■不思議な本の迷宮

〜アートで美しい本たち〜


架空の商品カタログ、小さな箱の中にとじこめられた宇宙。スコープをのぞくと広がる幻の風景、架空の国が発行する架空の切手。
空想から生まれたオブジェや絵を扱う、アートで不思議な本たちは、装幀も美しく、ギフトにもおすすめです。
さあ、あなたも不思議な本の迷宮に、まよいこんでみませんか?


↓タイトルをクリックすると紹介に飛びます。

▼クラフト・エヴィング商會の本たち

「どこかにいってしまったものたち」

「クラウド・コレクター」

「アナ・トレントの鞄」

▼詩のように美しい、小さな箱

「コーネルの箱」

▼おとぎの国へと導いてくれる、不思議なお店

「アリスの不思議なお店」

「エルフさんの店」

▼スコープ、それは不思議で魔術的なオブジェ

「スコープ少年の不思議な旅」

▼シュルレアリスムの世界への扉

「扉の国のチコ」

▼架空の国の、架空の切手

「葉書でドナルド・エヴァンズに」

「ウィリアム・ブレイクのバット」

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▼クラフト・エヴィング商會の本たち

クラフト・エヴィング商會は、吉田篤弘・吉田浩美の両氏(お2人はご夫婦です)を中心とした制作ユニット。
ユニット名は稲垣足穂の本に出てきた「クラフト・エヴィング的な」という言葉から付けられたそう。 不思議であたたかくて懐かしい、そんな本をたくさん制作しておられます。すばらしい装幀もまた、お2人の手によるものです。


「どこかにいってしまったものたち」

クラフト・エヴィング商會 著(筑摩書房)
どこかにいってしまったものたち
クラフト・エヴィング商會の最初の本。
なので、はじめてクラフトさんの本を買うという方におすすめ。

クラフト・エヴィング商會の先代が商っていたという、今はどこかにいってしまった懐かしい品々を、 残されたパンフレットやパッケージの写真をもとにご紹介、という趣向なのですが。
実は、写真の古びたチラシや商品が入っていた箱など、すべてクラフトさんたちの手づくり。 これらの作品を架空の設定で味わい、空想することを楽しむ本なのです。
すべてが架空のおはなしであることを、明かさないでほしかった、という声もあるようですが、いえいえ。
この一冊で、クラフト・エヴィング商會の紡ぎ出す「架空」にハマること、うけあいです。

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「クラウド・コレクター/雲をつかむような話」

クラフト・エヴィング商會 著(筑摩書房)
クラウド・コレクター―雲をつかむような話
クラフト・エヴィング商會の紡ぎ出す「架空」に興味のある方、またはすでにハマッたという方におすすめ。

クラフト・エヴィング商會の先代・吉田傳次郎が、アゾットという国を旅したときに書きつけた手帳をもとに、 その不思議な国の物語と、傳次郎の心の軌跡が綴られていきます。
傳次郎がアゾットから持ち帰った、おみやげの品々の写真もふんだんに盛り込まれた豪華な本。
そして、これもまた架空のおはなし。
アゾットから持ち帰った美しい品々や、傳次郎が書きつけたという手帳までが、すべてクラフトさんたちの手づくり。
どうでしょう、<AZOTH−アゾット>という、奇妙な名をもつ架空の国を、旅してみたくなりませんか?

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「アナ・トレントの鞄」

クラフト・エヴィング商會 著(新潮社)
アナ・トレントの鞄
昔みた映画の中に登場した、ひとつの鞄。
主人公アナ・トレント嬢が手にしていたその鞄に出会うため、クラフト・エヴィング商會が、ふたたび仕入れの旅に出た――

鞄を探す旅の途上で仕入れた品々を、カラー写真とともに紹介する商品カタログ。さまざまな趣向の本を経て、原点に回帰したような一冊で、 カバーの色も『どこかにいってしまったものたち』を彷彿させる、赤。
ですが、もとどおりの地点に帰ったのではなく、らせんを描いて一つ上の階にやって来た、という感じでしょうか。
このカタログに載っている品々は、『どこかにいってしまったものたち』とは違い、いたってシンプル。 詳細なパンフレットもついておらず、たたずまいも、あっさりとしています。
だからこそ読者は、この本では語られていない、いくつもの物語を空想することができるのです。

驚いたのは、「小窓」という商品が、「コーネルの箱」を想起させるような、小さな箱だったこと。
チャールズ・シミック 著/柴田元幸 訳『コーネルの箱』(文藝春秋)。
この本に載っているコーネルのオブジェ「青い半島に向かって(エミリー・ディキンソンに)」という作品に、イメージがとてもよく似ているのです。
「小窓」の写真を見て、すぐこの作品を思い出し、あっ、と思いました。
そもそも『コーネルの箱』という本は、クラフト・エヴィング商會のつくるオブジェに似た、 ”美しい空想”の匂いがするのに魅かれて、手にとったのでしたから。

クラフト・エヴィング商會のオブジェも、だんだんと、技巧に頼らない、あえて作り込まないものになってきたと感じますが、 コーネルの箱もまた、晩年に近づくにつれ、”空っぽ”になっていったのだと言います。

空っぽ、それはきっと、無限ということ。


無限――語るべき物語を持たない時間。
あなたは自分のささやかな糸ですべてを測っている気がしている。それとも靴紐の切れ端で?
だからこそ、コーネルの晩年の箱は、どれもほとんど空っぽなのだ。
――「世界の果てのホテル」
チャールズ・シミック 著/柴田元幸 訳『コーネルの箱』(文藝春秋)より

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▼詩のように美しい、小さな箱


「コーネルの箱」

チャールズ・シミック 著/柴田元幸 訳(文藝春秋)
コーネルの箱
がらくたを寄せ集めてつくられた、えもいわれぬ美しい箱。
<箱の芸術家>ジョゼフ・コーネルが、収集した様々ながらくたをコラージュして作った箱のオブジェの写真と、 コーネル作品やさまざまな詩作品にインスピレーションを得て書かれたシミックの散文詩が収録された、美しい一冊。

と言っても、わたしはコーネルについてもシミックについてもよく知らず、ただ、小さな不思議な箱の写真に惹かれて、 この本を手にとったのでしたが。
コーネルの箱について、訳者のあとがきには 「人形、白い球、ガラス壜、バレリーナや中世の少年の肖像、パイプ、カラフルな鳥、金属の輪やぜんまいなどを」 「木箱に収めて、小さな宇宙をつくる」とあります。

コーネルがもっとも愛したアメリカ詩人が、エミリー・ディキンソン。
この本には、「青い半島に向かって(エミリー・ディキンソンに)」と題された箱の写真も収録されており、たいへん興味深いです。

「青い半島に向かって(エミリー・ディキンソンに)」という作品は、
白い壁の部屋の中に、
格子、
その格子の向こうに小さな窓が、
青くひろがる空間に向かって開かれた、
とても、とても美しい箱です。

言葉では伝えられない孤独と、静けさと、希望に満ちていて――箱の写真を載せられないのが残念ですが―― ディキンソンの詩を知り、この箱に込められたほんとうの想いが、少しわかったような気がしました。
<箱の芸術家>ジョゼフ・コーネルから、<夢をはらむ孤独者>エミリー・ディキンソンへの、美しいオマージュ。
創造の連鎖。

歓喜とは出て行くこと
内陸の魂が大海へと、
家々を過ぎ――岬を過ぎ――
永遠の中へと深く――

わたしたちのように、山に囲まれて育ったなら、
舟乗りにも分かるでしょうか、
陸地から一里沖へ出た時の
この世ならぬ恍惚が?
亀井俊介 編「対訳ディキンソン詩集―アメリカ詩人選(3)」
(岩波文庫)より

→エミリー・ディキンソンの本の紹介はこちら
→『コーネルの箱』に興味のある方に:勝本みつるの本の紹介はこちら

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▼おとぎの国へと導いてくれる、不思議なお店


「アリスの不思議なお店」

フレデリック・クレマン 著/鈴村和成 訳(紀伊國屋書店)
アリスの不思議なお店
世にもふしぎなものを売る、ふしぎなお店の女の子、アリス。
アリスの誕生日の贈り物にするため、フレデリック・チック・チックと名乗るふしぎなものの行商人が、とっておきの品々を、次から次へと取り出します。
「ピノキオの鼻の先っぽ」「シバの女王のまつげ」「星の王子さまの影」「セイレーンの髪の毛」「白雪姫の口紅とおしろい入れ」に、眠れる森の美女が指をついた、「糸巻き棒の木のとげ」まで…。

この本は物語ではなくて、おとぎの国から届いた不思議な商品のカタログ。 なんと、すべての品物をかたどったオブジェが、写真、絵、文章、コラージュの技法を駆使して紹介されているのです。
不思議な品物のオブジェを写真つきで紹介する…といえば、日本でおなじみなのは上記のクラフト・エヴィング商會ですよね。 クラフト・エヴィング商會ファンの方なら、きっと気に入るに違いない、美しい夢のカタログです。

オビの紹介文によると、この本はもともと、画家・絵本作家であるフレデリック・クレマンが、自分の娘のためにつくった誕生日プレゼントで、評判を得て出版されたものなのだとか。
装幀がすばらしく、函入りで、函のまんなかの四角い穴から、美しい天使の絵がのぞいています。 そっと取り出すと本体は白、原題と著者の名前が箔押しされていて、標題紙も原題が印刷された薄紙から、邦題の刷られた次のページが透けて見える仕組みになっていて…と、とにかく凝りに凝っています。

めくるめく夢の世界に遊ぶことのできる、とても美しい一冊。最後の一文からは、作者の、娘へのあふれる愛情が感じられます。
こんな素敵な本、誰かにプレゼントされてみたい!です。
1996年度ボローニャ国際児童書展ラガッツィ賞受賞作品。

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「エルフさんの店」

ファンタジックショップ
高柳佐知子 著(フェアリー書房)
エルフさんの店
エルフさんの店といっても
だれもエルフさんという人を知りません。
お店にはいつも、たのしそうに
軽々と飛び歩いている女の子がいます。
「気まぐれ屋」には
なにがあるか行かないと
わかりません。

『エルフさんの店』11ページより

「エルフさんの店」(1976年)と、「トウィンクルさんの店」(1977年)、30年前に出版された2冊の絵本を、一冊にまとめて再刊した絵本。
この絵本のなかには、ちいさな、けれどもとても不思議なお店が、いくつも紹介されています。

見開きに、ひとつのお店。繊細なタッチで、すみずみまで細かく描きこまれたお店の絵と、著者の手書きのテキストで、お店の様子を詳しく説明してあります。
上記引用のエルフさんの「気まぐれ屋」からはじまって、「ゆめ屋」「風屋」「時屋」「小箱屋」「地図屋」・・・著者の空想から生まれたお店たちの、なんと魅力的なこと!
わたしはこの本を、とても時間をかけて読んだのですが、それというのも、いたるところにさまざまな物語の断片が散りばめられていて、ページを繰るたび、心がおとぎの国へと彷徨っていくからなのです。
赤毛のアン、メアリー・ポピンズ、クマのプーさん、たんぽぽのお酒、秘密の花園、指輪物語などなどの物語世界が、著者の心のなかでひとつのおとぎの国になっていて、たくさんのお店たちは、その国のなかにあるのです。
だってミラーさんの「りんご屋」では、ギルバートがアンの机の上にこっそり置いたりんごが売られているし、「風屋」さんではヨークシャのムアに吹く風が、「地図屋」さんでは中つ国やホビット庄の地図が並んでいるのです。

現実にはないものを売っている、心の中でしか行けないこれらのお店たちは、著者があとがきで書いているように、「世の中がどんなに変わってもつぶれたりする心配はありません」。

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▼スコープ、それは不思議で魔術的なオブジェ


「スコープ少年の不思議な旅」

文 巖谷國士 /作品 桑原弘明(パロル舎)
スコープ少年の不思議な旅
これは、凄い本です。というか、この本で紹介されている「スコープ」作品が、凄いのです。
掌にのる程度の、四角い小さな箱。その箱からは細い筒が出ていて、先端のレンズから覗くと、最初は暗くて何も見えません。
ところが箱の側面の小さな穴から懐中電灯の光をあてると、不思議に懐かしい部屋や庭などの光景が見えてきます。
凄いのは、この光景が、写真や絵ではなくて、箱の中におさめられた小さなオブジェなのだ、ということです。
掌にのる程度の箱の中におさまる、部屋や庭のオブジェ…ひとつひとつ、手作りの…しかもそれを、スコープで覗く…。
それだけでも凄いのですが、極めつけは、光を強めたり弱めたり、別の穴から光を当てたりすると、なんと、箱の中の光景が、 朝や昼や夜、また燭台に灯がともったり、扉の向こうの景色が見えてきたりと、さまざまに変化するのです!

うわ〜、なんだろう、この奇妙で素敵で魔術的なオブジェは!

「スコープ」オブジェを作っているのは、アーティスト桑原弘明氏。
この本で初めてそのお名前と、作品の素晴らしさを知りました。
たくさんの「スコープ」が写真で紹介されていて、思わずじっと見入ってしまうのですが、 惜しむらくは、それぞれの作品の光による変化を、もっと見せてほしかったなあ、ということでしょうか。
もっと「スコープ」を覗いてみたい、と思ってしまうのは、作品にとてつもない魅力があるから。
こんなオブジェと、こんな凄いものを作る人が、この世界に存在するということが、まさに驚異だと感じました。

巖谷國士氏による作品解説をかねた、物語ふうのテキストも示唆に富んでいて、スコープのレンズの向こうがわへの不思議な旅へと、読者を誘ってくれます。
 ノスタルジアとは、源にもどろうとする心の傾きのことをいう。郷愁という訳語は正確ではない。源とは、すでに見知っている故郷のことではないからである。源は幼年時代のかなたにのぞまれるおぼろな場所、ときには存在しない地点なのである。
『スコープ少年の不思議な旅』より
スコープ作品「ノスタルジア」に寄せられた文章から抜粋

→『Scope 桑原弘明作品集』の紹介はこちら

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▼シュルレアリスムの世界への扉


「扉の国のチコ」

巖谷國士 文/上野紀子 絵/中江嘉男 構成(ポプラ社)
扉の国のチコ
巖谷國士氏は、仏文学者、評論家。たとえばアンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言;溶ける魚』(岩波文庫)の翻訳や、現代日本のアーティスト桑原弘明氏のスコープ作品を紹介する『スコープ少年の不思議な旅』のテキストなどを手がけていらっしゃいます。
上野紀子氏と中江嘉男氏は、コンビで数多くの絵本を発表。なかえよしを 作/上野紀子 絵による"ねずみくんの絵本"シリーズなどがよく知られています。
この三人のコラボレーションで生み出された『扉の国のチコ』は、日本に初めてシュルレアリスムを紹介した、有名な美術評論家であり詩人でもある、瀧口修造へのオマージュとも呼べる一冊。

生まれつき目がよく見えず、悲しい思いをしていた少女チコは、遠くのものを大きく見せる望遠鏡で見つけた、扉のむこうがわの国へと旅をします。 扉の国には年老いたひとりの旅人がいて、チコにいろんな不思議なものを見せてくれるのです。
この年老いた旅人こそ、瀧口修造その人。
そしてチコが目にする不思議なものたち、瀧口家の庭でとれたオリーヴの実の壜づめや、書斎で語りあうオブジェたち、焼けこげの穴がたくさんあいた本、マルセル・デュシャンの「大ガラス」「フレッシュ・ウィドウ」などなどは、 すべて実際にあるオブジェをもとに描かれているのです。
巖谷氏、上野氏、中江氏の3人が、1979年7月1日に亡くなった瀧口修造への思いを込めて作り上げた絵本。 物語の最後には、瀧口修造の詩作品「遺言」が、草稿そのままに引用されてもいます。

またこの絵本の装幀についてですが、”黒い絵本”とでも言うべきデザインで、表紙も中身も黒地、テキストが白抜きになっています。
見返しは赤い地に、なんだか奇妙な模様が刷られているのですが、これはもしかして、瀧口修造のデカルコマニー(ガラスなどの表面に絵の具を塗り、別のガラスや紙を上に重ねて転写する技法で描かれた絵で、瀧口修造のそれはとても神秘的な印象)をもとにしたデザインなのかな、と思うのですが。
同じく巖谷國士氏がテキストを手がけた『スコープ少年の不思議な旅』もこれと同じような装幀で、見返しは赤地に、桑原弘明氏のスコープの表面に施されたものと似た模様が刷られていましたから。

チコがとおりぬけた扉のように、きっと、この絵本はすべての読者にとって、瀧口修造とシュルレアリスムの世界への扉となることでしょう。
そういえばこの絵本の中で、紙をこがすバーント・ドローイングをほどこされた穴のあいた本について、このように書かれていました。
「そう、本もまた扉ですからね。穴をのぞくこともできれば、ひらいて見ることもできます。ほら、ね!」
 老人がそういうと、本の扉がさっとひらかれ、また新しい光景があらわれました。

『扉の国のチコ』14ページより

*瀧口修造のデカルコマニーについては、よく知らなかったので、詳しい友人にいろいろと教えてもらいました。ありがとう!

→『スコープ少年の不思議な旅』の紹介はこちら

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▼架空の国の、架空の切手


「葉書でドナルド・エヴァンズに」

平出 隆 著(作品社)
葉書でドナルド・エヴァンズに
真っ白な表紙カバー。まんなかにぽつんと、青っぽい、一枚の四角い切手。その下に、銀色に箔押しされたタイトルと、著者の名前。
そして帯に、こんな言葉。
  架空の切手の、
 架空の国への、
ほんとうの旅
ぱっと見た感じでは、実にそっけない佇まい。この本は読んでみて初めてその真価がわかる、素晴らしい一冊です。

著者の平出 隆氏は、現代日本の詩壇を代表する詩人。
ドナルド・エヴァンズというのは、切手に魅せられるあまり架空の切手を描くようになり、やがて架空の切手を発行する架空の国、その国の通貨、国旗、紋章、宗教まで創造した、夭折の画家。
そんな画家、現実にいたのだろうか? と思わせますが、どうも、いたようです。
平出氏は、この画家につよく憧れ、彼の足跡をたどる旅に出て、旅の途上、「葉書でドナルド・エヴァンズに」、短い日記を送りつづけます。 その葉書を一冊にまとめたものが、この本、という次第。
詩人が、今は亡き風変わりな画家にあてて発信した葉書。もちろん、画家の手になる架空の切手を貼って。
なんて素敵な趣向でしょう。
わたしははじめ、ドナルド・エヴァンズの切手の図版がたくさん載っていることを期待して、この本を手にとったのでしたが、図版のページは、ほんのわずか。
あとは文章ばかりで、ちょっとがっかりしながら読み始めたのでしたが、がっかりしたなんて、詩人の選び抜いた言葉に対して、失礼でした。

余白の白さが目立つ本文。まさにこの余白にこそ意味があって、白い空間の静謐が、ひとつ葉書を読むたびに、次へ次へとページを繰らせるのではなく、少しの間、立ち止まらせてくれるのです。
そうしてその少しの間に、エヴァンズの創り出した、切手の向こう側の世界に、思いをはせることができるのです。
読み終えたときには、詩人と一緒に、架空の国を旅した気分に浸れます。詩人の文章の、この素晴らしさ。

最後、エヴァンズが行こうとして行けなかったランディ島、独自の切手を発行する「世界からまったく離れた世界」へと、詩人が船で渡り、そこで偶然、日没の瞬間まれにしか見られないという、 緑閃光を目にする場面など、ほんとうに完成された詩的な世界と感じました。

ドナルド・エヴァンズの描いた、架空の切手。
それは架空の世界を覗き見るための、ちいさな窓。
まだまだエヴァンズの世界も、平出氏のことも、理解したわけではないけれど、この本の中に閉じ込められた空気、その清々しさ、その静けさに、とても心惹かれます。
さようなら、ドナルド。ぼくはいま旅立ったところだ。世界へ、世界から。すべてはまるで違っていて、親しいドナルド、ぼくにもすべてがあたらしい。

「葉書でドナルド・エヴァンズに」より

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「ウィリアム・ブレイクのバット」

平出 隆 著(幻戯書房)
ウィリアム・ブレイクのバット
いろいろな雑誌に数年にわたって発表された、詩人・平出 隆氏によるエッセイを、一冊にまとめた本。
「葉書でドナルド・エヴァンズに」について書かれた「glad day」、著者の愛する野球について芸術という切り口から語った「ball, bat & art」、42歳を過ぎての運転教習にまつわる話「kafka's drive」の、3章構成になっています。
「葉書でドナルド・エヴァンズに」は、完成された詩的な世界だと感じましたが、こちらは、親しみやすく肩のこらない読み物という印象。 しかしこれが、かなり凝った体裁の一冊になっているのです。

まず装幀が綺麗。
白いカバーをはずすと渋い緑の表紙、カバーの真ん中に、ビール瓶のラベルのように本のタイトルと著者の名前がレイアウトされています。 「ウィリアム・ブレイクのバット」の絵も配置されているのが素敵です。
次に、収録されている図版の数々。
ドナルド・エヴァンズの切手が貼られた絵葉書の体裁になっている図版のページが、けっこうたくさんあって、著者が撮った写真や、ウィリアム・ブレイク、ラウル・デュフィなどの絵が、 しゃれた感じにレイアウトされています。

そして何より、詩人の書くエッセイというものの素晴らしさ。
とくに印象深かったのが、「ball, bat & art」の章です。
著者のこよなく愛する野球。けれどもわたしは野球にこれといって興味はなく、ページを繰る前は、面白く読めるものなのかな? などと思っていたのですが、これは杞憂でした。
野球を愛する詩人は、ベースボールを芸術や美学、詩学ともいうべき切り口から語りなおし、スポーツとしての野球に興味のない読者をも、ひきつけてしまうのです。
たとえば表題にもなっている「ウィリアム・ブレイクのバット」について。
ウィリアム・ブレイクといえば、詩人でもあり挿絵画家でもあった人物。独自の神秘思想を展開し、「無垢の歌」「経験の歌」などを著した芸術家だということは有名ですが、はたしてベースボールとどのような関係が?
著者は野球を愛するあまり、打撃の道具にひかれ、さらに古今の美術作品の中に、その種の図像を見つけては過敏に反応してしまうのだといいます。 著者が見つけた「ウィリアム・ブレイクのバット」とは、ブレイクの詩集『無垢の歌』のなかの「こだまする緑の原」という詩に、ブレイク自身が添えた図版。この図版の中に、バットを持った少年が描かれているのです。
ブレイクの絵にエヴァンズの切手が配された図版とともに、著者はブレイクとベースボールについて、難解にならない程度に語り聞かせてくれます。
これがとても面白いのです。野球をこんな視点から見たことはなかったし、ブレイクのみならず、さまざまなアートとからめて語られるベースボールは、神話のように魅力的です。

こんなふうに感じられるのは、詩人の文章に、純粋な喜びがにじみ出ているから。
けっして理屈っぽくなく、小難しくなく、ただただ野球が好きで、芸術が好き、それだけという印象なのです。
知識をひけらかすような感じ、わざとアカデミックに書いているという感じが少しもせず、読んでいてほんとうに純粋に面白いのです。
知識をたくさん持っていて、芸術に造詣が深くて、その上で、こんなふうに素人にでも語りかけられる人というのは、稀有なのではないか、と思えました。
平出氏は大学で講義もされているとのこと、こんな先生に教わってみたかったなあ、などとも考えてしまいました。

誰でも気軽に読めるエッセイだからこそ、詩人ならではの言語感覚の鋭さや、風景の切りとり方、その手並みの鮮やかさに、はっとさせられる一冊。
ユーモアもたっぷりで、気取りのない著者の人柄も感じられ、とても楽しい読書体験になりました。

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「不思議な本の迷宮」に興味をもったなら…

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