳った民族運動。ケルティック・ルネッサンス、ケルティック・リヴァイヴァルなどとも呼ばれる。
W.B. イエイツ、レディ・グレゴリー、J.M. シングらが推進役となり、ケルト(ゲール)語の語り部たちから採集した物語を英語に翻案、戯曲としてダブリンのアベイ座を中心にさかんに上演した。

*「デアドラ伝説」
ドルイドの僧から災いと死を招くと予言されたデアドラ。コノール王はデアドラから不吉な運命をとりのけ、ゆくゆくは王妃にしようと大切に育てるが、 美しい乙女に成長したデアドラは、王の盟友ウスナの息子ニーシャ(ノイシュ、ナイシイ)を愛し、王から逃げてしまう。 逆上したコノール王はニーシャを二人の弟とともに殺害。デアドラは悲嘆に暮れ、ニーシャの後を追って死んでしまうという、ケルト神話中の悲劇。
同じくケルト神話の中の「ディルムッドとグラーニャ」とともに、「トリスタンとイズー」の物語の原型とされる。

→ローズマリー・サトクリフ『トリスタンとイズー』の紹介はこちら



*このページを作成するにあたって、下記の本を参考にさせて頂きました

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)
井村 君江
筑摩書房
売り上げランキング: 28827
おすすめ度の平均: 4.5
5 ケルト神話のエッセンスを手ごろに楽しめる良書
4 読みやすいお話
4 地図が欲しかった!
4 巧みな語り口
5 ケルトの不思議な世界に出会えます。

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