■岸田衿子の本

〜少女のようで、おばあさんのような〜



岸田衿子さんの詩は、不思議です。
言葉はやさしく、わかりやすいのだけれど、感受性のつよい少女が書いたようで、でもとても年取ったおばあさんが書いたような、独特の味わい。どこか異国情緒があって、中世の鐘の音や音楽が、かすかに響いてくるような…。
生活臭のしない、慰撫の空間を作り出しているようでいて、凛として、はっとするような怖さも潜んでいる。
このページでは、詩集と、詩作の秘密が垣間見えるエッセイをご紹介。また参考までに岸田さんの翻訳された絵本をあげておきます。



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著者紹介

「ソナチネの木」

「いそがなくてもいいんだよ」

「たいせつな一日」

「草色の切符を買って」

参考:岸田さんの翻訳された絵本



▼著者紹介


岸田衿子 ― きしだ えりこ ―

詩人、童話作家。
1929年、東京生まれ。東京藝術大学油絵科卒。父は劇作家、フランス文学者の岸田國士。妹は女優の岸田今日子。
画家を志すも結核を患い、北軽井沢の山小屋で療養生活。のち詩人となる。絵本の翻訳や、アニメのテーマソング(アルプスの少女ハイジ「おしえて/まっててごらん」、赤毛のアン「きこえるかしら/さめない夢」等)の作詞も手がける。
主な詩集に『ソナチネの木』(青土社)、『忘れた秋』(書肆ユリイカ)、『あかるい日の歌』(青土社)、絵本作品に『ジオジオのかんむり』『かばくん』『きいちごだより』(すべて福音館書店)などがある。

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▼ソナチネの木


海をわたるために
姿のよい乗り物をつくる
曲線と直線が 天で結ばれた
うつくしい舟


草をわけて 続く道と
みえない空の道が
どこかで 出逢いそうな日
モーツアルトの木管がなっている


雪の林の奥では
立ちどまってはいけません
歩いていないと
木に吸い込まれてしまうから

岸田衿子 著『ソナチネの木』(青土社)より


「ソナチネの木」

岸田衿子 著/安野光雅 絵(青土社)
ソナチネの木
岸田衿子さんの詩と、安野光雅氏の絵とが融和した、詩集でもあり絵本でもあるような、美しい一冊。
詩人、童話作家であり、『のばらの村のものがたり』など絵本の翻訳でも知られる岸田さんの短詩(四行詩)は、平易な言葉でありながら深く、美しく、心の奥底に響いてきます。
安野光雅氏の絵は、幻想的で、音楽的で、なんとも不思議な味わい。おそらくは古めかしさを演出するために、黄ばんだ紙に描かれた絵は、砂漠に埋もれた岩壁に、古のひとびとが遺した壁画のよう。
そして紙の向こうにはうっすらと、楽譜が透けて見えるのです。
どこか遠くから聞こえる、かすかな旋律のように。
装幀もとても凝っていて、テキストはまっすぐに並んでいるだけではなく、ぐにゃりと曲がっていたり、逆さまになっていたり、絵の外に転がり出ていたりするのです。

この本の中に入ってゆくと、時を刻む砂に埋もれた遠い日々が、慕わしく甦ります。

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▼いそがなくてもいいんだよ


棗のうた

まいばん棗を一つずつ喰べたので
まいばん棗が一つずつ減りました
もしも 棗が一つもなくなったら
わたしはなにをして
夜をすごせばよいのでしょう

時計塔の下で一目惚れする恋もなく
泣く泣く別れを惜しむ 古里もなく
              小犬もなく

まいばん棗は一つずつ減って
まいばん夜更けは一つずつ去って
わたしは最後に一つの棗を喰べました

岸田衿子 詩『いそがなくてもいいんだよ』(童話屋)より


「いそがなくてもいいんだよ」

岸田衿子 詩(童話屋)
いそがなくてもいいんだよ
『ソナチネの木』を読んで、岸田衿子さんの言葉に惹かれるものを感じ、『たいせつな一日』とともに購入した詩集です。
『たいせつな一日』と同じく、『忘れた秋』『あかるい日の歌』『ソナチネの木』などの既刊詩集から編まれたアンソロジー。そのため、この2冊の詩集のうちには重複して収録されている作品もあります。

『いそがなくてもいいんだよ』は、こぶりの文庫サイズのハードカバーという、かわいらしい装幀の、童話屋の詞華集シリーズのなかの一冊です。
収録されている詩は、短くて読みやすいものが多く、どれも岸田さんの代表的な、珠玉の作品ばかり。
ところどころ、古矢一穂さんの、繊細で美しい草花の絵がそっと添えられています。
この本は鞄の中に入れて持ち歩きやすいサイズなので、詩人の言葉に身近に親しむのに、適した一冊ではないでしょうか。

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▼たいせつな一日


われもこう

うたをうたうのはわすれても
ゆうぐれののべの花は目にのこります
都をでて 中仙道をバスにのって
バスをおりてから 橋をわたり
手をふった人の顔をわすれても
のべのほくろのような
えんじ色の花が 目にのこります
川の音が とおくなり
きのうの電話の声をわすれても
のべには のべのしずけさあふれ
花々に 花々のつぶやきあふれて
わたしは わたしを見失います

『たいせつな一日 岸田衿子詩集』(理論社)より


「たいせつな一日」

岸田衿子詩集
水内喜久雄 選・著/古矢一穂 絵(理論社)
たいせつな一日―岸田衿子詩集 (詩と歩こう)
『ソナチネの木』を読んで、岸田衿子さんの言葉に惹かれるものを感じ、『いそがなくてもいいんだよ』とともに購入した詩集です。
『いそがなくてもいいんだよ』と同じく、『忘れた秋』『あかるい日の歌』『ソナチネの木』などの既刊詩集から編まれたアンソロジー。そのため、この2冊の詩集のうちには重複して収録されている作品もあります。

『たいせつな一日』は、A5判型の単行本で、理論社の「詩と歩こう」というシリーズのなかの一冊。やはり古矢一穂さんによる細密な草花の絵が添えられています。
そしてこの本の表紙の美しい花模様は、岸田さん所有のスピネット(小型チェンバロ、製作:野村満男氏)に描かれた絵なのだそうです。
このアンソロジーには、「十二か月の窓」と題する章があり、「スノードロップ」「クローバー」「ひなげし」など、木や草花をうたった詩が多く収録されています。
また巻末には選著者の水内喜久雄さんによる「岸田衿子さんをたずねて」という文章があり、これがとても興味深いです。
この文章のなかで岸田さんは自身のことをこう語っています。「大人の詩人だったら海や山と自分の距離をうたうのが好きみたい。私の場合、向こう側に行ってしまうほうが書きやすい」「たぶん、私は対象のなかに入りやすいのでしょう」
なるほど岸田さんの詩の不思議な味わいの秘密は、そこにあるのかなと感じたことです。

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▼草色の切符を買って


 こんな花の続く道を、どんどん歩いて行くと、一度や二度は狐にだまされるでしょう。見覚えのない三叉路などに出て、方向をたしかめて川のよこの道へ出ようとしても、どうしても出られません。 戻ってみると、もう、三叉路がないのです。こうしてうろうろしているうちに、そこに見覚えのある木があって、なんだ、ということになります。買い物の帰り道でも、こういう目に逢います。 狐にだまされてみたい、と思っているかたには、おすすめできる道です。べつに、狐にだまされたことで、困ったとか、悪いことがおこるわけではなく、食事の支度にさえ間に合えば、二時間ぐらい迷ったことで、こりごりしたと思う人はあまりいないのではないでしょうか。

岸田衿子 著『草色の切符を買って』(青土社)所収「シロコビトと狐」より抜粋


「草色の切符を買って」

岸田衿子 著/古矢一穂 絵(青土社)
草色の切符を買って
岸田衿子さんの言葉に惹かれ、詩集に続き購入したエッセイ集。だって、『草色の切符を買って』というタイトルだけでも、思わず欲しくなってしまいませんか?
この本には、主に「上・信国境に近い、六里ヶ原周辺について書いたもの」(あとがきより)がまとめられています。岸田さんは、一年のうちほとんどを、北軽井沢大学村の山小屋で過ごしているのだそうで、ここにまとめられた文章から、山暮らしの様子を知ることができます。

文章を読んでいると、木々の緑のにおい、山の土のにおいが感じられてくるようです。
岸田さんの詩に見られる、木や草花に寄り添う眼差しや、迷子になること、風景のなかに溶け込んで、自分がいなくなってしまう、というような感覚は、山小屋暮らしが長いことも影響しているのだろうと思いました。
また、岸田さんの詩にくりかえし出てくるモチーフ、モオツァルトの音楽、生まれるずっと前の時代や、遠い国へのなつかしさ、親しみなど。
絵空事のような感じもしていたのだけれど、これらは岸田さんの日々の生活に根ざしている感覚なのだのだと、エッセイを読むとよくわかります。
幼なじみ(一時期結婚していた)で詩人の谷川俊太郎さんとの交流。モオツァルトや、チェンバロ、中世のバロック音楽への指向。劇作家でフランス文学者でもあったお父様の影響。
これらのことについて語られた、「十二歳のモオツァルト」「中世から聴えてくる音」「昔の写真」などのエッセイは、そのまま『ソナチネの木』の試作の秘密につながっていることは明らかです。
山小屋周辺でとれる野菜や山菜を使ったお料理のことや、山歩きのことなど、もちろん純粋にエッセイとしても楽しめます。わたしはこの本を、公園の芝生の上で読んだのですが、そういう環境で読むのが似合う、清々しい文章です。

さてこの本では、古矢一穂さんの絵が、カラーで、大きくたくさんレイアウトされており、テキストだけでなく絵の目次もついています。
古矢さんは植物学者。岸田さんは古矢さんの学生の頃から、氏の植物画に注目していて、こういう形の本をつくることを望んでいたのだそうです。
古矢さんの、植物の微細な特徴をとらえた絵もまた、「草色の切符を買って」出かけた先の、山の空気を読者に伝えてくれます。


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参考:岸田さんの翻訳された絵本


「のばらの村のものがたり」

愛蔵版
ジル・バークレム 作/岸田衿子 訳(講談社)
愛蔵版 のばらの村のものがたり 全8話 (講談社の翻訳絵本) 小川のほとりの細くからみあったいけがきに、ちいさなねずみたちが仲良く暮らす、のばらの村があります。木の根や幹をすみかにし、身の回りに育つものを収穫する。お菓子やドレスを手作りし、仲間どうし助け合う。ときにはピクニックやパーティで、ふざけあったりして…。自然と共生するねずみたちの、ちいさな暮らしを綴った絵本。

この絵本では、ブルーベルやさくらそう、しだや、のばら、すいかずら、野の花の描写が美しく正確で、岸田さんのお好きな、古矢一穂さんの植物画にも通じるなあと思います。ねずみたちも、服を着ているけれどもたいへん写実的に描かれているのです。
「花と野原、空の星、海へそそぐ川、そしてこれらすべてに命をふきこむふしぎなものにちかって、ふたりは夫婦であることをみとめます」ねずみたちの結婚式で述べられるこんな言葉に、自然に感謝し、身の丈にあった暮らしをすることの、幸福を感じさせられます。

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「かえでがおか農場のいちねん」

アリス&マーティン・プロベンセン 作/岸田衿子 訳(ほるぷ出版)
かえでがおか農場のいちねん かえでがおか農場での、人間と動物たちのいちねんの暮らしを、淡々と、しかし丁寧に紹介している絵本。作者であるプロベンセン夫妻は、いまも実際にこの絵本に描かれているような農場暮らしをされているとのこと。ああこれがアメリカの、ほんとうの美しい姿だなあと、しみじみ感じます。

岸田さんの訳は平明で、リズミカルで、とても読みやすい。ほら、こんなふうに。
「なつは、のはらに はなが いっぱい さきます。
ヤギや ヒツジは はなが すきです。ミツバチも はなが すき。だれでも はなが すき。」

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「こねこのミヌー」

フランソワーズ 作/きしだえりこ 訳(のら書店)
こねこのミヌー かわいくてやさしくてノスタルジックな、フランソワーズの絵本。単純化された線といい、あかるい色使いといい、フランソワーズの絵は、子どもの感じている完全で安心な世界を描いており、大人にも絶大な癒し効果をもたらします。
いなくなったこねこを探し回る女の子のお話。どきどきさせられながらも、最後にはこねこが戻ってくることが予感され、ほっとできます。

あとがきで、訳者の岸田さんがフランソワーズ作品について、わかりやすく解説してくださっていて、参考になります。 またタイトルについて、「ミヌー」というのは、フランスでは猫そのものを指す「にゃんこ」というようなニュアンスなのだけれども、聞きなれない日本の子どもたちのために、「こねこのミヌー」としたことも語られています。
絵本のタイトルの訳というのも、いろいろ工夫がいるのですね。

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