■おすすめミステリ

〜癒し系ミステリをご紹介〜


ミステリって、活字嫌いのひとでも、とても読みやすいジャンルだと思います。 でも、その出版点数は、あまりにも膨大。さて、いったいどの本を選ぼうか? と、書店の棚の前であれこれ迷ってしまうこともしばしば…。
そこでこのページでは、管理人が独断と偏見(?)で選んだ、心あたたまる”癒し系ミステリ”をご紹介します。

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(ファンタジーの大家ロード・ダンセイニの幻のミステリ短篇集。表題作は後味がブラックだと評判のようですが、ワトソン役スメザーズ氏の語り口が、まったりと癒し系です)




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アイザック・アシモフ「黒後家蜘蛛の会」

小沼 丹「黒いハンカチ」

ウィルキー・コリンズ「月長石」

G・K・チェスタトン「ブラウン神父」

コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」

エリス・ピーターズ「修道士カドフェル」

A・A・ミルン「赤い館の秘密」

若竹 七海「古書店アゼリアの死体」



黒後家蜘蛛の会 1 (創元推理文庫 167-1)

アイザック・アシモフ「黒後家蜘蛛の会」

「黒後家蜘蛛の会 1」
「黒後家蜘蛛の会 2」
「黒後家蜘蛛の会 3」
「黒後家蜘蛛の会 4」
「黒後家蜘蛛の会 5」

アイザック・アシモフ 著/池 央耿 訳(創元推理文庫)
「生きてこの世にある限り、わたしは<黒後家蜘蛛の会>を書き続けることを約束する」
――『黒後家蜘蛛の会 5』所収「秘伝」あとがき より

<ロボット三原則>を生み出したSF作家としてあまりにも有名なアイザック・アシモフは、ミステリもたくさん執筆しています。 『鋼鉄都市』シリーズなどはSFミステリの傑作ですが、<黒後家蜘蛛の会>シリーズは、 安楽椅子探偵物の白眉と言われている本格ミステリです。

このシリーズ、感想をひとことに集約すれば、「すばらしきマンネリズム」とでも言えましょうか。 登場人物は<黒後家蜘蛛の会(ブラック・ウィドワーズ)>の会員たち。弁護士アヴァロン、暗号専門家トランブル、 作家ルービン、化学者ドレイク、画家ゴンザロ、数学者ホルステッド、そして名給仕ヘンリー。彼らは毎月一回、 晩餐会をひらき、豪華な料理に舌鼓を打ちながら四方山話に花を咲かせます。話はやがて謎解きとなり、 立派な肩書きをもつ会員各自がさまざまな推理を披露するのですが、いつも最後に真相を言い当てるのは、 晩餐会の舞台であるレストランの給仕、ヘンリーなのでした。

毎回パターンは決まっていて、それを5巻も続けるとほんとうにマンネリになってしまうのですが、 このシリーズはそのマンネリが良いのです。楽しいのは、個性ゆたかな会員たちの、気心しれた間柄ゆえの毒舌合戦や、 ただの給仕であるところのヘンリーが鋭い切れ味の名推理をみせて、毎回訪れるゲストをあっと驚かせるところ。 各短編のあとがきで作者自身が語る、作品執筆に関する裏話。 また博覧強記のアシモフならではのバラエティに富んだ謎解きの題材が、読んでいて勉強にもなります。 トールキン『指輪物語』に材を採った作品もあり、『指輪』ファンのわたしには嬉しい一篇でした。

上記の引用はシリーズ最終巻となった『黒後家蜘蛛の会 5』の、最後の、ほんとうに最後の言葉です。 アシモフ氏は1992年に帰らぬ人となり、わたしたちはもう永遠に、<黒後家>ものの新作を読むことはできなくなってしまいました。

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「黒いハンカチ」

小沼 丹 著(創元推理文庫)
黒いハンカチ (創元推理文庫)
「婆さんは、ニシ・アズマが太い赤い縁のロイド眼鏡なんか掛けているのを見ると、狼狽てて呼び留めて、 その眼鏡を掛けると先生の器量が三分の一は割引されるから止めた方がいい、と毎度の忠告を繰返した。事実、 美人とは云えぬが愛嬌のあるニシ・アズマの可愛い顔にその眼鏡は似合わなかったが、ニシ先生は一向に平気らしかった」
――「指輪」より

『懐中時計』などの作品で知られる私小説作家、短編の名手と称される小沼丹の、非常にめずらしい連作推理短編集。 …とのことなのですが、わたしはこれを読むまで、恥ずかしながら小沼丹という作家を知りませんでした。 でも!この本は癒し系ミステリ(?)として、ぜひおすすめしたい一冊。 私小説作家・小沼丹を知らずとも、存分に楽しめます。

住宅地の高台に建つA女学院。ニシ・アズマ先生は、遠くに海が見える学校の屋根裏で、 こっそり午睡することをこよなく愛している、小柄で愛嬌のある顔立ちをした女性。けれど可愛らしい彼女が、 ひとたび太い赤縁のロイド眼鏡を掛けると、名探偵に変身。ホームズばりの鋭い観察眼で、 いくつもの謎を解き明かしてしまうのです。
この作品の魅力は、まず舞台となるA女学院の牧歌的な雰囲気。初出が昭和32年から翌33年とのことなので、 時代的にも、まだまだのんびりしていたのでしょう。ニシ・アズマ先生の科白も、 「〜しれなくてよ」「〜良くてよ」など、現代女性からは考えられないほど丁寧で、そこが素敵。 さすが短編の名手と言われる作家、美しい日本語で淡々と綴られる物語は、 全体的に長閑で、時間がゆっくり流れている感じがします。

癒し系ミステリとしてのイチオシの魅力は、殺害動機などの生臭い、どろどろした部分の叙述が、 不自然でなく巧妙に避けられているところ。余白がある、とでも言えば良いでしょうか。 そのあえて描かれなかった部分を、読者は自由に想像することができるのです。
テーマパークのアトラクションみたいに、無理やりぐいぐい連れ去られて、 おせっかいなぐらい説明過剰な小説ばかりがベストセラーになる昨今。 <息もつかせぬ展開!><徹夜で最後まで読みました!>というあおり文句に疲れている方に、 『黒いハンカチ』は一服の清涼剤になること間違いありません。

→「小沼 丹の本」はこちら

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「月長石」

ウィルキー・コリンズ 著/中村能三 訳(創元推理文庫)
月長石 (創元推理文庫 109-1)
「最も古くから知られている伝説によると、その宝石は月の象徴たる『四本の神の手』の額に象嵌されてあったという。 その類いまれなる色と、それが象嵌されている神体の力に対する畏怖の念をあらわす迷信と、さらに、月の満ち虧けにつれて、 その光沢もうつり変わるという言い伝えから、その宝石は当初より『月長石』と名づけられ、インドでは、いまもその名で呼ばれている」
――プロローグ「セリンガパタムの襲撃」より

インド寺院の秘宝「月長石」。さまざまな伝承に彩られた、黄色にかがやく巨大なダイヤモンドは、数奇な運命をたどり、イギリスのヴェリンダー家に持ち込まれます。
しかし月長石が届けられた日から、ヴェリンダー邸の周囲には、常に無気味なインド人の影がつきまとい、ついにある晩、宝石は忽然と、お屋敷から消失してしまうのです。
あの無気味なインド人が何らかの方法で盗んだのか、それとも、お屋敷の中の誰かが?
宝石を贈られたヴェリンダー家の令嬢レイチェル、宝石を運んできたレイチェルの従兄弟フランクリン・ブレーク、レイチェルに求愛したゴドフリー・エーブルホワイト。
他にもレイチェルの誕生日のパーティに招かれた大勢の客や、召使たちも巻き込んで、捜査は続けられるのですが、宝石の行方は杳として知れず…。
月長石は、はたして見つかるのでしょうか?

かなり分厚い文庫本。大長編ミステリです。
最初は、読んでも読んでも終わらないんじゃないか、とも思えたのですが、すぐに物語の中にひきこまれ、あっという間に読み終えてしまいました。
レイチェルの伯父ジョン・ハーンカスルが、インドで月長石を手に入れたところから始まって、納得の結末まで、ヴェリンダー家の月長石消失事件に関わった人々が、 手紙や手記のかたちで、事件について順を追って語っていきます。

この長編は、論理的推理や犯人当てよりも、物語的興味がつよく読者をひきつけると思います。
まず月長石にまつわる伝承と、ジョン・ハーンカスルがインドで月長石を手に入れた経緯が語られるプロローグは、 神秘的で謎めいた宝石への興味をかきたてます。

次に舞台はイギリスへと移り、ヴェリンダー家の老執事ガブリエル・ベタレッジの長い長い手記によって、 月長石がヴェリンダー家に持ち込まれ、消失した事件の顛末が語られます。
このベタレッジのキャラクターが非常に魅力的で、手記を書くことになった、なんだかまだるっこしい説明から、 遅々として進まない物語を我慢して(?)読み進めると、いつのまにやらベタレッジ独特の語りの虜になっているのです。
ベタレッジ独特の語り、あえて言うならイギリスの裕福なお屋敷の老執事独特の語り、とでも申せましょうか。
事件の発端を語るベタレッジの手記は、長くゆっくりと進んでいきますが、 さて宝石はヴェリンダー家からいずこへ持ち去られたのか、ベタレッジの後に話をひきついで語る人々の手記は、結末に近づくにつれ、だんだん短く性急になっていきます。
ここらへんの筆さばきが秀逸。
それで、それで、次はどうなるの? と、事件の真相に近づくにつれ読者の気持ちが急いてくるのと、物語のスピードが、ぴったりと合っていて、 ストレスなく読む進めることができます。
ベタレッジの語りのゆるやかさと、物語後半の、切れ切れに短く語り手が変わる緊張感。語りの緩急が、読者をひきつけるのです。

そしてエピローグ、舞台はふたたびインドへと戻り、神秘的で幻想的な雰囲気に包まれ、長い物語が結ばれます。
インドの伝承に始まり、インドの神秘的な雰囲気とともに終わることで、月長石の物語は美しい額縁におさまった感があります。
物語の結構を完成させる、申し分のないエピローグだと思います。

ポオの「モルグ街の殺人」から始まった推理小説の形式を継承し、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ誕生にも刺激を与えた、イギリス最初の長編推理小説。
ミステリ史上、不朽の名作として、一読の価値ありではないかな、と思いました。

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ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

G・K・チェスタトン「ブラウン神父」

「ブラウン神父の童心」
「ブラウン神父の知恵」
「ブラウン神父の不信」
「ブラウン神父の秘密」
「ブラウン神父の醜聞」

G・K・チェスタトン 著/中村保男 訳(創元推理文庫)
「あなたがたの人情がこの人たちを見放すとき、 それを絶望から救うのはわたしたちだけなのです。あなたがたは、ご自分の趣味にあった悪徳を許したり、 体裁のいい犯罪を大目に見たりしながら、桜草の咲きこぼれる歓楽の道をずんずんお歩きになるがよい。 〜中略〜
この人たちは本当に申し開きの立たぬことをしているのです。本人も世間も弁解の言葉を知らぬようなことをしているのです。 それが許せるのは司祭以外にはないのです」
――『ブラウン神父の秘密』所収「マーン城の喪主」より

ブラウン神父は、まん丸な童顔につぶらな瞳、不恰好で小柄なからだに、大きな帽子と蝙蝠傘がトレードマーク。 どこから見ても人畜無害の貧相な坊さんなのに、事件が起これば意外や意外、快刀乱麻をたつように、 あざやかな名推理を披露します。
奇想天外なトリック、風刺とユーモアのきいたブラウン神父譚は、 コナン・ドイルの作品と並んで後世の作家に多大な影響を与え、G・K・チェスタトンのトリック創案率は古今随一なのだとか。 まさに本格、ミステリーの古典なのですが、 わたしが<ブラウン神父>をおすすめする理由は他にあります。

上記の引用は、ブラウン神父が犯人を非難するひとびとに対して、毅然として言い放つ科白です。 この科白ひとつとっても、神父がほかの名探偵たちと、一線を画する存在であることがわかると思います。
ただ罪を暴くだけでなく、犯人の卑劣さと、愚かさと、哀れさを知り抜き、 多くの人々が犯人を唾棄し処罰し排除しようとしても、あえてただひとり罪を赦そうとする。 なぜなら自分もまた、いつ罪を犯すとも知れない「人間」であるから。
わたしはこの科白を読んだとき、自分自身が叱られているような気がしたのです。 「桜草の咲きこぼれる歓楽の道」を歩くわたしたちの目を覚まさせてくれる、神父の厳しい言葉。それこそ、 わたしがブラウン神父シリーズをおすすめする所以です。

あ、でももちろん、そういうチェスタトン的哲学(?)を抜きにして、 純粋に謎解きを楽しむこともできますので、哲学嫌いの方もご安心を。 上記の『黒後家蜘蛛の会 2』所収「電光石火」のあとがきで、アシモフも言っています。 「チェスタトンの哲学には少々じれったい気持がしないでもないが、しかし、 私は<ブラウン神父>の熱烈なるファンである」

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コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」


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コナン・ドイル 著(創元推理文庫)
シャーロック・ホームズの冒険 (創元推理文庫)
「彼は感情を大げさに表にあらわす男でなかった。いつもそうなのだ。 しかし私の訪問をよろこんでくれていたということだけは、わかった。 挨拶らしい言葉も口にしないで、ただやさしい目つきをすると、手で肘掛椅子にかけるように合図をして、 葉巻の箱をほってくれ、また酒の箱と炭酸水をつくる装置とが部屋のすみにあるのを指でおしえてくれた。 それから火のまえにたつと、そのふしぎに内観的な表情で私をながめまわした」
――『シャーロック・ホームズの冒険』所収「ボヘミアの醜聞」より

いまさら紹介するまでもない、ミステリのバイブル。ここではあえてこの名作を、癒し系ミステリとしても、ぜひおすすめしたいと思います。

ドイルの書いたホームズ作品は、『緋色の研究』『四人の署名』などの長篇もありますが、癒し系ミステリとして読むなら、やっぱり短篇群!
『緋色の研究』はそれなりに読ませるけれども、ストーリー展開がもたつき、プロットの組み立て方に難があると思ったのですが、短篇はほんとうに面白いです。 読者をひきこむドイルのストーリーテリングに、次々読まされてしまいます。
ドイルのホームズものの真髄は、短篇にこそあるんだなあと、『シャーロック・ホームズの冒険』を読んだときに、つくづく納得させられました。 『回想のシャーロック・ホームズ』収録作品での、事件の解決のくだりににじむ人情味も、とても微笑ましいです。

「ホームズの前にホームズはなく、ホームズのあとにホームズはない」とよく言われますが、 推理小説の古典となったこれらの作品を読んでいると、 ホームズのキャラクターや、トリックの妙よりも、19世紀イギリスの雰囲気が感じられるところが楽しいです。 こんなことを言うと、正統派の推理小説ファンの人には、 怒られそうだけれども。
遠くから時を告げ知らせる鐘の音。石だたみの道を踏む馬車の、蹄と車輪のゆっくりとしたリズム。 暖炉ではぜる火のぬくもりと、ホームズのくゆらす葉巻のにおい。 紳士淑女の古めかしい衣服。 新聞を賑わすのは、名探偵の大活躍――
19世紀のロンドンでは、ウィリアム・モリスが警鐘を鳴らし、ダンセイニが絶望を味わったほど、 工業化が急激に進み、それまでの価値観がくつがえされ、 都市が変貌していったわけですが、21世紀の日本から見れば、まだまだのんびりした、長閑な時代だったように思えます。

いずれにもせよ、ホームズものを読まずして、ミステリを語ることはできないのです。

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エリス・ピーターズ「修道士カドフェル」

聖女の遺骨求む ―修道士カドフェルシリーズ(1) (光文社文庫)
(1)「聖女の遺骨求む」 大出 健 訳
(2)「死体が多すぎる」 大出 健 訳
(3)「修道士の頭巾」 岡本浜江 訳
(4)「聖ペテロ祭殺人事件」 大出 健 訳
(5)「死を呼ぶ婚礼」 大出 健 訳
(6)「氷のなかの処女」 岡本浜江 訳
(7)「 聖域の雀」 大出 健 訳
(8)「悪魔の見習い修道士」 大出 健 訳
(9)「死者の身代金」 岡本浜江 訳
(10)「憎しみの巡礼」 岡 達子 訳
(11)「秘跡」 大出 健 訳
(12)「門前通りのカラス」 岡 達子 訳
(13)「代価はバラ一輪」 大出 健 訳
(14)「アイトン・フォレストの隠者」 大出 健 訳 ★
(15)「ハルイン修道士の告白」 岡本浜江 訳 ★
(16)「異端の徒弟」 岡 達子 訳 ★
(17)「陶工の畑」 大出 健 訳 ★
(18)「デーン人の夏」 岡 達子 訳 ★
(19)「聖なる泥棒」 岡本浜江 訳 ★
(20)「背教者カドフェル」 岡 達子 訳 ★
(21)「修道士カドフェルの出現」 大出 健 訳 ★

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エリス・ピーターズ著(光文社文庫)
「あそこの庭で働いてるブラザー(修道士)がいるだろ?あの、船員みたいに身体を左右にゆすって歩いてる、 ずんぐりしたブラザーさ。あの男が若いころ十字軍に参加したことがあるなんて、信じられるかい? ゴドフロワ・ド・ブイヨンの軍に参加して、アンティオキアでイスラム教徒を破ったというんだ。 そのあとさらに聖地の沿岸警備のために船長として船に乗り込み、十年間もイスラム教徒の海賊船と戦ったというんだぜ。ほんとかな?」
――『聖女の遺骨求む』より

上記の引用はブラザー・カドフェルについて、見習い修道士たちがささやきかわす噂話。 カドフェルは修道士とはいえ、俗世間をまったく知らずに修道院の中だけで生きてきた人物ではありません。 いろいろな経験(女性関係含む)を経たのちに「ぼろぼろになった船が、ようやく静かな港にたどりつ」くようにして、 修道院生活に入ったという変り種。シリーズ開始時の年齢は57歳。 修道士なのに色気があるというか、齢を重ねたかっこよさがあります。

<修道士カドフェル>シリーズは、12世紀のイングランドを舞台に、ブラザー・カドフェルが探偵役をつとめる、 歴史本格ミステリー。イギリスではドラマ化もされており、世界的な人気を誇るシリーズです。
この作品の面白さと言えば、まず登場人物たちの魅力でしょうか。主人公カドフェルはもちろん、 第2作『死体が多すぎる』から登場のヒュー・べリンガーや、 第3作『修道士の頭巾』から登場するラドルファス修道院長などは、いつもここぞという時にキメてくれる、 頼りがいのあるかっこいい男性たちです。
それから舞台が中世であることの魅力。スティーブン王と女帝モードの王位をめぐる戦いに、貴族たちの勢力争いと、 教皇の権力も絡んでくる内乱の一部始終は、歴史小説としても読み応えあり。

そしてこのシリーズ最大の魅力は、中世ならではの推理方法、修道士探偵ならではの事件解決への過程にあると言えるでしょう。 指紋採取さえできない、科学などまだなかった時代。カドフェルはそのゆたかな人生経験に基づく、 すぐれた観察力と洞察力で、事件を、そこに生きている人間を見つめることによって推理をすすめてゆきます。 また事件の真相をすべて明るみに出すことによって、関係者の誰かが傷ついてしまうような場合には、 カドフェルは事実の一部を上手に覆い隠してくれたりします。犯人を法のもとに裁くことより、魂の救済をこそ優先します。
そんな修道士探偵が手がける事件の結末が、いつもさわやかで、未来への希望に満ちていることは、言うまでもありません。

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「赤い館の秘密」

A・A・ミルン 著/大西尹明 訳(創元推理文庫)
赤い館の秘密 (創元推理文庫 (116-1))
「お父上さま  本当に心からいい人の例にもれず、推理小説とくるとお父さんは目がありませんし、それにどうやら、 この種の本の数はたんとないようだな、なぞと不満に思っていらっしゃるようですね。だから、 あれほどお父さんに恩を受けていながら、そのお返しとしてぼくに出来る精一杯の仕事といえば、 推理小説をやっとひとつ書くことなんです。それをこうして、とてもここには書き切れないほどの、 お父さんへの深い敬愛の念をこめていまようやく書きあげました」
――巻頭、父親への献呈のことば

A・A・ミルンといえば『クマのプーさん』で有名なイギリスの劇作家。
『赤い館の秘密』は、ミルンが書いた唯一の推理小説であり、 この一作で彼の名はミステリ史上に残ることになりました。
わたしは『クマのプーさん』も『赤い館の秘密』も、同じように大好きです。児童文学と推理小説、 ジャンルは違えど、どちらの作品にもミルンのやさしいユーモアと、あたたかい人柄が滲み出ています。 何となれば『クマのプーさん』は息子クリストファーのために書かれた物語であり、 『赤い館の秘密』は上記の献呈のことばのとおり、父に捧げられた小説。 つまりどちらも、家族への愛情から生まれた作品なのです。

ある暑い夏の昼下がり。15年ぶりに赤い館の主人を訪ねてやってきた、オーストラリア帰りの兄が突然殺され、 同時に館の主人は失踪してしまいます。事件の真相を探るのは、 ふらりと館に現れた素人探偵ギリンガムと、館に滞在していた友人べヴリーのコンビ。このコンビのやりとりが、 実にほのぼのとしていて、良いのです。
ほかに登場人物は、赤い館の富裕な客人たちと、館で働く女中たち。 わたしの個人的な意見なのですが、この客人たちと女中たちとが、 同じように人間味があり、キャラクターとして対等に公平に描かれている感じがして、 そういうところにも作者ミルンの人柄が出ているなと思いました。 (アガサ・クリスティを読んだすぐあとに、この本を読んだから、よけいそう感じたのかもしれません。 アガサ・クリスティって、女中とか召使とかの描写が、ちょっと差別的かも…と思うのはわたしだけ?)

それにしても殺人事件を描きながら、ちりばめられたユーモアには厭味がなく、 後味がこれほどさわやかな推理小説は、稀有だと思います。 『有名なる雑誌「パンチ」のユーモア文学者』たる、ミルンの面目躍如といったところでしょうか。

→A・A・ミルン『クマのプーさん』の紹介はこちら

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「古書店アゼリアの死体」

若竹 七海 著(光文社文庫)
古書店アゼリアの死体 (光文社文庫)
「その古本屋は懐かしさを感じさせるたたずまいだった。いまにも傾きそうな二階建ての木造。 入口は木枠にガラスのはまった、開けづらそうな引き戸。看板だの、ビニールの雨よけなどという無粋なものはいっさいない。 周囲の雑多な色合いのなかにあって、この店だけ昭和初期にタイムスリップしたように、セピア色に浮き上がって見える。 引き戸の脇にかまぼこ板ほどの表札がかかっていて、雨露ににじんだ<古書アゼリア>という店名が読み取れた」
――第2章 古本屋は突然に より

この本は、わたしが自律神経失調症で苦しんでいたとき、不安な気持ちを紛らわせるために手に取って、 ほんとうに面白く読み終えたコージー・ミステリです。
解説によれば「”コージー・ミステリ”というのは、”恐ろしい事件が起っても、それが解決すると再び平穏な、 心地よい平凡な日常的な生活に戻っていけるという安心感に支えられたミステリー”(新潮社『海外ミステリー事典』)」 とのことで、わりと本格ものばかり紹介してきましたが、コージー・ミステリこそまさに癒し系ミステリと言えるかも。

『古書店アゼリアの死体』は、神奈川県の架空の街「葉崎市」が舞台。都会の喧騒からはなれた、 海辺の小さな街の風景は、とても長閑で牧歌的。物語は、勤め先の倒産エトセトラで不幸のどん底にいた女性・相沢真琴が、 たてつづけの不幸にとどめをさすように葉崎市の海岸で溺死体を発見してしまう!というところから始まり、 とてもテンポよく展開。コージー・ミステリらしい軽い筆致で、笑いも満載、無理なくするすると読み進むことができます。

何といっても魅力的なのは、 タイトルにも掲げられている<古書店アゼリア>の、昔ながらの古本屋独特のたたずまいと、店主・前田紅子のひとくせもふたくせもある個性的なキャラクター。
<古書アゼリア>は店主・紅子のこだわりにより、ロマンス小説しか置いていないのですが、元・雑誌編集者でゴシックロマンに詳しい相沢真琴が、紅子との初対面で、 ゴシックロマン・カルトクイズのごときやりとりを延々繰り広げるくだりは、ロマンス小説を読んだことのないわたしにとっても大変面白いものでした。巻末に、おまけとして「前田紅子のロマンス小説注釈」がついているのも楽しく、紅子さんの解説を参考にロマンス小説を読んでみるのも良いかもしれません。

→紅子さんもおすすめ、ゴシックロマンの金字塔!
デュ・モーリア『レベッカ』の紹介はこちら

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