■乙女に贈る本

〜清らかで、凛と、美しい〜


乙女のための本、乙女な本、そんなカテゴリーで紹介される本を近頃よく目にします。大人かわいいだとか、ガーリィだとか、そんな表現もよく聞くけれど、ちょっと立ち止まって考えてみようと思う。
そもそも乙女って何だろう? ほんとうの、乙女の心をもつ人に、紹介したい本って何だろう?

そこで、いやしの本棚が考える「乙女に贈る本」を、このページに集めてみました。内容だけでなく装幀も、清らかで、凛と、美しい本たちです。


↓タイトルをクリックすると紹介に飛びます。

▼古き良き時代へのノスタルジー

片山廣子「新編 燈火節」

片山廣子 松村みね子「燈火節―随筆+小説集」

森田たま「今昔」

森田たま「もめん随筆」

▼心の奥でかがやく、言葉の宝石

エミリ・ディキンソン「わたしは誰でもない」

クリスティーナ・ロセッティ「シング・ソング童謡集」

岸田衿子「ソナチネの木」

▼枝さしかわす木々や鳥―身近な自然へ寄せる思い

イーディス・ホールデン「カントリー・ダイアリー」

「木立をすぎる時間 森麗子画文集」

▼乙女の手しごと―レースをめぐる物語

吉田昌太郎 編「糸の宝石」

▼父から娘へ―美しい誕生日の贈り物

フレデリック・クレマン「アリスの不思議なお店」

▼誰も知らない王国

「ボヌール 南桂子作品集」

「one day 或る日 勝本みつる初期作品集」




▼古き良き時代へのノスタルジー


「新編 燈火節」

片山廣子 著(月曜社)
新編 燈火節
片山廣子は、大正期の歌人。松村みね子の筆名で、J.M.シングやロード・ダンセイニ、フィオナ・マクラウド等、多数のケルト圏の文学を翻訳し、日本に紹介したひとでもあります。
歌人としては歌集『翡翠(かわせみ)』『野に住みて』などを発表。また暮しの手帖社より刊行された随筆集『燈火節』は、1955年に、第3回日本エッセイスト・クラブ賞を受けています。

フィオナ・マクラウド『かなしき女王』の訳文に感銘を受けたことから、松村みね子の著作を読んでみたいと思い、月曜社から大部の集成本『燈火節―随筆+小説集』(下記に紹介)が出ていることを知って、迷ったすえに購入したのは2006年末のこと。
『燈火節』の美しさに、すっかり片山廣子/松村みね子の文章の魅力の虜になったのでしたが、けれども彼女の本が、安価でハンディなかたちではもはや流通していないことが、さびしくも感じられたのです。
ところが2007年12月に、同じく月曜社から、全48編に随筆8編を新規に加えた『新編 燈火節』が刊行されたとのこと。
さっそく入手してみると、これが初版本のハンディさに立ち返った、ソフトカバーの廉価版、しかも底本どおりの旧字旧仮名遣い。
ひそかに片山廣子/松村みね子の文章を愛する読者にとって、またいまだ彼女の文章に触れたことのない読者にとって、何と嬉しい知らせだったことでしょう。

片山廣子/松村みね子を説明する言葉はいくつもあります。ニューヨーク領事をつとめた父をもち、ミッション系の女学校に通った深窓の令嬢。佐佐木信綱に師事した大正期の麗歌人。幻視の魂をもったアイルランド文学の紹介者。 あの芥川龍之介の最後の恋の相手と噂され、また堀辰雄『聖家族』のモデルとも言われる、孤高の才媛…。
そんな彼女が、夫の死や敗戦を乗り越え、晩年に至って著した生涯唯一の随筆集『燈火節』。
この一冊は、あえて言わせてもらうなら、まさに昨今はやり(?)の、「ガーリィ」な、「乙女」のための本ではないかと思うのです。
古書の愛好家には知られた名随筆かもしれませんが、こんなに美しい随筆集が、たくさんの「乙女」に知られずにいるのはもったいない!
本書の刊行により、より多くの読者が、片山廣子/松村みね子の文章に出会えることを願います。
 私は村里の小さな家で、降る雨をながめて乾杏子をたべる、三つぶの甘みを味つてゐるうち、遠い國の宮殿の夢をみてゐた、めざめてみれば何か物たりない。 庭を見ても、部屋の中をみても、何か一輪の花が欲しく思ふ。
 部屋の中には何の色もなく、ただ棚に僅かばかり並べられた本の背の色があるだけだつた。ぼたん色が一つ、黄いろと高ニ。
 私は小だんすの抽斗から古い香水を出した。外國の物がもうこの國に一さい來なくなるといふ時、銀座で買つたウビガンの香水だつた。 ここ數年間、麻の手巾も香水も抽斗の底の方に眠つてゐたのだが、いまそのびんの口を開けて古びたクツシヨンに振りかけた。ほのかな靜かな香りがして、どの花ともいひ切れない香り、庭に消えてしまつた忘れな草の聲をきくやうな、ほのぼのとした空氣が部屋を包んだのである。村里の雨降る日も愉しい。

『新編 燈火節』223-224ページより
*一部表記できない旧字は新字に置き換えてありますのでご了承ください。

→「片山廣子とケルト圏の文学」はこちら

→Amazon「新編 燈火節

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「燈火節」

随筆+小説集
片山廣子 松村みね子 著(月曜社)
燈火節―随筆+小説集
片山廣子は、大正期の歌人。松村みね子の筆名で、ロード・ダンセイニやフィオナ・マクラウド等、多数のケルト圏の文学を翻訳し、日本に紹介したひとでもあります。
歌人としては歌集『翡翠(かわせみ)』『野に住みて』などを発表。
凛とした佇まいの才媛であった彼女は、あの芥川龍之介の、最後の恋の相手であったとか。
また随筆集『燈火節』は、1955年に、第3回日本エッセイスト・クラブ賞を受けています。

まあ、そんなこんなの片山廣子/松村みね子に関するエピソードは、あとから聞きかじったもの。
わたしはもちろんダンセイニやマクラウドの翻訳作品から彼女を知り、そのたおやかな感性で紡がれる日本語に、魅せられることになったのでした。
フィオナ・マクラウド『かなしき女王』の訳文は、ケルトの文学に興味はなくとも、一読の価値ある名訳です。
訳文の素晴らしさに感銘を受け、いざ片山廣子/松村みね子の著作を探してみると、これが安価でハンディなかたちではもはや流通しておらず…。
月曜社の『燈火節―随筆+小説集』は、片山廣子初の集成。とにかくお値段のはる一冊で…でも結局、買ってしまったのですけれど。

片山廣子/松村みね子というひとは、ケルト圏の文学に共鳴した幻視の魂の持ち主として、その人生にも興味のつきないものがあります。
この集成は、装幀も著者の人柄をあらわしたように奥ゆかしく、じっくりゆっくり美しい日本語を味わうのに最上の本。
また、わたしは今まで短歌にはほとんど親しんでこなかったのですけれど、片山廣子の歌には、つよく惹かれます。 できれば彼女の歌集も、いつか手にとってみたいと、憧れをつのらせているほど。
歌集『翡翠』の表題作であるこの一首を、ぜひここに引用させて頂きたいと思います。


よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき


『燈火節―随筆+小説集』762ページより

→「片山廣子とケルト圏の文学」はこちら

→Amazon「燈火節―随筆+小説集

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「今昔」

森田たま 著(暮しの手帖社)
今昔
古き良き時代へのノスタルジーを感じさせる、昔の女性が書いた随筆を読みたくなり購入。 表紙の、着物の柄のような、かわいい模様に惹かれて手にとりました。
著者については、さして知識がなかったのですが、オビのプロフィールや、巻末の森田たま略年譜によると、なかなか波瀾に満ちた生涯を送った人のよう。
最初の夫とは離婚、自殺未遂を経て、大恋愛のすえ結婚した人とのあいだに子どもをもうけ、家庭に入り、 やがて随筆家として注目を浴び、1962年には参議院議員として当選もしています。

そんな森田たまの文章は、明治生まれの女性が書いたという気がしない、さらりとして読みやすいもの。
内容にも堅苦しさはまったくなく、着物のこと、料理のこと、暮らしまわりのことなど、女性にとっては普遍的なテーマが多くとりあげられています。
古臭さはありませんが、読んでいると、やはり昔の日本にタイムスリップした心地を味わえるのも魅力。 それに何と言っても、昔の人が書いた日本語は、とても美しいのです。

この本は、1951年に暮しの手帖社より刊行された同名の随筆集を復刻したものなのだそうで、旧版から新字新仮名遣いに改められています。
また、あとで気づいたのですが、森田たまについては、有名なネット古書店「海月書林」で特集が組まれていました。 新装版の装幀もかわいいのですが、旧版はもっと素敵だったみたいです。
多くは絶版になってしまっている森田たまの本ですが、気軽に読める軽やかでハイカラな随筆の数々は、現代女性にも楽しめること間違いなし。他の作品も復刻されると良いのになあと思いました。

→Amazon「今昔

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「もめん随筆」

森田たま 著(中公文庫)
もめん随筆 (中公文庫)
『今昔』を読んで、すっかり魅了されてしまった、森田たまの随筆。
絶版になってしまったたくさんの著作が復刻されないものかと思っていたら、2008年2月、『もめん随筆』が中公文庫で復刊!
魅力にあふれながらも忘れ去られていた森田たま作品が、いま相次いで復刻されているのは、やはり時代の要請なのでしょうか。

『もめん随筆』は、随筆家森田たまのデビュー作とのこと。
だからなのか内容は盛りだくさんで、『今昔』よりも詰め込みすぎの感がありますが、内田百閧竓H川龍之介との交流が語られていたり、竹久夢二の半衿のことや、生まれ育った札幌でのまるで『赤毛のアン』のような暮らしぶり(下記引用参照)など、興味津々。
森田たまの文章はさらりとしていて、気軽にちょこちょこ読むのにとても良いので、文庫での復刊というのは持ち運びやすくて嬉しいです。
ハンディでありながら、表紙カバーの市松模様もかわいらしい一冊。
またネット古書店「海月書林」店主、古書界の乙女本「オンナコドモ」分野の開拓者、市川慎子さんによる解説も見逃せません。
 空が、一ばん深い海よりも碧くひろかつた。さらさらとポプラの梢をわたる風の音は土用半ばに既に秋であつた。 白樺の森、楡の林、小説の中に出てくる樹木が日常目に親しいばかりでなくキヤベツのスープ、小麦粉のパン、酢づけの胡瓜や玉葱や花びらのやうに白い粉をふいたポテト。台所の天井には袋入りのハムがぶら下がつてゐて、母はその下でグースベリイのジヤムをつくつた。 しぼりたての牛乳、つくりたてのバタ、私は小説の中の人達とおなじやうなものをたべてゐるのである。

『もめん随筆』167ページより

→Amazon「もめん随筆 (中公文庫)

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▼心の奥でかがやく、言葉の宝石


「わたしは誰でもない」

エミリ・ディキンソン詩集
川名 澄 編訳(風媒社)
わたしは誰でもない―エミリ・ディキンソン詩集
19世紀アメリカに生きた女性詩人、エミリ・ディキンソン。
生前に発表した詩は、わずか10篇。無名のまま生涯を閉じ、その人生の大部分を、ニューイングランド、アマーストの家の中でひきこもるように過ごした、なぞの女性。
しかし彼女が箪笥の抽斗にしまっていた46束もの詩稿は、彼女の死後、妹ラヴィニアの手によって世に出ることとなり、いまやエミリ・ディキンスンは、アメリカを代表する詩人のひとりに数えられています。

『わたしは誰でもない』は、2008年4月発行、もっとも新しいディキンソンの訳詩集です。
収録作品は全62篇。巻末にエミリ・ディキンソン略年譜があります。
2行から8行ほどまでの短詩のみが選ばれており、訳には原詩の韻やリズムを伝えるための工夫が感じられます。
見開きの右ページに原詩、左ページに訳詩がレイアウトされ、表紙カバーなどの装幀は、ディキンソンの好んだ白が基調となっており、すっきりと美しいです。
読みやすい短詩ばかりの詩集なので、ディキンソンの詩に初めて触れる読者にも、手にとってみてほしい一冊。
 夜明け

いつになったら夜明けが来るかわからなくて
わたしが開けている すべての扉
夜明けには 鳥のように翼があったり
岸辺のように波があるかしら

『わたしは誰でもない』113ページより

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「シング・ソング童謡集」

クリスティーナ・ロセッティ SING-SONG A NURSERY-RHYME BOOK 訳詩集
クリスティーナ・ロセッティ 著/安藤幸江 訳(文芸社)
シング・ソング童謡集―クリスティーナ・ロセッティSING‐SONG A NURSERY‐RHYME BOOK訳詩集
イギリスの絵本画家バーナデット・ワッツの作品に、『とんでいけ海のむこうへ』という絵本があります。 この詩画集ともいうべき一冊には、ヴィクトリア朝の詩人クリスティーナ・ロセッティの22編の詩がおさめられています。
これらの詩はもともと、1872年にロンドンのGeorge Routledge and Sons社から出版された、『Sing-Song』という童謡集に収録されていたもの。 『Sing-Song』は、ラファエル前派の重要な画家の一人である、アーサー・ヒューズの挿絵入りで刊行されました。
『シング・ソング童謡集』は、原書初版時のアーサー・ヒューズの格調高い挿絵121点が掲載され、ヴィクトリア朝時代の雰囲気も味わうことができる、とても価値ある訳詩集だと思います。

クリスティーナ・ロセッティの童謡風の初期の詩は、やはり素晴らしいです。
わかりやすく、みずみずしい言葉ににじむ、あたたかさ、やさしさ。
やさしいだけじゃない、自然と現実を見つめる眼差し。
自然への親しみに満ちた眼差しは、19世紀のアメリカ詩人エミリー・ディキンソンにも通じるものがあると感じました。
くさのはの あいだで
きよらかな あかるいめをした ヒナギクたちは
どの ヒナギクも ほしのよう
みどりの そらの なかから

『シング・ソング童謡集』61ページより

→バーナデット・ワッツ『とんでいけ海のむこうへ』の紹介はこちら
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「ソナチネの木」

岸田衿子 著/安野光雅 絵(青土社)
ソナチネの木
岸田衿子氏の詩と、安野光雅氏の絵とが融和した、詩集でもあり絵本でもあるような、美しい一冊。
詩人、童話作家であり、『のばらの村のものがたり』や『かえでがおか農場のいちねん』、 『こねこのミヌー』など絵本の翻訳でも知られる岸田衿子さんの短詩は、平易な言葉でありながら深く、美しく、心の奥底に響いてきます。
安野光雅氏の絵は、幻想的で、音楽的で、なんとも不思議な味わい。おそらくは古めかしさを演出するために、黄ばんだ紙に描かれた絵は、砂漠に埋もれた岩壁に、古のひとびとが遺した壁画のよう。
そして紙の向こうにはうっすらと、楽譜が透けて見えるのです。
どこか遠くから聞こえる、かすかな旋律のように。
装幀もとても凝っていて、テキストはまっすぐに並んでいるだけではなく、ぐにゃりと曲がっていたり、逆さまになっていたり、絵の外に転がり出ていたりするのです。

この本の中に入ってゆくと、時を刻む砂に埋もれた遠い日々が、慕わしく甦ります。
なぜ 花はいつも
こたえの形をしているのだろう
なぜ 問いばかり
天から ふり注ぐのだろう

『ソナチネの木』34ページより

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▼枝さしかわす木々や鳥―身近な自然へ寄せる思い


「カントリー・ダイアリー 新版」

イーディス・ホールデン 著/岸田衿子 前田豊司 訳(サンリオ)
イーディス・ホールデンは、19世紀末から20世紀初頭の英国に生きた女性。 美術学校へ通い、挿絵画家としても数冊の本を出しているとのこと。
この本は1906年、彼女が35歳の時にかき残した、つつましく美しい自然観察日記です。

淡々と、しかし細やかに記録された、四季を通じての草花や鳥たちの様子。シェイクスピアにワーズワース、テニスン、クリスティナ・ロゼッティなど、お気に入りの詩の引用。 そして自然への愛情にあふれた、花や鳥や蝶や色づいた木の実などの、繊細なスケッチ。
ほんの少し昔の、英国の田園風景の素朴な美しさが、この一冊の日記に書きとめられ、いまなおページを繰るたびに、みずみずしい土や花の香をかぐことができるのです。

イーディス・ホールデンという人は、ほんとうに身近な自然、ちいさな命を愛していたのだなと、そのあたたかい思いに触れるのも快く、スケッチはやさしいタッチと色遣いで目に楽しい。 引用された自然を賛美する詩の数々はどれも素敵で、ぱらぱらと目についたページを拾い読みするだけでも、心はうっとりと100年ほども昔の遠い田園の中へと彷徨ってゆきます。
また岸田衿子さんの訳や、原本の美しさをそのまま復元した古めかしい感じのする装幀も、この本の魅力のひとつです。
デイジー 大地にちりばめられた牧場の星よ
沈むことのない 花の星座よ

シェリー

『カントリー・ダイアリー』10ページより

→Amazon「カントリー・ダイアリー

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「木立をすぎる時間 森麗子画文集」

森 麗子 著(求龍堂)
木立をすぎる時間―森麗子画文集
『木立をすぎる時間』は、恵文社一乗寺店(Click!)のサイトでレビューを見て、どうしても欲しくなってしまい購入。 恵文社の本のセレクトはとても面白くて、ついつい興味をひかれてしまいます。

森 麗子さんという方は、染め、刺し、織り、アップリケなどの技術を自在に使った「ファブリックピクチャー」という作品を発表しておられるそうで、 わたしはまったく存じ上げなかったのですが、『糸の旅』『とりの詩』『月と太陽の旅』など、作品集が多数刊行されています。
この『木立をすぎる時間』は、ファブリックピクチャー作品に、北欧を訪れた際の印象などを中心に綴られたテキストが添えられた画文集。
この本でファブリックピクチャーというものを初めて目にしたのですが、いちばん最初に収録された、「青い夜B」という作品を見て、森 麗子さんにとって、ファブリックピクチャーというのは詩なんだなあ、などとしみじみ感じたりしました。

木々、鳥、月や太陽、古い町並み。布というあたたかみある素材の上に繰り返される、親しみ深いモチーフの、なんともやさしく、愛らしいこと。
収録作品は49点。森 麗子さんやファブリックピクチャーについてよく知らなくても、眺めているだけで充分に楽しめる、しずかでおだやかな、とても美しい一冊です。

→Amazon「木立をすぎる時間―森麗子画文集

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▼乙女の手しごと―レースをめぐる物語


「糸の宝石」

吉田昌太郎 編/鈴木るみこ 文/島 隆志 写真(ラトルズ)
糸の宝石
編者の吉田昌太郎氏は、東京恵比寿の骨董のお店「antiques tamiser(アンティークス タミゼ)」の店主。
『糸の宝石』は、氏がパリの蚤の市で見つけた、古いレース編みのサンプルと図案帖を紹介した一冊です。

巻頭に、編者の、このレース編みを見つけて本にすることになった経緯を記した短い文章があり、次に「糸と女」と題する鈴木るみこさん(雑誌クウネルでおなじみ)の文章で、ヨーロッパにおけるレース編みの歴史が紹介されています。
そしてこの本の大部分を占めるのが、レース編みのサンプルと図案帖の写真。
レースのサンプルがしまわれていた封筒の表書きなどから、これら美しい作品群は、フランスはディジョンの名家、ランジュロン家の子女たちの手になるものと推測されるようです。
ですが写真には、解説がついていません。たとえば図案帖にはレースのサンプルが貼られて、繊細な筆跡でフランス語が綴られているのだけれど、何と書いてあるものやら、皆目わからない…(いや、フランス語読める人は問題ないのでしょうが)。
なので、ただ眺めるだけ。黒いバックに、白いレースのサンプル。その図案の美しさ。図案帖の筆跡さえも美しく、どんなエレガントな女性が、どんなたおやかな乙女が、どんなかがやく目をした少女が、これをしたためたものか、想像してみずにはいられない。

吉田昌太郎氏は、巻頭でこう述べています。
古いものを見る楽しみは、同じように好きだと感じてくれる人と一緒に、ああでもない、こうでもないと、背景を想像して語り合うことにある。そうやって物語を共有することにある。ある意味この編みものの山を、ただの女性の趣味の域と思えばそれまでだけれど、これにはそれを超えた魅力がある。 そして仕事の丁寧さから伺える何かがあるし、その美しさはとてもグラフィカルだ。独り占めするのにはもったいない代物だと思う。まずはこれを好きそうな知り合いに見せたい、そしてひとりでも多くの人の目にとまってくれたらと思う。
「糸の宝石」をめぐる物語を想像することの、何という贅沢さ。
解説をつけてほしかったような気もするけれど、素材を美しく並べただけのこのシンプルさが、さすがは「antiques tamiser」店主のセンス、なのかもしれません。

→Amazon「糸の宝石

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▼父から娘へ―美しい誕生日の贈り物


「アリスの不思議なお店」

フレデリック・クレマン 著/鈴村和成 訳(紀伊國屋書店)
アリスの不思議なお店
世にもふしぎなものを売る、ふしぎなお店の女の子、アリス。
アリスの誕生日の贈り物にするため、フレデリック・チック・チックと名乗るふしぎなものの行商人が、とっておきの品々を、次から次へと取り出します。
「ピノキオの鼻の先っぽ」「シバの女王のまつげ」「星の王子さまの影」「セイレーンの髪の毛」「白雪姫の口紅とおしろい入れ」に、眠れる森の美女が指をついた、「糸巻き棒の木のとげ」まで…。

この本は物語ではなくて、おとぎの国から届いた不思議な商品のカタログ。 なんと、すべての品物をかたどったオブジェが、写真、絵、文章、コラージュの技法を駆使して紹介されているのです。
不思議な品物のオブジェを写真つきで紹介する…といえば、日本でおなじみなのはクラフト・エヴィング商會ですよね。 クラフト・エヴィング商會ファンの方なら、きっと気に入るに違いない、美しい夢のカタログです。

オビの紹介文によると、この本はもともと、画家・絵本作家であるフレデリック・クレマンが、自分の娘のためにつくった誕生日プレゼントで、評判を得て出版されたものなのだとか。
装幀がすばらしく、函入りで、函のまんなかの四角い穴から、美しい天使の絵がのぞいています。 そっと取り出すと本体は白、原題と著者の名前が箔押しされていて、標題紙も原題が印刷された薄紙から、邦題の刷られた次のページが透けて見える仕組みになっていて…と、とにかく凝りに凝っています。

めくるめく夢の世界に遊ぶことのできる、とても美しい一冊。最後の一文からは、作者の、娘へのあふれる愛情が感じられます。
こんな素敵な本、誰かにプレゼントされてみたい!です。
1996年度ボローニャ国際児童書展ラガッツィ賞受賞作品。

→クラフト・エヴィング商會の本の紹介はこちら

→Amazon「アリスの不思議なお店

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▼誰も知らない王国


「ボヌール 南桂子作品集」

南 桂子 著(リトルモア)
ボヌール
2007年3月20日発売の雑誌『クウネル』(マガジンハウス)に、「南桂子の銅版画に描かれた世界」という記事がありました(→Click!)。 そこに掲載されていたいくつかの絵にふしぎに惹かれるものを感じて、思わず購入したのが、この作品集です。
記事を読むまでは、銅版画家・南桂子という人について何も知らなかったのですが、この作品集はとても素敵で、買ってよかったと思います。
折にふれ手にとっては、しずかに眺める一冊です。

『クウネル』の記事から引用させてもらうと南桂子の銅版画は、「描かれるモチーフはいつも決まっていて、少女、鳥、樹々、花、蝶、魚、城…といった童話的なイメージが、 組み合わせを替えながらも、その都度登場する」とのこと。
たしかにそのとおりで、これらのモチーフは、絵本や童話の好きな人にとっては、どうしても惹かれてしまうものですよね。
では単に可愛らしい絵かというと、そうではなくて、南桂子の作品世界は、どこか淋しい雰囲気のする、静謐な空気に満たされています。

銅版に穿たれた、完璧に孤独な心の王国。
ひとつひとつの絵をじっと眺めていると、しんと心が落ち着くのは、なぜなのでしょう。
「シャトーと赤い実」「教会」「街の門」「森と塔」…絵の中に入っていって、教会の椅子にすわり、聖書をひらいてみたくなる。塔の上から、ひろがる森を、いつまでも眺めていたくなる。
そしていつしか、自分のなかの心の王国をも、思い出させる力がある。

巻末には、谷川俊太郎さんの詩や、南桂子さんの短い物語作品なども収録されています。
作品集のタイトル<ボヌール>というのは、フランス語で幸福を意味する言葉で、著者のたいせつにしていた指輪の裏に、ひっそりと刻まれていたのだそうです。

→Amazon「ボヌール

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「one day 或る日 勝本みつる初期作品集」

勝本みつる 著(月兎社)
勝本みつる初期作品集 one day 或る日
京都にある評判の素敵な本屋さん、恵文社一乗寺店(Click!)を訪れたとき、ギャラリー・コーナーにこの本が置いてあって、思わず目にとまりました。

表紙が、なんともいえず良くて。
ちいさく仕切られた箱の中に、レースのリボンだとかコサージュだとか、古いモノクロ写真のなかの少女の切り抜きだとか、ふしぎなものがたくさん入っている。
コラージュ、というのかな。なぜだかこういうものに惹かれるわたしは、手にとってぱらぱらとめくってみたのですが、収録されている作品はまさに<コーネルの箱>に通ずる、箱のコラージュ。
うわあ〜、いいなあ、ちょっと欲しいかも。と思ったのですが、アーティスト勝本みつるさんという人について何の予備知識もなく、けっこうお値段のはる作品集でしたので、その場では買わなかったのです。
だけどどうしても気になってしまって。勝本みつるさんというお名前さえもうろ覚えだったので、恵文社さんのサイトで探して、いろいろ調べてみましたら(もちろんネットで)、勝本氏が女性だということが判明。
…そんなことも知らなかったわけですが。

それでわかったことは、勝本みつる氏は、アッサンブラージュと呼ばれる立体的なコラージュ作品などを作っておられる方で、本のカバー装画もたくさん手がけていらっしゃるということ。 たとえば小川洋子『薬指の標本』(新潮文庫)、河出書房のModern&Classicシリーズの一冊『年老いた子どもの話』、国書刊行会のボウエン・コレクション(全3巻)の表紙カバーなど。
この作品集については、版元である月兎社さんのサイトで全ページフラッシュで見ることができて(Click!)、見れば見るほど良くて、結局、Amazonで購入とあいなりました。
思わずひきよせられた表紙は、「仕事の周辺」として収録されている写真のなかの一枚で、月兎社さんのブログからの情報(Click!)によると、「アトリエの抽斗に眠る作品の住人候補たち」を撮影したものなのだそうです。

この本におさめられているアッサンブラージュは白い箱のコラージュが中心。グロテスクで残酷な一面をのぞかせながら、不思議に清潔感のあるこれら白い作品群は、見る者に失われた少女期の思い出、何より心の奥底にしまわれたイノセントな場所を想起させます。
わたしは箱のコラージュといったらジョゼフ・コーネルしか知らなかったのだけれど、現代日本でもこんなに美しいものをつくっていらっしゃる方がいるんですね。驚きとともに、嬉しいです。

フランス装にチョコレート色の挿み紙という、瀟洒な造本も魅力の、見ごたえある作品集です。

(*しかもこの本、Amazonでふつうに買ったのですが、何とサインいりだったんですよ! サイン本なんて初めて入手したので、わが目を疑ってしまいました)
(*2009年6月現在、版元の月兎社さん(Click!)では完売。Amazonマーケットプレイスに中古商品が出品されていますが、かなりの高値がついている状態です)

→勝本みつる『study in green 緑色の研究』の紹介はこちら
→チャールズ・シミック 著『コーネルの箱』の紹介はこちら

→Amazon「勝本みつる初期作品集 one day 或る日

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「乙女に贈る本」に興味をもったなら・・・

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