■読書日記(2005年11-12月)


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2005年12月29日

エリス・ピーターズ 著『修道士カドフェル(18) デーン人の夏』

2005年12月04日

トーべ・ヤンソン 著『誠実な詐欺師』

2005年11月23日

冨原眞弓 編訳『トーベ・ヤンソン短篇集』

2005年11月13日

エリス・ピーターズ 著『修道士カドフェル(17) 陶工の畑』



「修道士カドフェル(18) デーン人の夏」

エリス・ピーターズ 著/岡 達子 訳(光文社文庫)
2005/12/29

ド・クリントン司教からウェールズへの使いを命ぜられたという助祭が、シュルーズベリ修道院を訪れます。 休止状態にあったセント・アサフの司教区が復活するにあたり、新任司教のもとへ贈り物を届ける役目を、助祭マークが言いつかったのです。
マークは、かつてカドフェルの助手として、ともにハーブを育て、病人を癒し、さまざまな事件を解決に導いた、心のやさしい青年。 司祭となるため、ド・クリントン司教のもとで勉強していた彼が、ふたたびカドフェルの前に現れたのです。
古い友情を忘れていないマークは、通訳も兼ねたウェールズまでの同行者に、カドフェルを選びました。 2人は順調に旅程をこなし、新任司教ギルバートは快く彼らを迎えます。しかし領主オエインの館に投宿した夜、事件が起きました。 ダブリンのデーン人の軍勢が海を越え、ウェールズを急襲せんと向かってきているという知らせが届き、さらに館の中である男が謎の死をとげ、 また女性がひとり、真夜中に姿を消してしまったのです――

前回『陶工の畑』が、しずかで、淋しさを感じさせる物語だったのに対して、今回の『デーン人の夏』は、 なんとも賑やかで、夏の陽光をつねに感じさせるストーリー展開になっています。

ファンにとってまず嬉しいのが、助祭マークの登場!
執行長官のヒューもかっこいいんだけど、わたしはこのマークが、実はいちばんのお気に入り。 外見はまったく小柄で痩せぎすで、顔立ちも人目をひく美しさはないのですが、心の清らかさが、灰色の瞳や落ち着いた表情にあらわれていて、ほんとうにいい子なのです。
シリーズの初期、カドフェルの相棒として、数々の事件で活躍したマーク。
マークは今頃どうしているのかな、と思っていたら、やっぱりピーターズ女史、やってくれました!
しかもカドフェルがマークとともに、ウェールズへの旅をすることに。う〜、最高の設定ではないですか。

旅ということで、舞台がどんどん変っていくのも見所。カドフェルとマークの2人が目にする、ウェールズの景色がほんとうに美しいです。
おまけに、ダブリン王国からデーン人の軍勢が、船団を駆ってウェールズを急襲してくるのです。これは大事件!なんともアグレッシブな展開ですよね。
領主オエインの館で、真夜中に角笛の音が鳴り響き、皆が何事かと集まってきて、オエインが威厳に満ちて急使の知らせを聞くところなど、読んでいて血湧き肉踊ります。
そしてさらにこの後、思いがけない出来事が、カドフェルとマークの身に降りかかるのです。
思いがけない出来事って? それは読んでみてのお楽しみ(^^)
とにかく、カドフェル修道士って、トラブル体質(?)なんだなあと思います。彼の行くところ事件あり。
今回、殺人事件の捜査よりも、デーン人の急襲がストーリーのメインです。 複雑にからみあう人間模様。主君への忠誠心に燃える若者あり、若く美しい男女の恋愛あり。オエインの威厳と、デーン人の長の器の大きさ。 ウェールズの海の美しさや、海の向こうのアイルランドとの関わり、デーン人の船団の見事さ。 地中海で船を操っていた頃への、カドフェル修道士の郷愁。

とにかく、登場人物も多く、めまぐるしく場面が移り変わるのが、とっても楽しいです。
惜しむらくは、ヒューの出番が少なかったこと、くらいでしょうか。
このお話はシリーズ初期の、マークがカドフェルの助手として活躍していた頃の作品を、いくつか読んでから味わうほうが、マークの成長ぶりがよくわかり、確実に面白いです(^-^)

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「誠実な詐欺師 トーベ・ヤンソン・コレクション 2」

トーベ・ヤンソン 著/冨原眞弓 訳(筑摩書房)
2005/12/04

今日は、とても寒い一日でした。夕方の空では暗い雲と白い雲とばら色の雲が重なりあい、ものすごい速さで風に流されていました。
こんな冬らしい日に、トーベ・ヤンソン『誠実な詐欺師』を読了できたことは、幸せな読書体験だったと思います。
この美しい冬の物語を、冬の日に家に閉じこもって読みふけることの、このうえない至福。

舞台は、深い雪に閉ざされた海辺の小さな村ヴェステルヴィ。
主人公カトリ・クリングは、潔癖で、他人にも自分にも誠実であろうとするあまり、愛想や追従が言えず、村人との交流もほとんどありません。 ただ数字につよく計算がはやいため、村人の抱える厄介事の相談をうけることもあります。
彼女のたいせつな弟マッツは、村人からは頭が足りないと思われていますが、いつか自分の設計した美しいボートを作ろうと、図面を描きつづけています。
カトリはマッツにボートを買ってやるために、ある企みを抱いて、<兎屋敷>にひとりで住む絵本作家アンナ・アエメリンに近づきます。
もうひとりの主人公アンナ・アエメリンは、遺産のほかに本の印税、登録商標などの収入があり、暮らしむきには余裕があるのです。
何不自由のない生活をおくり、一見無邪気で鷹揚なアンナ。 カトリはアンナに対して「誠実に」詐欺をはたらき、マッツにボートをプレゼントするための、まとまった金を得ようと考えます。
この世の誰ひとりとして傷つけることのない、「誠実な」詐欺とは、一体いかなる企みなのでしょう?

まず雪に閉ざされた海辺の小さな村の描写、ヤンソンの冬の表現が、温暖な日本に住む人間には想像できないほど美しいです。
読んでいると、この冬の寒さの中にすっぽりとおさまり、安全に匿われているような、安らかな気持ちになります。
甘ったるい文章など一行も見当たらないのに、不思議と読者をいやす筆致。
作家ヤンソンの筆はまた、登場人物の心のひだに奥の奥までわけいって、人間心理の醜い真実の一面をも明晰に描き出します。
アンナの、恵まれて生活に汲々としたこともない生い立ちからくる、軽率や怠惰。芸術家の傲慢なエゴイズム。
アンナと深く関わることによって、つねに正確な答えを導き出すはずの数字への信頼が損なわれ、ぐらつくカトリの潔癖さ。
けれども、ヤンソンが容赦なく描き出す人間心理の醜さを、読めば読むほど、わたしはすきとおった良い気持ちになっていったのです。
そこまで書かなくてもと思うほど、痛い真実を描いているのに、ヤンソンの文体は、冬の朝の寒気のように澄み切って、読者の心を濁らせません。 曖昧さなどまったくない冷徹な文章。傲慢もゆらぎも怠惰も繊細さもすべて描き切ることによって、登場人物たちの「誠実さ」が浮き彫りになっています。
マッツの純粋なまなざしや、カトリとマッツの姉弟をあたたかく見守る青年エドヴァルド・リリィエベリの存在が、 緊張感にみちた物語を、不思議にやさしい雰囲気でくるむのに、一役かっています。

ヤンソンは画家でもあるからでしょうか、場面のひとつひとつが、つねに絵として読者に想像できるように描写されていることも、この作品の魅力のひとつです。
ヤンソンの短篇は、文章によるデッサンという感じですが、この長篇の傑作『誠実な詐欺師』は、文章による何点もの水彩画といった印象。 読んでいくうちに風景のひとつひとつが目の前に浮かびあがってくるようで、美しい絵本を眺めるような満足感もあります。

これからも、わたしはこの本を度々手にとって読み返し、フィンランドの冬の澄み切った空気を、胸いっぱいに吸い込むことでしょう。

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「トーベ・ヤンソン短篇集」

冨原眞弓 編訳(ちくま文庫)
2005/11/23

この本は、これからもわたしにとって、大切な一冊になると思います。
あるひとつの情景や、何と言うこともない出来事を淡々とつづった、ごく短い作品ばかり。ストーリーだけを説明しても、 これらの短篇の輝きを伝えることはできません。
第一、ヤンソンが作品をとおして、いったい何を言いたかったのか、読み終えた今も、わたしにはよくわからないのです。 わからないけれども、ここに記された言葉の連なりのすべてに意味があると、心で感じるのです。
ヤンソンが選び抜いた言葉のひとつひとつが、美しい刃のように、ページを繰る指先に触れてきます。 これは、きっと日本語訳も素晴らしいからです。

巻末の訳者による解説。収載作品「自然の中の芸術」について語った文章に、こうあります。

「芸術作品にせよ文学作品にせよ、はっきりと理由はわからぬままに人の心を動かすのは、外からは窺いしれぬ秘密をかかえているからだ。 芸術作品を前にしたときの無言の敬虔、そして使信(メッセージ)を自分なりに理解したいという欲求、このふたつは矛盾しない。」

この一冊の本について、わたしが感じた胸のつまるような気持ちは、つまりそういうことなのかもしれません。

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「修道士カドフェル(17)陶工の畑」

エリス・ピーターズ 著/大出 健 訳(光文社文庫)
2005/11/13

ホーモンドにある修道院との間で取引が行われ、新たにカドフェルの所属するシュルーズべり修道院の所有となった土地。 そこは元陶工であったブラザー・ルアルドがかつて生活していたところで、「陶工の畑」と呼び習わされていました。 畑地として利用するため、土を耕そうとしたところ、鋤が掘り返したものは白骨化した女性の死体。
枯れ枝でつくった粗末な十字架を握らされ、葬儀のための浄めもなされていない場所に埋められていたその亡骸は、はたして誰なのか、そして、いつどのようにして死んだのか…。

さあ、カドフェルの出番です。なんですが、今回はカドフェルやヒュー・ベリンガー、ラドルファス院長のかっこよさよりも、女性たちの誇りとかなしみが印象に残る物語だったように思います。
ブラザー・ルアルドの元妻ジェネリーズ、物語のキーマンとなる青年サリエンの母ドナータ。
彼女たちの生きる姿こそ、読後まざまざと心によみがえってきます。ジェネリーズは、神の啓示を受け修道士になりたいと言い出した夫を許せず、 懸命にひきとめようとしますが、結局彼は修道院へ入り、彼女は見捨てられます。ドナータは不治の病を患い、夫を戦で失い、襲い来る痛みと必死にたたかいながら、緩慢に近づく死を常に見つめています。
どの女性の姿も、つよく、かなしく、いつもは颯爽としたカドフェルたちを、とまどわせている感があります。
彼女たちの姿に重なって、胸に響いてくるのはヒューの妻アラインの言葉です。 夫に捨てられたジェネリーズについて、アラインはヒューにこう言います。

「あなたもそうだけれど、男のひとはいつでも、初めに男の権利を見てしまうのよ。たとえば、ルアルドが自分のしたいようにしようと心を決めたようなときに。 中味はなんでも同じだわ、修道院に入るにしても、戦争に行くにしても。でも、わたしは女だから違う。 妻のほうは、なんてひどい扱いを受けるのだろうと思ってしまう。妻のほうには、何の権利もないの? あなたは一度でも考えたことがある? 彼のほうは勝手に出ていって修道士になる自由があるけど、残された彼女にはなんの自由もないのよ。 代わりの夫を見つけることもできない……修道士であろうとなかろうと、すでに夫がいて生きているんですからね。これが公正かしら?」

いつも夫をたてて一歩さがり、謙虚に慎ましくふるまっているアラインの、こんな言葉を聞いたのは初めてで、びっくりすると同時に納得もしました。
ヒューは有能だしかっこいいけど、彼にも見えないものがあり、アラインは執行長官として危険な任務もこなす夫をいつも静かに見守っているけれど、 その心のうちには様々な思いが去来しているのだと。

エリス・ピーターズの筆は、複雑な人間心理をなおざりにせず、むしろそこに光を当てて事件の真相を解き明かしていく過程を、丁寧に克明に描き出してみせます。
推理より、人間ドラマが主になっている今回のお話、ぜひ最後までじっくり読んでみてください。
アラインの言葉のほかにも、胸にぐっさり突き刺さる科白が、いろいろと出てきます。

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