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チャールズ・シミック 著『コーネルの箱』 |
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J・R・R・トールキン 著『妖精物語の国へ』 |
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ジャック・フィニイ 著『ゲイルズバーグの春を愛す』 |
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エリス・ピーターズ 著 |
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オマル・ハイヤーム 著『ルバイヤート』 |
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ガストン・ルルー 著『黄色い部屋の謎』 |
「コーネルの箱」チャールズ・シミック 著/柴田元幸 訳(文藝春秋)
2005/06/06
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箱の芸術家ジョゼフ・コーネルの、美しい小さな箱の写真と、 コーネル作品にインスピレーションを得て書かれた散文詩のコラボレーション。 と言っても、わたしはコーネルについてもシミックについてもよく知らず、ただ、小さな不思議な箱の写真に惹かれて、 この本を手にとったのでしたが。 コーネルの箱について、訳者のあとがきには 「人形、白い球、ガラス壜、バレリーナや中世の少年の肖像、パイプ、カラフルな鳥、金属の輪やぜんまいなどを」 「木箱に収めて、小さな宇宙をつくる」とあります。 今日、この本の頁をぱらぱらめくっていたら、箱のひとつに「青い半島に向かって(エミリー・ディキンソンに)」と題された作品があって、 驚いたのでした。本を買ったときは、エミリー・ディキンソンという詩人を知らず、気づかなかったのです。 よく読んでみると、ディキンソンはコーネルがもっとも愛したアメリカ詩人とのこと。 「青い半島に向かって(エミリー・ディキンソンに)」という作品は、 白い壁の部屋の中に、 格子、 その格子の向こうに小さな窓が、 青くひろがる空間に向かって開かれた、 とても、とても美しい箱です。 言葉では伝えられない孤独と、静けさと、希望に満ちていて――箱の写真を載せられないのが残念ですが―― ディキンソンの詩を知り、この箱に込められたほんとうの想いが、少しわかったような気がしました。 <箱の芸術家>ジョゼフ・コーネルから、<夢をはらむ孤独者>エミリー・ディキンソンへの、美しいオマージュ。 創造の連鎖。 歓喜とは出て行くこと 亀井俊介 編「対訳ディキンソン詩集―アメリカ詩人選(3)」
(岩波文庫)より |
「妖精物語の国へ」J・R・R・トールキン 著/杉山洋子 訳(ちくま文庫)
2005/05/29
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今日は、以前に読んだ、J・R・R・トールキン 著/杉山洋子 訳「妖精物語の国へ」(ちくま文庫)を、 読み返しました。児童文学やファンタジーについて考えているうち、この本のことを思い出したのです。 収録されている長篇エッセイ「妖精物語について」では、あの「指輪物語」の作者トールキンが、 妖精物語とは何か、その起源と魅力について、詳しく解き明かしています。 トールキンは、オックスフォード大学教授をつとめた言語学者。専門用語を使っていないエッセイとはいえ、 その内容はハイレベルすぎて、ついていけない部分もありますが、 ファンタジーが流行らなかった時代に、あえてファンタジー擁護を訴えた文章には、とても勇気づけられます。 ――ファンタジーはこの世界ではかなわぬ願いだからこそ不滅である。 J・R・R・トールキン
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「ゲイルズバーグの春を愛す」ジャック・フィニイ 著/福島正実 訳(ハヤカワ文庫)
2005/05/25
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大人のための、ノスタルジックなファンタジー短篇集。 古道具屋で買った机の中にしまいこまれていた手紙からはじまる、 時を越えたラブ・ロマンス「愛の手紙」は、とりわけ評価が高いようです。 ほか、無名の作家が死後に幽霊となって現れる「おい、こっちをむけ!」や、 死刑囚が刑の執行を前に、独房の壁に不思議な絵を描きはじめる「独房ファンタジア」なども、心打たれるものがありました。 「おい、こっちをむけ!」は、無名のまま孤独に死んでいった作家が、なんとか自分の存在を世に知らしめようと、幽霊となって現れ、 作品を書き残そうとしたものの果たせず、せめて自らの名を立派な墓石に刻もうとする、なんとも切ない話。 結局、人間がこの世に残せる、生きた証などというものは、ささやかなものでしかないのだなあと、改めて感じました。 でも、ささやかに生きる姿こそ、美しく愛しいとも思うのです。 |
「修道士カドフェル(14) アイトン・フォレストの隠者」エリス・ピーターズ 著/大出 健 訳(光文社文庫)
2005/03/27
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やっぱりカドフェル・シリーズは、すべての事件に、納得のいく結末が用意されていて、読後の満足感があります。 今回も、歴史ミステリーならではの込み入った事件の真相や、長引く内戦と殺戮、身分制度の理不尽さなどが描きこまれているのですが、 やはり修道士もの、神の正義は必ず行われます。 心やさしい者はいつも最後には救われ、彼らの幸福な未来を予感させて、物語は幕を閉じるのです。 ところで、キリスト教を信じる人が描く物語には、いつも軸に”ぶれ”が無いなと思います。 <ブラウン神父>もそうだし<ナルニア国ものがたり>も、そうですよね。 これらの物語は、キリスト教的世界観にささえられ、テーマがゆるぎなく安定しているので、心がよろよろしている時には読みやすいですが、 やっぱり日本人にとって、理解しにくい部分があることも事実です。 もちろん、どれもすばらしい大好きな作品ですけれど。 |
「ルバイヤート」オマル・ハイヤーム 著/小川 亮作 訳(岩波文庫)
2005/03/25
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「喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束」(メディアファクトリー)の中で、 オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」からの引用がいくつかあって、わたしも大学生のときに読んだなと思い、 本棚の奥からひさしぶりに取り出して、ページを繰ってみました。 11世紀ペルシアの詩人ハイヤームの四行詩(ルバイヤート)。 学生の頃は、いまいちぴんとこなかったのですが、あらためて読んでみると、 現在、日々感じているようなことを歌った詩が、たくさんありました。 「地の表にある一塊の土だっても、 ――小川亮作 訳「ルバイヤート」(岩波文庫)より 19世紀イギリスの詩人フィッツジェラルドの英訳本によって多くの人々に知られるようになったという、 あまりにも有名なこの詩集。ターシャもフィッツジェラルドの英訳を読んだようです。 生への懐疑。死すべき運命。万物は流転するということ。この世のすべてが無常であること。 そして一瞬のよろこびは、永遠であるということ。 オマル・ハイヤームは科学者であり哲学者でもあったと言いますから、その世界観、人生観は普遍的なものです。 ほんとうに、いま読むと、これはかなりの<癒し本>だと思いました。心が疲れている方、おすすめです。 わたしもじっくり、読み返したいと思います。 |
「黄色い部屋の謎」ガストン・ルルー 著/宮崎 嶺雄 訳(創元推理文庫)
2005/03/13
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犯人の名前が劇的に暴かれる場面は、ストーリーとしても非常に盛り上がって良かったのですが、 思わせぶりに挿入されたいくつかの謎の解明が最後までなされず、次回作にゆずられているのが不満を残しました。 あと、解説にも書いていたけど、犯罪の動機づけが、いかにもメロドラマって感じで、リアリティがないんですよね…。 コナン・ドイルの「緋色の研究」でも思ったのですが、推理小説的テクニックはともかくとして、 犯罪の動機、人間心理の描写が、いまいちリアリティに欠けると感じるのは、男性作家の作を女性の目で読んでいるからでしょうか? アガサ・クリスティなんか、人間心理というか、女の情念の描写が、やっぱりこわいくらいリアル。 ミス・マープルものとか。ミス・マープル…品は良さげだけど、あの噂好き、人の心の妬み嫉みを見抜く目は、 怨念を知る女性ならでは。だからクリスティ作品は、絶対「癒し系」としてはおすすめできません(笑) ですが、基本的にミステリーの古典・傑作と言われるこれらの作品は、読んで損はないし、 全体的に古めかしい雰囲気それ自体が、古き良き時代にタイムスリップできて、ある種の癒しになったりもします。 |