〜かぎられた、小さな、すばらしい世界〜
このページでは、わたしの好きな詩人、エミリー・ディキンソンを紹介します。 ディキンソンは、19世紀のアメリカに生きた女性詩人。 みずみずしい感性を秘めたその詩は、現代を生きるわたしたちに生き生きと語りかけてきます。 詩をあまり読まないという人にも、難しく考えずに親しんでもらえればと思います(^-^) |
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●エミリー・ディキンソン関連書籍 |
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「希望」は羽根をつけた生き物――
魂の中にとまり―― 言葉のない調べをうたい―― けっして――休むことがない―― そして聞こえる――強風の中でこそ――甘美のかぎりに―― 嵐は激烈に違いない―― 多くの人の心を暖めてきた 小鳥をまごつかせる嵐があるとすれば―― わたしは冷えきった土地でその声を聞いた―― 見も知らぬ果ての海で―― けれど、貧窮のきわみにあっても、けっして、 それはわたしに――パン屑をねだったことがない。 亀井俊介 編『対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選(3)』(岩波文庫)より |
成功をもっとも心地よく思うのは
成功することのけっしてない人たち。 甘露の味を知るには 激しい渇きがなければならぬ。 今日敵の旗を奪った くれないに映える軍勢の誰ひとりとして 勝利とはいかなるものか はっきりと定義することはできぬ 戦いに敗れた兵士――死に瀕し―― 聞こえなくなっていくその耳に 遠くの勝ち誇った歌声が はっきりと苦悶にみちてどよめく兵士ほどには! 亀井俊介 編『対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選(3)』(岩波文庫)より |
「対訳 ディキンソン詩集」アメリカ詩人選(3)亀井俊介 編(岩波文庫)初めてのディキンソン詩集として、おすすめの本。
50篇の詩が、対訳のかたちで収録されており、訳注も付されているので、 ディキンソンの原詩を、わかりやすく味わうことができます。 編者による「まえがき」には、ディキンソンの生涯や、ディキンソンの生きた時代背景、詩法についての解説などが述べられていて、 収録作品を味わう上での参考になります。 →Amazon「対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)」 |
宝石を手にして
私は眠った その日は暖かく 風も普通で 私はいった 「これなら大丈夫」 目をさまして 正直な手を叱った 宝石は消えていた 今はただ 紫水晶(アメジスト)の思い出だけが 私のすべて 新倉俊一 訳編『ディキンスン詩集 海外詩文庫 2』(思潮社)より |
私は可能性のなかに住んでいる
散文より立派な家に 窓かずもずっと多く 戸も一層すぐれている それぞれの部屋には 目も侵せない西洋杉 永遠の屋根には 空の切妻屋根―― 訪問者は美しいひとびとだけ そしてわたしの仕事は この小さい手をいっぱい広げて 天国をつかむこと 新倉俊一 訳編『ディキンスン詩集 海外詩文庫 2』(思潮社)より |
「ディキンスン詩集」海外詩文庫 2新倉俊一 訳編(思潮社)160頁に235の作品を収録。値段も手ごろで、お買い得の一冊。
4人の訳者による訳が収録されており、古風な雅文体の訳詩もあり。翻訳スタイルの変遷を眺めることができ、 訳詩ということについても考えさせられます。自分の好みの訳詩スタイルを見つけるのも楽しみのひとつ。 巻末のアレン・テイトによる詩人論や、編者解説も読み応えたっぷりの、充実した内容です。 →Amazon「ディキンスン詩集 (海外詩文庫)」 |
水は のどの渇きが教えてくれる。
陸は 越えてきた海が 恍惚は 苦痛が 平和は 戦いの物語が 愛は 記念の肖像が 鳥は 雪が―― 中島 完 訳『自然と愛と孤独と 詩集[改訂版]』(国文社)より |
百年の後は
その場所を知る人もない そこでなされた苦悩も 今は平和のように静か 雑草が誇らしげに肩を並べ ときおり道に迷った旅人が もう遠い死者の 寂しげな墓碑の綴り字を探った 夏の野を過ぎる風だけが この道を思い出す 本能が 記憶の落していった鍵を拾う 中島 完 訳『自然と愛と孤独と 詩集[改訂版]』(国文社)より |
自然と愛と孤独と 詩集<全4冊>E.ディキンスン 著/中島 完 訳(国文社)本格的にディキンソンの詩の世界を味わいたい方に。
単行本ハードカバー、全4冊のシリーズです。 「自然」「愛」「人生と死」という、3つのテーマに分けてディキンソンの詩が収録されており、 詳細な訳注により、制作年代や、語句の変遷、さまざまな評論家の解釈に触れることもできます。 第一集の巻頭には、ディキンソン兄妹の肖像画・墓地・遺稿の写真あり。 →Amazon「自然と愛と孤独と ― ディキンスン詩集」 |
ことば
口にだしていうと ことばが死ぬと ひとはいう まさにその日から ことばは生きると わたしがいう 川名 澄 編訳『わたしは誰でもない エミリ・ディキンソン詩集』(風媒社)より |
夜明け
いつになったら夜明けが来るかわからなくて わたしが開けている すべての扉 夜明けには 鳥のように翼があったり 岸辺のように波があるかしら 川名 澄 編訳『わたしは誰でもない エミリ・ディキンソン詩集』(風媒社)より |
「わたしは誰でもない」エミリ・ディキンソン詩集川名 澄 編訳(風媒社)2008年4月発行、もっとも新しいディキンソンの訳詩集。
収録作品は全62篇。巻末にエミリ・ディキンソン略年譜があります。 2行から8行ほどまでの短詩のみが選ばれており、訳には原詩の韻やリズムを伝えるための工夫が感じられます。 見開きの右ページに原詩、左ページに訳詩がレイアウトされ、表紙カバーなどの装幀は、ディキンソンの好んだ白が基調となっており、すっきりと美しいです。 読みやすい短詩ばかりの詩集なので、ディキンソンの詩に初めて触れる読者にも、手にとってみてほしい一冊。 →Amazon「わたしは誰でもない―エミリ・ディキンソン詩集」 |
エミリー・ディキンソン Emily Dickinson
生前に発表した詩は、わずか10篇。 無名のまま生涯を閉じたエミリー・ディキンソンは、米北東部ニューイングランドで生まれ育ちます。 しかし彼女は、その生涯の大部分を、アマーストの家の中で過ごしました。 彼女の詩集を編集した批評家、トマス・ウェントワース・ヒギンソンヒギンスンは、彼女を処女隠遁者(ヴァージンリクルース)と呼びましたし、『ディキンスン詩集 海外詩文庫2』収載の、アレン・テイトによる詩人論には、「彼女ほどに、詩人すなわち詩である、ということがあてはまる詩人は他にいない」と書かれています。 ディキンソンの謎めいた隠遁は、彼女の詩の読者にとって、けっして無視できない事実でしょう。 参考までに、ディキンソンの生涯について、簡単な年譜をのせておきます。 |
1830年 12月10日、米マサチューセッツ州アマーストの旧家に生まれる。 1840〜47年 アマースト・アカデミーに在学。 1847年〜48年 マウント・ホリョーク女子セミナリーに入学、寮生活を経験するが、気管支炎や精神的疲労もあり、一年間で退学。 以降、静かに家事を手伝う生活に入る。 この頃アマーストはピューリタン・リバイバル運動の最中であり、厳しい校風のマウント・ホリョークでは生徒たちに信仰告白をせまった。 しかしエミリーには、どうしてもそれができなかった。 1848〜49年 父の法律事務所の見習生ベンジャミン・ニュートンより、文学上の影響を受ける。 彼はエミリーに文学への関心をもたせ、詩作を励ました。 1850年
ピューリタン・リバイバル運動により、この夏、多くの人たちとともにエミリーの父も信仰告白を行う。 エミリーひとりが抵抗を続け、世間から白眼視された。 1855年 2月〜3月、父、妹とともにフィラデルフィアを訪問。 滞在中、彼女が恋したとされる牧師チャールズ・ワズワースに出会ったと言われている。 1860年 3月、ワズワース牧師がアマーストにエミリーを訪ねる。 この頃より本格的な試作が始まる。 父の友人で、のちにマサチューセッツ最高裁判事となったオーティス・P・ロードを知る。 彼もまた、エミリーの恋の相手とされる。 1862年 4月15日、批評家トマス・ウェントワース・ヒギンソンに手紙を書き、自作の詩4篇を同封して、批評を乞う。以降、彼との文通は生涯続けられた。 6月、ヒギンソンから才能は認めるが出版を遅らせるよう言われ、このことが彼女が生涯出版を断念するきっかけとなる。 1863年 この頃までに、終日白いドレスを着て家にひきこもり、誰とも会わない隠遁の傾向が常習化、家族が案じ始める。 またこの年より翌年にかけて眼を痛め、一時、失明をひどく恐れる。 1870年 8月16日、ヒギンソンがアマーストに彼女を訪ねる。すでに隠者のような暮らしを送っていた彼女との面会について、 ヒギンソンは「これほど神経がすりへるひとと話したことはない」と数日後手紙で妻に洩らしている。 1874年 6月19日、父が急死。 1875年 5月、母が脳卒中で全身麻痺となり、以後エミリーの世話を受ける。 1877年 12月、オーティス・P・ロードの妻が亡くなる。この後ロードとエミリーとは一時恋愛関係にあり、 80年代のはじめには結婚について話し合ったといわれる。 1882年 4月1日、ワズワース牧師死去。 11月14日、母が死去。 1884年 3月13日、オーティス・P・ロード死去。 6月14日、エミリーが過労で倒れる。 1885年 11月、腎臓炎の病状が悪化する。 1886年 5月15日、死去。 死後、妹ラヴィニアが、姉の箪笥の抽斗に入っていた、46束もの詩稿を見つける。 1890年 11月12日、Poems, Mabel Loomis Todd & T.W.Higgenson 編が刊行される。 1955年 The Poems of Emily Dickinson, Thomas H.Johnson 編が刊行される。 ※この年譜は、 |
わたしがエミリー・ディキンソンに出会ったのは、詩が特別好きだったからではありません。
いろんな本とめぐりあうことによって、興味が自然に向いていったのです。本との出会いはつながっていくもの。
わたしたち読者をエミリー・ディキンソンの詩の世界へと導いてくれる、素敵な本たちをご紹介します。 |
「エミリー」マイケル・ビダード 作/バーバラ・クーニー 絵/掛川恭子 訳(ほるぷ出版) |
ターシャ・テューダーの本「ターシャ・テューダーの世界」
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ターシャ・テューダーは、おりにふれてエミリー・ディキンソンの詩を引用しています。
「ターシャ・テューダーの世界」では、ターシャが詩人の言葉をひきながら書物について語っており、ディキンソンへの興味が深まりました。 また「心に風が吹き、かかとに炎が燃えている」「ローズマリーは思い出の花」には、ディキンソンの詩の数篇に、ターシャが絵を添えています。 ちなみに、邦訳版は刊行されていませんが、洋書にEmily Dickinson 詩/Tasha Tudor 絵「A Brighter Garden: Poetry」という詩画集があります。 わたしは英語はまったく駄目なので、読んだことはありませんが、興味のある方はアマゾン等で検索してみてはいかがでしょう? →Amazon「ターシャ・テューダーの世界―ニューイングランドの四季」 |
「コーネルの箱」チャールズ・シミック 著/柴田元幸 訳(文藝春秋) |
がらくたを寄せ集めてつくられた、えもいわれぬ美しい箱。
<箱の芸術家>ジョゼフ・コーネルが、収集した様々ながらくたをコラージュして作った箱のオブジェの写真と、 コーネル作品やさまざまな詩作品にインスピレーションを得て書かれたシミックの散文詩が収録された、美しい一冊。 コーネルがもっとも愛したアメリカ詩人が、エミリー・ディキンソンです。 エミリー・ディキンソンへ捧げられた箱の写真も収録されており、たいへん興味深いです。 ディキンソンの詩がコーネルの箱に似て、秘密がしまってある箱だとしたら、コーネルの箱はディキンソンの詩に似て、 出会いそうもない物たちが出会う場である。 『コーネルの箱』所収「エミリー・ディキンソン」より →Amazon「コーネルの箱」 |
「エミリ・ディキンスン家のネズミ」エリザベス・スパイアーズ 著/クレア・A・ニヴォラ 絵/長田 弘 訳
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19世紀アメリカに生きた女性詩人、エミリ・ディキンスン。
生前に発表した詩は、わずか10篇。無名のまま生涯を閉じ、その人生の大部分を、ニューイングランド、アマーストの家の中でひきこもるように過ごした、なぞの女性。 しかし彼女が箪笥の抽斗にしまっていた46束もの詩稿は、彼女の死後、妹ラヴィニアの手によって世に出ることとなり、いまやエミリ・ディキンスンは、アメリカを代表する詩人のひとりに数えられています。 もし、そんなエミリの詩の数々が、ディキンスン家に住み着いた一匹の白ネズミと、エミリとの交流によって生まれたものだとしたら…。 このちいさな本には、そんな愛らしい着想で描かれた、ファンタジーとも言える物語がおさめられています。 ですが、引用されているエミリの詩は長田 弘氏の訳しおろしたもので、ひとつひとつのエピソードは事実に即しており、エミリ・ディキンスンの詩の世界への入門書としてもおすすめ。 エミリの部屋の壁穴に住み着いた白ネズミ、エマラインの詩(著者スパイアーズの手になる詩)も挿入されていて、これがまた素敵なのです。 クレア・A・ニヴォラによる、表紙のエマラインがなんとも愛らしい! 中の挿絵は繊細ななモノクロの線画で、物語とよく調和しています。 一つの心が壊れるのをとめられるなら 『エミリ・ディキンスン家のネズミ』16ページより、 →Amazon「エミリ・ディキンスン家のネズミ」 |
エミリー・ディキンソンの詩の世界に興味をもったなら…