■おすすめ児童文学

〜子どもにおすすめの物語、選びました〜


「児童文学」と銘打ってはいますが、ここで紹介する作品は、管理人の独断による「子どもにおすすめの物語」とご理解ください。
わたしが選ぶ「子どもにおすすめの物語」となると、「おすすめファンタジー」作品とずいぶん重複してしまうわけではありますが…。
ベストセラーとなっている児童文学作品のなかに、上質なファンタジーが多く含まれていることは、たいへん興味深いです。

…そしてまた、「子どもにおすすめの物語」とは、大人にとってももちろんおすすめ、ということなのです(^-^)



↓著者名(ファミリーネーム)のあいうえお順です。
タイトルをクリックすると紹介に飛びます。


●H.C.アンデルセン
●グロリア・ウィーラン
●ミヒャエル・エンデ

●ルイス・キャロル

●ケネス・グレーアム
●マリヤッタ・クレンニエミ
●佐藤さとる
●ウォルター・デ・ラ・メア
●J.R.R.トールキン
●フィリパ・ピアス
●オトフリート・プロイスラー

●E.T.A.ホフマン
●アントニア・ホワイト
●ジョージ・マクドナルド

●A.A.ミルン
●トーベ・ヤンソン
●シンシア・ライラント
●レーナ・ラウラヤイネン
●C.S.ルイス
●アーシュラ・K・ル=グウィン



●グロリア・ウィーラン


「家なき鳥」

グロリア・ウィーラン 著/代田亜香子 訳(白水社)
家なき鳥
おもしろくて、2時間くらいで一気に読んでしまいました。勢いにまかせて一言で説明すると、この物語、インド版「おしん」という感じ。

舞台はインド。主人公は、貧しいながらも家族と幸せに暮らしていた少女コリー。13歳のある日、彼女はお嫁に行くことに。
ところが結婚相手の少年ハリは重病で、ハリの家族は彼をガンジス川へ連れていく旅費をつくるため、コリーの持参金をあてにしていたのでした。 ガンジス川へは行ったものの、ハリはすぐに亡くなり、コリーは未亡人に。
義母は未亡人となったコリーをこき使い、意地の悪い罵声を浴びせ、とても冷たくあたります。
やがて、やさしかった義妹がコリーの未亡人年金を持参金にして幸せに嫁ぎ、読み書きを教えてくれた義父が亡くなると、 義母はコリーを未亡人の街ヴリンダーヴァンに置き去りにしてしまうのです。
コリーの持ち物は、わずかのお金と、義父の形見であるタゴールの詩集、そして嫁入り道具に自ら刺繍したキルトだけ。
けれども彼女は絶望することなく、未亡人の街でさまざまな人たちに出会い、やがてほんとうの幸せを見つけるのでした。

コリーが義母にひどくいじめられ働かされるところ、そんな暮らしの中でも向学心を持ち、義父に字を習うところなど、 ほんとうに「おしん」にそっくり。インドの貧しさも、「おしん」で描かれていた戦前の日本の様子と似ています。
『家なき鳥』に描かれているのは、現代の日本の生活からは考えられないインドの現状ですが、ほんの少し昔までは、 日本も貧しく、満足に食べられず学校にも行けない子どもがたくさんいたのです。

身分制度や女性蔑視の問題も孕んでいる『家なき鳥』の物語。つよく印象に残ったのは、教育の重要性や、手に職をもつことの大切さです。
主人公コリーは、厳しい暮らしの中でもタゴールの詩を心の支えにしていましたし、実母から習いおぼえた刺繍の腕で、運命を切り開きます。
「おしん」も読み書きそろばんを習ったり、髪結いの修行をしたりしていたな、なんて思い出します。
読み書きができるということは、本を読めるということであり、学問や教養を身につけられるということ。 新しい視点を知り、いろいろな物の考え方ができるようになるということです。
コリーなら、詩を心のなかの灯火とすることができ、その教養が人との出会いにもつながりましたし、 おしんなら、自分で商売をおこすまでに自立心を養うことができたのです。

いまの日本では、義務教育があり、本も思う存分読むことができ、いろいろな考え方を学ぶことができます。 そして何より、自由に生きることができるのです。
現在の日本の社会に、なんの問題もないと言っているわけではありません。物質的には豊かで、恵まれすぎているほどなのですから、 そのことを自覚し、考えないわけにはいきません。
また『家なき鳥』に描かれたインドの生活も、貧困と苦しみだけがあるのではなく、 日本人が失ってしまった敬虔な信仰心や、母から子へと継承されていくキルト作りの伝統など、わたしたちが学ぶべきところが、たくさんあります。

コリーが掴んだ幸せに勇気づけられながら、インドと日本の暮らしの違いと共通点、ひいてはこの世界の多様性と普遍性について、 考えずにはいられませんでした。

→Amazon「家なき鳥」(単行本)
家なき鳥 (白水uブックス)」(新書)

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●ルイス・キャロル


「不思議の国のアリス 新装版」

ルイス・キャロル 著/アーサー・ラッカム 絵/高橋康也・高橋 迪 訳(新書館)
不思議の国のアリス
ある退屈な昼下がり。アリスは、ポケットつきの上着を着て、時計を持って急いでいるウサギを追いかけ、大きなウサギ穴にとびこみます。 その穴の壁には食器棚や本棚がびっしり、あちこちに地図や絵がかかっています。奇妙な穴を下へ、下へ、下へ。アリスはどこまでも落ちつづけ、うつらうつらと飼い猫ダイナの夢を見ていると、とうとうドスン!ドスン! ウサギ穴の底は、普通でないことばかりが起こる、不思議の国でした…。

ルイス・キャロルが、リデル家の三人姉妹に即興で語り聞かせたお話がもとになっているという、あまりにも有名な物語。キャロルはリデル家の次女アリスに、この物語を自作の本に仕立ててプレゼントしたのだと言います。言葉あそびやしゃれ、ナンセンスが魅力とも言われ、マザー・グースからの引用など、パロディもたくさん盛り込まれています。
この新書館版では、ほどよく訳注が付されており、言葉あそびの原文について、ビクトリア朝という時代背景、またキャロルとリデル家の娘たちにしかわからない仕掛けなどについて、きちんと解説してくれています。
定評ある高橋康也・高橋 迪氏の訳は、わかりやすく、なおかつ品もあり、言葉あそびの訳も巧みです。ただどうしても言葉あそびやしゃれに関しては、原文で読まないことには、やはりほんとうの面白さは理解しかねるなあ、というのがわたしの感想でしょうか…(^^;
ナンセンスについては、「「常識」の枠組がゆさぶられ、はずされるときの、とほうもない解放感」と訳者あとがきにもあるとおり、読んでいて、「常識」って何なのだろうと、考えさせられることが度々でした。
まあ難しく考えずとも、チェシャー・ネコや青虫、三月ウサギに帽子屋、ウミガメモドキにグリフォンなど、不思議な登場人物たちの描写は、魅力いっぱいです。

さて『不思議の国のアリス』の邦訳版は数あれど、 この新書館版の魅力は、何といってもアーサー・ラッカムの挿絵につきます。イギリス挿絵黄金時代の人気画家ラッカムの絵は、ひじょうに英国的で、格調高く、美しい。
ラッカムは、ドリス・トーミットという少女をモデルに、この愛らしいアリスを描いたのだそうですが、作者ルイス・キャロルが愛し、『不思議の国のアリス』のモデルとなったリデル家の次女アリスは、 きっとラッカムの描いたアリスのように、可愛らしい女の子だったに違いありません。
テニエルより叙情的なラッカムの挿絵は、読者を「不思議の国」にやさしく誘い、あたたかく包み込んでくれます。

→読書日記に書いた、この本の感想はこちら
→アリスの本をまとめています「アリスについて」はこちら

→Amazon「不思議の国のアリス

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「不思議の国のアリス」

ルイス・キャロル 著/トーベ・ヤンソン 絵/村山由佳 訳(メディアファクトリー)
不思議の国のアリス
川べりでお姉さんのそばに座ってたアリスは、チョッキのポケットから懐中時計を取り出して眺め、慌てて駆けだすウサギを見て、追いかけてウサギ穴にとびこんだ。 その穴の壁は戸棚とか本棚とかでぎっしり、あっちにもこっちにも地図や絵がかけてある。奇妙な穴を下へ、下へ、下へ。アリスはどこまでも落ちつづけ、ウトウトと飼い猫ダイナの夢を見ていると、とうとうドスン、ドスン! ウサギ穴の底は、普通じゃないことばかりが起こる、不思議の国だったんだ…。

ルイス・キャロルが、リデル家の三人姉妹に即興で語り聞かせたお話がもとになっているという、あまりにも有名な物語。キャロルはリデル家の次女アリスに、この物語を自作の本に仕立ててプレゼントしたのだと言います。言葉あそびやしゃれ、ナンセンスが魅力とも言われ、マザー・グースからの引用など、パロディもたくさん盛り込まれています。
このメディアファクトリー版では、『不思議の国のアリス』の新しい訳者として、村山由佳氏を起用。キャロル自身がアリスに語り聞かせているような、話しことばで訳されています。
訳注がないため、いちいち巻末の注を参照するわずらわしさはありませんが、マザー・グースなどの元ネタを知らないと、面白さを捉えそこねることもあるかもしれません。
くだけた話しことばは、テンポもよく読みやすい。言葉あそびやしゃれの部分は、上記で紹介している高橋康也・高橋 迪氏の訳とも違った工夫が施されています。英語が読めないので原文のことはよくわからないのだけれども、訳の違いを比較するのも面白いなと思いました。
ただ気になるのは、三月ウサギと帽子屋の科白。三月ウサギが江戸っ子調、帽子屋が大阪弁(らしきもの)でしゃべるのです。わたしは三月ウサギと帽子屋の、有名なお茶会(いわゆる「気ちがいティー・パーティー」)の場面は、いかにもイギリス的だなあと思っているので、そこで江戸っ子や浪花っ子調でしゃべられると…ちょっと違和感があるかも。しかも帽子屋、関西人にとってはビミョーな大阪弁だし…(^^;

ともあれ、このメディアファクトリー版の魅力は、何とあのトーベ・ヤンソンが挿絵を描いているということです!
ムーミン童話の作者として知られるヤンソン。かつてムーミン童話の原作の挿絵、つまりアニメのムーミンでなくて、トーベ・ヤンソン自身の手になる絵を、とても気に入って、妹に「これすごくいいよね」と見せたところ、「なんか不気味な絵」と一蹴された記憶があります…。
確かにヤンソンの絵には、北欧の厳しい自然と孤独な自我を感じさせる影がある、という気がします。
そういうわけで、いかにもイギリス的な『不思議の国のアリス』の世界を、北欧的なトーベ・ヤンソンが描くとなると、作者ルイス・キャロルが思い描いた『不思議の国』とは、まったく違ったものになっているのだろうなあ…などと思ったりもしたのですが。
でもヤンソンのアリス、読めば読むほど、独自の、稀有な世界を拓いている、素晴らしい挿絵だと感じます。
イギリス的でも、ビクトリア朝らしくもない、「不思議の国」を旅する、ひとりぼっちのアリスの、戸惑いや不安、孤独といったものが感じられる。
いろいろと有名な場面も多数描かれているのですが、ヤンソンらしい挿絵だなあと嬉しくなったのは、三月ウサギと帽子屋のお茶会(この本では「くるくるパーティー」と訳されている)の章の中の一葉。
ネムリネズミが披露する話”糖蜜の井戸の底に住んでいる三人姉妹”の様子を描いたその絵は、やはりヤンソンでなくては描けない、素敵な挿絵だなあと、しみじみ思いました(ほんとに素敵なんですよ〜、この井戸の底はムーミン谷のどこかに違いない、住みたい!と思うくらい)。

*この本の訳者あとがきにおいて、村山由佳氏が、「これまで巷で広く信じられてきた、<ルイス・キャロルは少女にしか興味を持てない特殊な性癖の持ち主で、アリス・リデルに恋をしていた>という俗説は、近年の研究できっぱりと否定されている」と言い切っていることを、ここに記しておきます。皆様、ルイス・キャロルことドジスン教授の人となりについて、どうぞ誤解のなきように…。

→子どもにも、大人にも「ムーミンの世界」はこちら
→大人向けの小説群「トーベ・ヤンソンの本」はこちら
→アリスの本をまとめています「アリスについて」はこちら

→Amazon「不思議の国のアリス

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●ケネス・グレーアム


「たのしい川べ」

ケネス・グレーアム 文/石井桃子 訳(岩波書店)
たのしい川べ―ヒキガエルの冒険
土の下の小さな家から、春の空気にさそわれて、外の世界へと出てきたモグラ。 太陽の光、そよ風のふく草原、まんまんと水をたたえて流れる川。モグラは川でネズミと出会い、ふたりはボートに乗って、すばらしいピクニックへと出かけます。 カワウソ、アナグマ、ヒキガエル、個性ゆたかな川べの住人たちも次々とあらわれて…。 その日から、モグラとネズミの、たのしい川べでの暮らしが始まりました。

『クマのプーさん』のA.A.ミルンなどに多大な影響を与えたイギリス児童文学の名作にもかかわらず、大人になるまで未読だったのですが、読んでみると「名作」と呼ばれる意味がよくわかりました。
ネズミやモグラ、ヒキガエルといった小動物が主な登場人物として描かれた、ファンタジーとも呼べるこの作品。おはなしの筋立ては、読者をはらはらどきどきさせながら展開し、時折くすりと笑える場面もたくさんある楽しいもの。
けれども何が素晴らしいと言って、詩情ゆたかに描かれる、イギリスの田園風景の美しさといったら!
読んでいるうち、ネズミやモグラたちが楽しく暮らす、川べのおだやかな景色が心のなかにゆっくりと広がって、何とも心地よいのです。
子ども向けなどとあなどるなかれ、「名作」と呼ばれる本の中にはいつも、子どもも大人も魅了する濃密な作品世界があり、その本の扉をひらく読者を、ひとしく迎え入れてくれるのです。

ちなみに挿絵は、『クマのプーさん』の挿絵も手がけるE.H.シェパード。この物語には、アーサー・ラッカムをはじめ幾人かの画家の挿絵が存在するようですが、普及したのはシェパードの挿絵ということのようです。
シェパードが描く生き生きと愛らしい動物たちの姿も、この本の魅力のひとつとなっています。

→Amazon「たのしい川べ

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●マリヤッタ・クレンニエミ


「オンネリとアンネリのおうち」

マリヤッタ・クレンニエミ 作/マイヤ・カルマ 絵/渡部 翠 訳
(プチグラパブリッシング)
オンネリとアンネリのおうち
オンネリとアンネリ、よく似た名前をもつふたりの小さな女の子。
夏休みのある日、ふたりは「正直なひろいぬしさんにさしあげます。」と書かれたふうとうを拾い、その中には大金が。 ふたりはお金を受け取るつもりはなかったのですが、ひょんなことからそのお金で、ふたりで暮らすのにぴったりの、小さなおうちを買うことになるのです。
かわいらしい家具調度、庭も洋服もなにもかも揃った素敵なおうちでの、ふたりだけの夏の暮らしが始まります。

フィンランドの有名な児童文学作品。本国では<オンネリとアンネリシリーズ>として、全四作品が刊行されているとのこと。シリーズ一作目にあたる本書は、1966年に発表されています。
マリヤッタ・クレンニエミさんによる物語は、かわいらしく楽しい展開。大人にとっては「そんなことあり得ない」と思ってしまう場面もありますが、そんなことあり得なくっても良いのです。これは”物語”なんですから。
マリヤッタ・クレンニエミさんの作品にたくさん挿絵をよせているというマイヤ・カルマさんのイラストもまた、かわいらしい! 表紙カバーのカラー絵も、中のモノクロにピンクのさし色が映えるイラストも、乙女心をくすぐります。
訳者はトーベ・ヤンソンの著書の翻訳で知られる渡部 翠さん。アンネリの一人称が、かわいらしく訳されています。
…なんだか「かわいらしい」ばかり言っていますが。
表紙カバーをはずしてもピンク、見返しもピンク、この愛らしさは、ほんとうに女の子にぜひおすすめ。また夏休みのおはなしということで、夏に読むのにぴったりの、読後感もさわやかな一冊です。

→「夏の絵本」はこちら

→Amazon「オンネリとアンネリのおうち

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●フィリパ・ピアス


「トムは真夜中の庭で」

フィリパ・ピアス 作/高杉 一郎 訳(岩波書店)
トムは真夜中の庭で
弟がはしかにかかり、病気がうつらないようにと親戚の家に預けられたトム。 庭もないアパート暮らしで暇をもてあましていた彼は、ある夜、アパートの玄関ホールに古くからある大時計が、 13の時を打つのを耳にします。トムが探検に出かけると、アパートの裏側に、昼間にはなかったはずの、広々とした美しい庭園が見つかって…。
トムは迷い込んだ庭園で、ハティという名の一人の少女と友だちになるのですが、 古い大時計が13の時を打つ真夜中にだけ行くことのできる、不思議な庭の秘密とは?

フィリパ・ピアス自身が、幼い頃に遊んだ庭の思い出がつめこまれた、珠玉のタイム・ファンタジー。
ストーリーテリングの上手さ、物語の揺るぎない結構は言うまでもなく、 トムが迷い込む庭園の美しい描写や、トムとハティの楽しい遊びの様子、 「時間」という主題の奥深さなど、大人も子どもも面白く読めること間違いなし。
ネタばれになるようなことは書けませんが、結末の感動的なことは、思い出すたびに胸がじーんと熱くなります。 「時間」のファンタジーの魅力を、味わいつくすことができる一冊。

→Amazon「トムは真夜中の庭で

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●オトフリート・プロイスラー


「小さい魔女」

オトフリート・プロイスラー 作/大塚勇三 訳(学習研究社)
小さい魔女 (新しい世界の童話シリーズ)
むかしむかし、ひとりの小さい魔女がいました。年はたったの百二十七歳。 ワルプルギスの夜、ブロッケン山でくりひろげられる魔女のおまつりに、 こっそり紛れこんで叱られた彼女は、来年のおまつりに参加させてもらうため、「いい魔女」になることを誓いますが…。

 ドイツの代表的児童文学作家プロイスラーの名作。 ストーリーはわかりやすく面白く、ふんだんに使われる魔法の描写も魅力的。 何といっても「小さい魔女」が明るく、人がよく、愛嬌があって、とっても可愛いおばさんなのです。 相棒の、カラスのアブラクサスとのやりとりも面白く、ふたりで何とか「いい魔女」になろうと努力します。 魔法でいろいろな「いいこと」をする小さい魔女。けれども…さて、「いい魔女」とは一体、どんな魔女なのでしょう?
最後、魔女の会議での意外な決定から、どんでんがえしのエンディングまで、 子どもが、空想の翼をはばたかせ、わくわくしながら読むことのできる、素敵な物語だと思います。

→Amazon「小さい魔女 (新しい世界の童話シリーズ)

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「クラバート」

プロイスラー 作/中村浩三 訳(偕成社)
クラバート
門付けをして歩いていた、孤児の少年クラバート。ふしぎな夢に導かれ、コーゼル湿地の水車場の見習いとなります。 周囲の村人からおそれられるこの水車場は、製粉の仕事だけでなく、実は魔法を教える学校だったのです…。
プロイスラーの最高傑作ともいうべき、骨太のファンタジー。 働くこと、生きること、死ぬこと。おそろしく魅惑的な魔法の力と、純粋な愛がもたらすもの。 主人公クラバートは、水車場での魔法の修行をとおして、実にさまざまな生きる力を身につけ、 自分にとって大切なものは何かを学んでいきます。

「魔法の学校」といえば今はハリー・ポッターシリーズがあまりに有名ですが、 この作品で描かれる魔法学校は、辛くて厳しくておそろしい場所。 読者はクラバートと一緒に、苦しい水車場での労働や魔法の修行、一年に一度身近に迫る死の不安を乗り越えていくことになるのです。
この物語のしっかりとした骨格は、<クラバート伝説>という、古いドイツの伝承をもとにしていることによるのだと思います。 プロイスラーが物語を重層的にする要素を巧みにとりいれ、語りなおしたことで、ドイツの一地方に伝わるお話が、 珠玉のファンタジーとして現代によみがえったのです。

→Amazon「クラバート

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●E.T.A.ホフマン


「クルミわりとネズミの王さま」

E.T.A. ホフマン 作/上田真而子 訳(岩波少年文庫)
クルミわりとネズミの王さま (岩波少年文庫)
クリスマス・イブの日、プレゼントを心待ちにしていたフリッツとマリーの兄妹。 名づけ親のドロッセルマイアーおじさまは、精巧な仕掛けの芸術品のようなプレゼントを作ってくださいましたが、 マリーがとりわけ気に入ったのは、頭でっかちの、みにくいクルミわり人形でした。
イブの夜更け、フリッツにかたいクルミを割らされたために、壊れてしまったクルミわりをマリーが手当てしていると、ふしぎなことが起こります。 時計のてっぺんにとまっている大きな金色のふくろうがしゃべりだすと、王冠をかぶった七つの頭をもつ大ネズミとその軍勢が部屋を埋めつくし、 マリーの大好きなクルミわりがおもちゃの兵隊を指揮して、ネズミたちと戦いをくりひろげたのです。
クルミわりを助けようとして、腕に怪我をしたマリー。ドロッセルマイアーおじさまは、寝付いたマリーの枕元で、クルミわりにまつわる、ふしぎなおはなしを聞かせてくださいました。

リスベート・ツヴェルガーが絵を寄せた美しい絵本『くるみ割り人形』を読んで、物語の幻想的な魅力に惹かれ、原作をきちんと読んでみたいと思い、手にとりました。
クリスマスの物語としても有名なこの作品。第1章「クリスマス・イブ」では、クリスマスと、クリスマスの贈り物の神聖な由来を知ることができます。
子どもたちは、お父さまとお母さまが、あれやこれやいいものを買ってきて、それをいま並べているところだということを、知っていたのです。 そして、幼子イエスさまが、やさしい、清らかな幼子の目でそれを見つめていらっしゃるのだということも。 だから、クリスマスのプレゼントはその目の光につつまれて、祝福にみちた御手にふれられたように、どれもほかのものとはぜんぜんちがう、 すばらしいよろこびをもたらしてくれるのだということも、わかっていました。
クリスマスプレゼントに、そんな意味が込められているのだということ、今まで知らずにいました。 クリスマスは、救い主、幼子イエスの誕生を信じる人々にとって、何よりたいせつな行事なのですよね。

短く作り直された絵本の文章とは違い、原作では、子どもに実際に語り聞かせるような調子が絶妙です。 訳者あとがきによると、この物語は事実、ホフマンが親友ヒッツィヒ家の3人の子どもたちに話して聞かせたものなのだとか。
クリスマスの神秘と魔法に満ちた雰囲気と、わかりやすい語り口に誘われて読み進むうち、物語は現実と幻想とが混然となって、夢のように展開していきます。
子どもはおもちゃの馬や兵隊、人形などを、ほんとうに生きているもののように扱い、一緒に遊ぶものですが、 これをホフマンは次のように表現しています。
いっぽう、フリッツは、新入りの栗毛の馬を駆歩や速歩で駆けさせながら、もう三回か四回、テーブルのまわりを走り回っていました。 栗毛の馬がほんとうにいたのです。テーブルにつないであったのです。フリッツはやっと馬からおりながら、
「この馬、とっても気が荒いけど、でも、だいじょうぶ、ぼく、ちゃん乗りこなしてみせるぞ。」と、いいました。
それから、こんどはあたらしい軽騎兵の中隊を閲兵しました。
これはフリッツが、クリスマスプレゼントにはしゃぎ、遊んでいる場面。 子どもの見ている幻を、子どもの視点でそのまま描写し、夢と現実との区別をあいまいにしているところが、この作品の語り口の特徴ではないでしょうか。

またこの物語のキーマンは、何といってもドロッセルマイアーおじさまでしょう。
マリーの見たクルミわりとネズミの軍勢の戦いに、幻のように姿をあらわすおじさま。怪我をしたマリーのお見舞いにやって来たおじさまは、戦いの光景をよく知っていましたし、 おじさまが語り聞かせるクルミわりのおはなしの中には、おじさま自身とも思われる時計師ドロッセルマイアーが登場します。
背が低くてやせっぽち、顔はしわくちゃ、右の目がなくて、代わりに大きな黒い絆創膏がはってあり、髪の毛も一本もなく、ガラス製のまっ白のかつらをかぶっている…。 そんな不思議で不気味なドロッセルマイアーおじさまの存在が、現実と、マリーの見る幻と、劇中劇ともいえる「かたいクルミのおはなし」とをつなぎ、絡み合わせて、めくるめく幻想を紡ぎあげているのです。
この物語は、結末がまたなんとも不思議な味わい。夢オチというのでもなく、夢と現実とが完全に溶け合った、とでも言えましょうか。

読了後、もう一度リスベート・ツヴェルガーの『くるみ割り人形』のページを繰ると、ツヴェルガーが、細部まで物語に忠実でありながら、独特の絵を描いていることがよくわかり、 原作も絵本もさらに味わい深いものに感じられました。こういう物語の楽しみ方も、また読書の醍醐味ではないかと思います。

→リスベート・ツヴェルガー『くるみ割り人形』の紹介はこちら

→Amazon「クルミわりとネズミの王さま (岩波少年文庫)

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●A.A.ミルン


「クマのプーさん」/「プー横丁にたった家」

A.A.ミルン 作/石井桃子 訳(岩波書店)
クマのプーさん プー横丁にたった家
幼い少年クリストファー・ロビンと、クマのプーさん。
ふたりを中心に、コブタやウサギ、カンガにフクロ、トラーなど、なかよしの動物たちが、森の中でまざまな冒険をくりひろげる楽しいファンタジー。 作者ミルンは、息子と、息子のお気に入りのテディ・ベア、たくさんのぬいぐるみたちを登場させて、素敵な魔法の物語を描き出したのです。
ちょっと間抜けで、食いしん坊で、クリストファー・ロビンのことが大好きなプーの姿は、ディズニーアニメのプーさんよりも、深いやさしさを感じさせます。

たとえば「クマのプーさん」の終わりで、コブタがプーさんに、朝起きたときにまず何を考える? とたずねます。 プーは、「けさのごはんはなににしよ?」ってことだと答えます。コブタは、「きょうは、どんなすばらしいことがあるかな」ってことを考えると話します。 するとプーは考えぶかげにうなずいて、こう言うのです。 「つまり、おんなじことだね」

プーさんは、難しいことを何にも知らないけれど、いちばん大事なことを、ちゃんとわかっているのです。
E・H・シェパードの挿絵も、お話と切り離せない心にしみる味わいで、大きな魅力のひとつとなっています。

→A・A・ミルン「赤い館の秘密」の紹介はこちら

→Amazon「クマのプーさん プー横丁にたった家」(単行本)
クマのプーさん」 「プー横丁にたった家」 (岩波少年文庫)
クマのプーさん Anniversary Edition」(アニバーサリー版)
クマのプーさん全集―おはなしと詩」(豪華愛蔵版)

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●シンシア・ライラント


「ヴァン・ゴッホ・カフェ」

シンシア・ライラント 作/中村妙子 訳/ささめや ゆき 絵(偕成社)
ヴァン・ゴッホ・カフェ
カンザス州フラワーズ。のんびりとした町のメイン・ストリートに、そのカフェはありました。 むかし劇場だった建物のかたすみにあったので、カフェにはいつも魔法がつきまとっていました。
レジの上にかかった「愛犬、大歓迎」という札。パイののった回転皿の上に、とまってわらっている磁器のメンドリ。女性用トイレの壁に描かれたむらさき色のアジサイ。 「おかえり、ここはきみの家」と歌う、ちいさな茶色のプレイヤー…。 あたたかなカフェの壁にしみこんでいる魔法がひとたび目をさますと、ふしぎで素敵なことが、次々と起こるのです。
やがてヴァン・ゴッホ・カフェという名の、ふしぎなカフェがあるといううわさが広がります。 まるで夢のような、ミステリーのような、すばらしい油絵のようなカフェがあるといううわさです。

この本は、ささめや ゆき氏の挿絵に惹かれて、手にとりました。表紙カバーのカラー絵が、とっても素敵なんです。
タイトルにも惹かれます。「ヴァン・ゴッホ・カフェ」だなんて、どんなに素敵なカフェの物語なんだろうと想像がふくらみます。 読んでみると、シンシア・ライラントさんによる物語は面白くて、あたたかくて、やさしくて、ほんとうにお気に入りの一冊になりました。 ジャンルとしては、児童文学ということになるのでしょうか?

むかし劇場だった建物のかたすみにあるカフェを舞台にした、魔法のおはなし。 「ハリー・ポッター」や「指輪物語」なんかに出てくる魔法ではなく、わたしたちの日常に、そっと溶け込んで、心をあたためてくれる、そんな魔法のおはなしです。
毎朝決まった時間に、ヴァン・ゴッホ・カフェの窓の外の木にぶらさがるようになったオポッサムが、おくさんと死に別れた男のわびしい心に灯をともした話。 いなびかりがピカッと光った日から、カフェの主人マークが、予言を秘めた詩を書くようになり、そのおかげでお客の男の子が探している迷い猫が見つかった話…。 もちろん猫が見つかってから、マークのお告げの力はなくなってしまったのですけれど。

カフェの主人マークはまだ若く、長い髪をポニーテールに結んで、自分のカフェを愛し、娘を愛しています。トイレの壁にアジサイの絵を描き、レジの上に「愛犬、大歓迎」の札をかけたのは、このマークです。 娘のクララは、ものしずかで、考え深く、カフェと父親を愛し、カフェの魔法をとても大切に思っています。
このふたりの素敵なことは、こんなエピソードからわかります。
カフェのお客さんが残していった、魔法のマフィン。たべていいの? とクララが聞きますと、マークは、どうせなら願いごとをしようと言います。 でも、いざ願いごとをするのは難しい。クララはおとぎばなしをたくさん読んでいたので、世の中には幸福をもたらす願いごともあれば、不幸をもたらす願いごともあることを知っていました。 クララは急に、こんなマフィンもらわなければよかったと思い、クララの心配そうな顔を見て、マークも同じように感じます。 ふたりは願いごとなんてするどころではなく、まじめな顔で、マフィンを冷蔵庫にしまいます。

やがてマフィンの魔法は、ほんとうに必要な人のところで力を発揮するのですが、こんな親子、とても素敵だと思いませんか?
マフィンの魔法を当たり前のように信じ、それをむやみに自分のためだけに使うこともしない。ふたりともきっと、魔法の本質をよく知っているのです。
クララが、カフェの魔法を落ち着いて、けれども好奇心いっぱいで見守る様子にも、とても好感がもてます。
魔法はあくまで「むかし劇場だった」カフェに宿るもので、クララとマークは読者と同じように、わくわくしながら魔法を見つめているというスタンスが良いです。

物語の最後、カフェを訪れた「作家志望の男」は、ひっそりとひとすみに座って、まわりのものや、マークや、クララや、訪れる客たちを眺めているうちに、 あきらめかけていた夢が、心の中によみがえってくるのを感じます。
クララとマークは、魔法使いではないけれど、カフェの魔法の一部。ヴァン・ゴッホ・カフェを訪れる人はみな、オポッサムや動物たちも、カフェの魔法の一部なのです。

こんなヴァン・ゴッホ・カフェに一度は行ってみたい、ふしぎな魔法に出会ってみたい、魔法の一部になってみたい…そうは思いませんか?
この本を開けば、ヴァン・ゴッホ・カフェはいつでも、わたしたち読者を待ってくれているのです。

→ささめや ゆきの絵本の紹介はこちら

→Amazon「ヴァン・ゴッホ・カフェ

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●レーナ・ラウラヤイネン


「魔術師のたいこ」

レーナ・ラウラヤイネン 著/荒牧和子 訳(春風社)
魔術師のたいこ
山に秋がおとずれ、湿原が真っ赤なこけのじゅうたんにおおわれる頃、 「わたし」は山道で踏み迷ったすえ、目に見えない何かに導かれるように、コタと呼ばれるサーメ人の小屋にたどり着きます。
そこで見つけた、美しい絵がいくつも描かれたたいこは、魔術師ツァラオアイビが残した魔法のたいこ。
たいこは百年に一度、運よくコタを見つけた人だけに、魔術師が残していった物語を聞かせることになっていたのです…。
魔法のたいこが語りだす、静謐で美しい、サーメの12の民話たち。

ファンタジーが大好きなので、まずタイトルが目にとまり、サーメ人の民話というのでさらに興味をひかれ、装幀も素敵だったので、ぜひ読んでみたいと手にとりました。
サーメ人というのは、ラップランドの先住民族ですが、日本人には、漠然としたイメージしかありませんよね。
わたしはサーメ人というと、アンデルセンの「雪の女王」に登場する、「サーメ人の女」というのが、まず頭に浮かびます。
訳者あとがきによるとサーメ人は、「ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド北部およびロシアの西北部にまたがる地域で、国境が定められる前から、 自由に移動しながらトナカイの放牧を生業として暮らしてきた先住民族」とのこと。
白夜とオーロラの大地に生きる人々が語りついできた民話は、しずかで、美しく、読んでいると、心がしん、と落ち着きます。
言葉はやさしく、わかりやすく、ごく短いお話ばかりで、ほんとうに魔術師のたいこがひっそりと語り聞かせてくれているような、やすらかな読み心地でした。

印象に残ったのは、白夜のはじまりについて語った「青い胸のコマドリ」。
あるとき闇の精カーモスのおさめる雪と氷の国に迷い込んだコマドリが、自分の生んだ卵を守るため、光の精ツォブガに助けを求め、 ツォブガはカーモスを追いやってラップランドに光の夏をもたらします。 しかしカーモスも負けてはいず、力をたくわえるとラップランドに戻ってきて、大地を長い冬で閉ざします。 ツォブガが再びカーモスを追い払うと、ラップランドはまた白夜の夏に…。
ツォブガとカーモスは毎年こんなことを繰り返し、今もたたかいをやめようとしないのです。
ラップランドに、太陽の沈まない白夜の夏をもたらしたのは、一羽の青い胸のコマドリが、自分の卵を守ろうとしたから…という話。
昔の人々は、こんなふうに美しく、自分たちの住む世界について、語る言葉を持っていたのですよね。
他「オーロラのはじまり」や「太陽の野イチゴ」「白樺の誕生」「氷河に咲くキンポウゲ」など、この本には、 ラップランドの自然の起源について語られた、美しい物語がたくさんおさめられています。

物語そのものだけでなく、自然についての描写も、きわめてすぐれています。
冒頭の、山の秋の風景描写など、読んでいると頭の中に絵が描かれていくようです。
山に秋がおとずれ、湿原に真っ赤なこけのじゅうたんを広げました。谷底の沼にはもう初氷がはって鏡のように光り、秋が自分のすがたをうつしています。 沼をとりまく白樺の木立は、さながら秋がともした、たいまつの列です。
日本人からすればラップランドは、日が昇ることのない長い冬に閉ざされた、厳しく凍てつく土地のように思えますが、 厳しい自然の中にこそ、美しさと、人智を超えるものへの畏怖を、見出すことができるのかもしれません。

民話や神話の中には、現代人が忘れてしまった、たいせつな感性が残されています。 魔術師ツァラオアイビは、未来の人間に大事なものを思い出させるために、魔法のたいこをこの世に残していったのかもしれません。

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※Amazonでは、表紙・裏表紙・目次ほか、本文も少しだけ見ることができますので、どうぞ参考にしてください。

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