■ウォルター・デ・ラ・メアの本

〜幼なごころが見る夢は〜


「幼な心の詩人」とも評される、20世紀前半の英国を代表する詩人、幻想小説家ウォルター・デ・ラ・メア。 デ・ラ・メアの作品には、一度その世界に身をまかせてみれば、きっと虜になってしまう不思議な魅力があります。

めくるめく幻想の風景を描き出す、こまやかな描写。ストーリーを楽しむというよりは、美しい詩的なイメージを味わうための物語。 主人公たちは、みんな一人でいることが好きで、自分の心のなかにひろがる世界をとても大切にしていて。 そして何といっても月夜や黄昏、闇の帳の向こう側に住む、英国の妖精たちの妖しく魔的な存在感。

デ・ラ・メアは日本ではそれほど有名ではないかもしれませんが、子どもたちにも大人にも、ぜひとも親しんでほしい作家のひとりです。 このページでは、日本で刊行された、デ・ラ・メアの代表的な物語作品および詩集をとりあげます。

詩集 耳を澄ますものたち他

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著者紹介

「孔雀のパイ」

「九つの銅貨」

「デ・ラ・メア幻想短篇集」

「デ・ラ・メア物語集 1」

「デ・ラ・メア物語集 2」

「デ・ラ・メア物語集 3」

「妖精詩集」




●著者紹介


ウォルター・デ・ラ・メア
Walter de la Mare(1873-1956)

詩人、幻想小説家。
1873年、英国ケント州チャールトンに、教会の管理人の息子として生まれるが、四歳のときに父親を亡くし、一家でロンドンに移る。
石油会社の帳簿係として働きながら作品を書きため、29歳のとき、処女詩集「幼年期の歌」(Song of Childhood, 1902)を発表。 書く紙も十分にない経済的な困難に苦しみながら、会社勤めと作家の二重生活を続け、35歳のときにやっと文筆業に専念。 すぐれた詩や小説、評論など多数の作品を著し名声を確立する。
「子どものための物語集」(Collected Stories for Children, 1947)で、英国の権威ある児童文学賞カーネギー賞を受賞。 子どもの文学に情熱を注ぎ、エリナー・ファージョンなどに大きな影響を与えた。
1956年、没。享年83歳。

主な邦訳作品に、詩集『孔雀のパイ』(瑞雲舎)、『妖精詩集』(ちくま文庫)、 長編物語『ムルガーのはるかな旅』(岩波少年文庫、現在絶版)、短篇集『九つの銅貨』(福音館書店)、『デ・ラ・メア物語集 全3巻』(大日本図書)などがある。

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●作品紹介


「孔雀のパイ」

ウォルター・デ・ラ・メア 詩/エドワード・アーディゾーニ 絵/間崎ルリ子 訳
(瑞雲舎)
2008/02/18

孔雀のパイ―詩集
『孔雀のパイ』は、英国の子どもたちが親しんでいるデ・ラ・メアの詩に、絵本作家エドワード・アーディゾーニが絵を添えた、とても美しい詩集です。
なにしろ装幀が素敵で、カバーをはずした本体の表紙は、デ・ラ・メアの妖精詩にこの上なくふさわしい、幻想的なイラストで彩られており、タイトル「孔雀のパイ」という言葉が、金色で箔押しされています。 また本文も挿画も、栗色のインクで刷られているところなども、たいへん趣深いです。

デ・ラ・メアの詩集のなかでも、たいへん有名な『孔雀のパイ』。
この本は、マザーグースにそのルーツを辿ることができる英国独特のナンセンス詩や、アーディゾーニのあたたかみある挿絵によって、下記で紹介している『妖精詩集』よりも、日本の子どもたちに親しみやすい詩集に仕上がっていると思います。
でもやっぱり、デ・ラ・メアの奥深い幻想世界は、子どもだけでなく大人にも、ゆっくり味わってほしい。
ナンセンス詩などは、やはり工夫を凝らした翻訳でも限界があると思うので、その楽しさ面白さは少なからず損なわれてしまっているでしょうが、 デ・ラ・メアの好むモチーフがいくつも散りばめられた多くの詩に、独特の不思議な、なぞに満ちた雰囲気、「幼な心の詩人」ならではの魅力が凝縮されています。
子どもにも面白く、またデ・ラ・メア作品の真髄を伝える詩として、一篇だけ(選ぶのに悩みましたが)ここに引用したいと思います。

なぞが、なぞのまま明かされない。ただ不思議として、そこにある。
子どもの頃わたしたちは、そんな世界のなかに、たしかに生きていました。
だれか

だれかがドアをノックした。
たしかに、たしかにノックした。
耳をすましてドアを開け、
右や左を見たけれど
夜のしじまをやぶるもの、
なにひとつ見つかりはしなかった。
ただカブトムシがかべを這い、
森ではフクロウがないていた。
夜露がしずかにおりてきて、
コオロギがひそやかに歌ってた。
けれども、だれがきたのかは
どうしても、どうしてもわからない。
わたしのちっちゃな家の戸を
ノックしたのがだれなのか、
どうしても、どうしてもわからない。

『孔雀のパイ』16ページより

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「九つの銅貨」

W・デ・ラ・メア 作/脇 明子 訳/清水義博 画(福音館文庫)
2007/06/03

九つの銅貨 (福音館文庫)
「幼な心の詩人」とも評される、20世紀前半の英国を代表する詩人、幻想小説家ウォルター・デ・ラ・メア。
『九つの銅貨』に収録された5篇の物語は、カーネギー賞を受賞した「子どものための物語集」(Collected Stories for Children, 1947)から選ばれたもので、 どれも訳者の脇 明子さんがあとがきで述べているとおり、「子どもにも楽しめる」「大人にとってもすばらしい文学作品」であると思いました。

冒頭に収録された「チーズのお日さま」は、ごく短い一篇。 ジョンとグリセルダの兄妹は、両親を妖精たちに連れ去られ、いまは二人でつましく暮らしているのですが、 妖精たちはグリセルダが大好きで、いろいろないたずらをしかけてきます。ジョンはそんな妖精たちが許せず……。
このお話を読むと、英国の人々にとって、そしてデ・ラ・メアにとって、「妖精」とはどういう存在なのか、とてもよく伝わってきます。

次に表題作「九つの銅貨」。荒れはてた古いお城の城壁の中の、小さな家に住んでいるグリセルダとおばあさん。 おばあさんの具合が悪くなり、看病のため働きに出ることもできず困っていたグリセルダの前に、ある日小人のおじいさんがあらわれて、 九つのペニー銅貨とひきかえに、家事をしてくれると言うのでしたが……。
このお話でも、小人のおじいさんの存在感が際立っています。わたしたち日本人にもなじみ深い、ディズニーの白雪姫に出てくるような小人たちとは趣の違う、 価値観をまったく異にする不思議な存在としての小人。
またお話の後半、グリセルダが連れて行かれる「海の底にある海のやからの岩屋」の様子の描写など、ほんとうに神秘的で美しいです。

「ウォリックシャーの眠り小僧」では、チェリトンの町を舞台に、欲深で因業なノルじいさんと、じいさんにこき使われる三人の煙突掃除の小僧たちが登場します。
三人の小僧たちを含む、町じゅうの子どもたちの夢みる魂が、真夜中に、不思議な(おそらくは妖精たちの奏でる)音楽に誘われて、通りに踊り出てくる場面の描写は、 『ハメルンの笛ふき』を彷彿させる美しいものです。
因業なノルじいさんは、三人の小僧たちを食べさせずにこき使おうと、踊り出ていった小僧たちの魂を身体からしめ出そうとして……。
ノルじいさんは嫌な人なのだけど、デ・ラ・メアのじいさんへの眼差しは、意外にも同情的。 恨みや憎しみで心をいっぱいにして、夢みることもできないノルじいさんを、作者は哀れんでいるようです。
このお話の最後、眠り続けていた三人の小僧たちの身体に魂が戻ってくる場面は、とりわけ美しく印象的です。

「ルーシー」は、この作品集の中でも、ことに風変わりで不思議なお話。 主人公のジーン・エルスペットは、三人姉妹の末っ子で、その風変わりな性格から、姉ふたりには子どもの頃からずっと馬鹿にされつづけていました。 ジーン・エルスペットには、心のなかに自分で作りあげた、「ルーシー」という名前の友だちがいて、次女のタバサはこれをひどくからかいます。 裕福で、大きな石の館に何不自由なく暮らしていた三人姉妹ですが、やがて一家は破産してしまい……。
このお話は、ストーリーらしいストーリーは何もなくて、風変わりなジーン・エルスペットの人生が、こまやかな描写をつみ重ねて綴られているだけなのですが、 こういった作品こそ、デ・ラ・メアならではのものではないかと思います。
心のなかに自分で作りあげたたいせつな友だち――おそらくは誰の内面にも、そういった存在は住みついているのではないでしょうか?

最後に収録された「魚の王さま」は、「ルーシー」とはまた雰囲気の違う、物語らしい物語。 水に惹かれ、釣りをすることが大好きなジョン・コブラー。門もなくどこまでも続く不思議な塀の向こうにあるという川で、どうしても釣りをしたいと思った彼は、 あるときついに塀を超え、その向こうにガラスのような水をたたえた美しい川と、魔法の館を見出します。 ジョンは、この館に囚われていた、魚の尻尾をしたあわれな娘アルマナーラを、なんとか助けようとして……。
このお話では、魚への「変身」という魔法が題材になっていて、自然と『人魚姫』などの童話が思い出されます。
ジョンは無事にアルマナーラを救い出せるのか、物語にも興味をそそられますが、魚に「変身」したジョンの目線でみた世界は新鮮で、ファンタジーを読むことの醍醐味を感じます。
脇役として、魚になったジョンを助ける「女中」の存在も印象的。デ・ラ・メアの登場人物たちは、お姫さまや王子さまなどではなく、 おおかた地味で見栄えのしない立場の人々であるというのも、大人にとってはむしろ面白く、共感できるのではないでしょうか。

自然の風景や、めくるめく幻想をあざやかに描き出す描写力。ストーリーを楽しむというよりは、美しい詩的なイメージを味わうための物語。
デ・ラ・メアの不思議な作風は、わたしにとってはしっくり肌になじむもので、すっかりとりこになってしまいました。 こういうお話をこそ、きっと珠玉の物語というのでしょう。
デ・ラ・メアの作品は、日本ではそれほど知られていないのかもしれませんが、子どもたちにも大人にも、ぜひとも親しんでほしいと思います。

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「デ・ラ・メア幻想短篇集」

W・デ・ラ・メア 著/柿崎 亮 訳(国書刊行会)
2009/07/05

デ・ラ・メア幻想短篇集
『デ・ラ・メア幻想短篇集』は、デ・ラ・メアの幻想短篇、本邦初訳10篇を含む計11篇がおさめられた、ファン垂涎の一冊です。
デ・ラ・メアの大人向けの作品群、主に怪奇譚がとりあげられており、「子どものための物語集」(Collected Stories for Children, 1947)などにおさめられた幻想物語とは、また味わいが違っています。
怪奇譚、しかも表紙カバーの装画がちょっと怖いのですが、臆せず手にとってみれば、それぞれ話の結びがまことにデ・ラ・メアらしい人情味にあふれた、なんともいえず心あたたまる作風を楽しむことができます。

「謎」 すでに多数の邦訳がなされている、デ・ラ・メアの珠玉の一篇。
下記に紹介している『デ・ラ・メア物語集 2』にも、「なぞなそ」というタイトルで収録されています。原題は「The Riddle」。とても短いこの一篇、タイトルどおりのなぞめいた雰囲気は、デ・ラ・メア作品の真髄ではないでしょうか。

「悪しき道連れ」 地下鉄の駅で出会った奇妙な老人を尾行することになった主人公が、荒れはてた屋敷にたどり着き…という筋書きの幽霊譚。
屋敷の様子や、そこで発見されたものは、まさに幽霊屋敷探訪という感じで、怖い話なのかなと思いきや、結末がなんとも心あたたまるなあと感じるのは、わたしだけでしょうか?

「五点形」 亡き伯母から古い屋敷を相続した友人ビバリーに頼まれ、語り手である「私」がその屋敷に泊り込むことになります。ビバリーは、伯母の肖像画が、裏向けても椅子に置いても、次に見たときには必ずもとのとおり、壁にかかっているというのでしたが…。
これも古い屋敷や肖像画という道具立ては、古典的な幽霊譚という印象。決着のつけかたが「悪しき道連れ」と共通していて、謎は謎のまま終わります。そこが決して消化不良な感じでなくて、心あたたまる雰囲気なのです。

「三人の友」 イーブス氏が毎晩見るという、「死んだあとの状態」についての夢の話。死後の世界を信じていたというデ・ラ・メアですが、ここで語られるその世界は、リアルで皮肉で、だからこそ怖いです。

「ミス・ミラー」 子ども向けの本に収録されても良さそうな作品。泣いて公園を走ってきた少女ネラが、木陰のベンチで、風変わりなミス・ミラーに出会い…。これは『不思議の国のアリス』のような言葉遊びがたくさん使われているので、原文で読まないと面白さが分かりづらい。 けれども意味不明なことばかり言うミス・ミラーの印象は、読後つよく残ります。

「深淵より」 豪奢な屋敷を相続した主人公ジミーが、眠れぬ夜に執事を呼ぶための引き紐をひくと、いないはずの執事がどこからか現われて…。
やはり古典的な幽霊譚という印象、そしてなぞめいた結末。屋敷の様子やジミーの見る幻が、デ・ラ・メアらしい複雑で込み入った描写でえがかれており、読み応えがあります。

「絵」 亡くなった先妻の肖像画に、心理的に追い詰められたルシアはとうとう、肖像画に細工をして…。これは、現代的な心理小説という印象。幻想や怪奇は苦手という人にもわかりやすく読めるのではないでしょうか。

「ケンプ氏」 ケンプという名の紳士が、世捨て人のように暮らしている屋敷を訪れた男…。酒場で語られる、幽霊屋敷探訪の話。屋敷にたどり着くまでの険しい道のりの描写が圧倒的。

「どんな夢が」 バス事故にあったエメリンが、気を失っている間に見た奇妙な夢。デ・ラ・メアの作品には、説明らしい説明がほとんどないので、最初は何が起っているのかよくわからず、だからこそ、主人公の朦朧とした夢の中に読者も引き込まれていきます。しかしこの作品では、夢から醒めたときの、結末の部分がはっきりとしてわかりやすいです。

「家」 手放すことになった家を、夜じゅう点検してまわるアスプレイ氏が、家への愛着や思い出からたちあらわれる幻を見る話。巻末の作品解題にもあるとおり、英国人の家屋敷への執着の念は、現代の日本人にとっては印象的です。

「一瞥の恋」 眼に障害があり、視線を上に向けられず、人の顔もよく見ることができない青年セシル。ある女性の手袋を片方だけ拾ったことから、風変わりな恋が始まりますが…。
デ・ラ・メアの詩人としての感性が発揮された丁寧な描写が魅力の、悲しい恋物語。起伏のあるストーリーというわけではありませんが、複雑な描写で細部を描きこんでいるため、中篇といってよい長さになっています。
嵐のなか、菩提樹の若木の下で、手袋の持ち主シンコックス嬢と雨宿りをしたセシル。ふたりは恋によって至福の時を過ごしましたが、その後ふたりに訪れた運命は絶望的なものでした。
セシルは菩提樹の下での雨宿りのときには見なかったシンコックス嬢の顔を、物語の最後に初めて一瞥しますが、そのとき彼が見たものは、「愛らしい現身の顔、だが信じがたい、哀れみの心に満ちた、苦痛に身を焦がした、決して忘れることのできない、決して消えることのない、決して理解し得ない景観であり、庭園であり、驚異だったのでした。」
セシルは人の心の深淵を、一瞬でのぞき、その一瞬は永遠となり、その後の彼にとっては、晴れた夏の日の輝くばかり美しい景色でさえ、「実体のない、偽りの景色」となってしまったのです。
「悪しき道連れ」「五点形」「ケンプ氏」…デ・ラ・メアの作品には、生きているときには孤独だった人の幽霊がよくあらわれますが、著者の、幻ではなく人の心の深淵を見つめる眼差しは印象的。そのはかりしれない深淵にひそむものが、この「一瞥の恋」では悲しく、美しく描かれています。

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「デ・ラ・メア物語集 1」

ウォルター・デ・ラ・メア 作/マクワガ葉子 訳/津田真帆 絵(大日本図書)
2007/07/01

デ・ラ・メア物語集〈1〉
「幼な心の詩人」とも評される、20世紀前半の英国を代表する詩人、幻想小説家ウォルター・デ・ラ・メア。
全3巻の『デ・ラ・メア物語集』は、津田真帆さんの挿絵も素敵な物語集で、ここにおさめられた作品は、ほとんどがカーネギー賞を受賞した「子どものための物語集」(Collected Stories for Children, 1947)からとられたものです。
この第1巻には、おとぎ話の味わいをもつ5篇「魚の王さま」「ウォリックシャーの三人の眠る少年」「オランダ・チーズ」「一日一ペニー―小人の賃金」「美しいマヴァンウィ」が収録されています。
このうち「美しいマヴァンウィ」をのぞく4篇の作品が、福音館文庫の『九つの銅貨』と重複して収録されていますが、タイトル及び訳が違うことを指摘しておきます。

「魚の王さま」「オランダ・チーズ」(=「チーズのお日さま」)「一日一ペニー―小人の賃金」(=「九つの銅貨」)のあらすじと感想については、『九つの銅貨』の読書日記(→Click!)をご覧ください。

「ウォリックシャーの三人の眠る少年」(=「ウォリックシャーの眠り小僧」)については、『九つの銅貨』のほうに書きそびれたことを、こちらに書きとめておこうと思います。
このおはなしの中に出てくるトム・デイカーの唄というのは、ウィリアム・ブレイクの詩「煙突掃除の少年」のことです。 ブレイクの詩集を読み返して全文を確認してみましたが、偉大な先達の作品からインスピレーションを得て、こんなにも素晴らしい幻想世界を描くことができるということに、深く感じ入りました。
デ・ラ・メア作品は、とにかく美しい詩的な描写が印象的で、この「ウォリックシャーの…」では、やはり最後、眠り続けていた三人の小僧たちの身体に魂が戻ってくる場面の表現が秀逸です。
だれもいませんでした。でも、娘が広い階段のところで、その若々しい首をかしげ、夢中になって耳をそばだてていると、そこに風がふっと、 まるでダマスカスの広場から吹くかんばしい風のように通りすぎました。なんの音もなく、はく息ほどの音もせずかすかに、 それなのにほとんどたえがたいほどのあまい春の香り―まがりくねった川ぞいの、鳥がよりつどい、羊が草をはむ牧草地から、そのまま運ばれてきた香り、ささやきの芳香でした。 はるかな記憶がそのとき娘の眼の前でかたちとなり、楽しげに通りすぎていったかのようでした。

『デ・ラ・メア物語集 1』103ページより

読んでいて、自分の耳もとにも、はるかな記憶をとじこめた、かぐわしい快い風が吹きすぎていったような、よい心持ちがしました。

「美しいマヴァンウィ」は、「魚の王さま」と同じ、登場人物が動物に「変身」するという魔法が題材になっています。
むかしむかし、ウェールズの辺境の山々のふもとの古いお城に、領主とその美しい娘マヴァンウィが住んでいました。 父君はマヴァンウィを愛するあまり、姫が自分のもとからいずれ去っていくことをおそれていました。 マヴァンウィは自由に憧れますが、父君は城の外へ一歩でも出ることを許してはくれません。
そんなある日、隠しても隠しきれない姫の美しさを噂に聞いて、城を訪れた若者のひとりに、姫は心奪われます。 若者は姫との結婚を許してくれるよう父君に申し入れますが、父君は烈火のごとくいかりくるい…。
「魚の王さま」では水に惹かれる主人公ジョンが魚に変身しますが、がんこなマヴァンウィの父君はロバに変身してしまいます。
こっけいであわれなロバの姿。そんな父君を忠実に愛するマヴァンウィが、父君を救うために、初めての夜の森へと、凛として出てゆく姿が対照的。
月の光に満たされた夜の森の描写はやはり素晴らしく、デ・ラ・メアならではの夢かうつつか判然としない美しさに彩られています。

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「デ・ラ・メア物語集 2」

ウォルター・デ・ラ・メア 作/マクワガ葉子 訳/津田真帆 絵(大日本図書)
2007/07/07

デ・ラ・メア物語集〈2〉
「幼な心の詩人」とも評される、20世紀前半の英国を代表する詩人、幻想小説家ウォルター・デ・ラ・メア。
全3巻の『デ・ラ・メア物語集』は、津田真帆さんの挿絵も素敵な物語集で、ここにおさめられた作品は、ほとんどがカーネギー賞を受賞した「子どものための物語集」(Collected Stories for Children, 1947)からとられたものです。
この第2巻には、日常生活の中にふと紛れ込むふしぎな世界が描かれた5篇「ルーシー」「白い鳥のおとずれ」「かかし」「ミス・ジマイマ」「なぞなぞ」が収録されています。
このうち「ルーシー」は、福音館文庫の『九つの銅貨』と重複して収録されていますが、訳が違うことを指摘しておきます。

第2巻におさめられた5篇の共通点として、日常生活の中に紛れ込むふしぎ、ふしぎの紛れ込む契機としての主人公たちの孤独、また田園風景や自然の詩情あふれる美しい描写、があげられるかと思います。

「ルーシー」のあらすじについては、『九つの銅貨』の読書日記(→Click!)をご覧ください。
この物語の主人公ジーン・エルスペスは、孤独であるからこそ、心のなかにたいせつな友だち「ルーシー」を住まわせることができました。
一読したとき、このお話には何か大事なこと、世界のある秘密のようなものが描かれていると感じて、どきどきしました。
そういえばトーベ・ヤンソンの自伝的小説『彫刻家の娘』にも、少女トーベが心のなかに作り上げた友人たちと会話する様子が描かれています。 大人たちはほんとうは、そんなたいせつな友だちがいたことを、忘れてしまっているだけなのかもしれません。

「白い鳥のおとずれ」には、左腕の障害のためにひとりぼっちだったトム・ネビスが、十歳の頃に見た、ある不思議な光景が描かれています。
たいせつな幼い妹エミリーを亡くし、妹のお墓に毎月訪れていたトムは、お墓参りの帰り道、雨でできた牧場の水たまりに、二羽の見知らぬ鳥を見つけます。 ふしぎな白い美しい鳥。その光景の中に深い幻想を見たトムは、やがて故国を遠くはなれた地へ旅に出て、二度と戻ることはなかったのでした。
デ・ラ・メアは、この物語の主人公トム・ネビスに、おそらく自分自身を重ね合わせていたのかもしれない、と思えました。
トムには、「この世は、ほとんどひとつの夢の、たえず移りかわるパノラマではないかと思えた」のですが、これは「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」という名言を残した作者自身の、真実の思いであったことでしょう。

「かかし」は、ボルソバー老人が子どもの頃に見た妖精について、姪のレティシアに話して聞かせるという趣向になっています。 この物語の導入、ボルソバー老人の家と、牧場と、それらをとりまく朝の光の描写の部分など、まるで美しい一葉の絵を見るようで、詩人デ・ラ・メアの描く物語の魅力のひとつは、こういった詩情あふれる描写にあるなあ、としみじみ思ったことです。

「ミス・ジマイマ」は、「かかし」と似た趣向で、スーザンの祖母(彼女の名もスーザン)が孫娘にせがまれ、少女の頃に見た妖精について話して聞かせます。
少女だった頃のスーザンは、父を亡くし、母親が病のため療養に出ることになったため、何ヶ月かのあいだ親戚の農場にあずけられます。ここでも主人公はやはり孤独で、その孤独な心が妖精を見つけてしまうようです。
この物語では、妖精は人間の子ども(スーザン)を連れ去ろうとする、冷たく非人間的な一面をのぞかせており、それもまた興味深いです。

「なぞなぞ」は、原題が「The Riddle」。日本語の語感としては「なぞなぞ」というより、「なぞめいた話」とでもしたほうが良い内容の、ほんとうにふしぎな味わいの作品です。 おばあさまと一緒に暮らすことになった七人の子どもたちが、その古い家の、予備の寝室のすみにある、カシの木のひつの中に、一人、また一人と消えていく……ただそれだけのお話を、 こんなにも美しく、恐怖よりも安らぎに満ちたイメージで描くことができるのは、やはりデ・ラ・メアの詩人としての資質が発揮されていると言えるでしょうか。
『ナルニア国ものがたり』にも似たはじまりなのに、たんすではなくカシの木のひつの中に消えた子どもたちは、そのまま戻ってくることはありません。
カシの木のひつのある寝室で、決して遊んではいけませんよと、おばあさまはなぜ、わざわざ忠告したりしたのでしょう?
けれどもそれもすべてなぞのまま、そのなぞめいた雰囲気こそが、この作品のふしぎな魅力になっています。

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「デ・ラ・メア物語集 3」

ウォルター・デ・ラ・メア 作/マクワガ葉子 訳/津田真帆 絵(大日本図書)
2007/07/14

デ・ラ・メア物語集〈3〉
「幼な心の詩人」とも評される、20世紀前半の英国を代表する詩人、幻想小説家ウォルター・デ・ラ・メア。
全3巻の『デ・ラ・メア物語集』は、津田真帆さんの挿絵も素敵な物語集で、ここにおさめられた作品は、ほとんどがカーネギー賞を受賞した「子どものための物語集」(Collected Stories for Children, 1947)からとられたものです。
この第3巻には、ユーモアとナンセンスの底に人生の哀しみが込められた5篇「鼻」「どろぼう」「おさげ会社」「オールド・ライオン号」「ハエになったマライア」が収録されています。

「鼻」は、英国風のナンセンスが効いた一篇。主人公サムの洗礼式に現われた、招かれざる大おばカレン・ハプチ。ひとを憎んで生きている彼女はサムの母に、あかんぼうの鼻はロウでできている、と囁きます。 両親はその言葉を信じ込んで嘆き悲しみ、サムは世にも不幸な運命を背負って生きていかなければならなくなるのですが…。
ほんとうはロウの鼻なんかであるはずはないのに、そうと信じ込んでしまった両親とサムの滑稽さ、その底に流れる人生の哀しみ。 サムは孤独を余儀なくされましたが、読書を愛し、シェイクスピアの戯曲を朗読しては心慰められる姿など、本を愛するすべての人が思いを重ねられるのでは。 やがて孤独ながらも自分の世界を守ってしずかに暮らしていたサムが、自分の鼻がほんものの鼻であるという真実を知り、状況が一変するのですが、このあたりの迫真の心理描写も、上手いなあと唸らされます。

「どろぼう」もまた、滑稽さのなかに人生の哀しみがにじんだ秀逸の作品。どろぼうをして大金持ちになった男が、年をとって結婚を夢みますが、邪悪な人生を送ってきた彼の花嫁になってくれる女性は見つかりません。 やがて大どろぼうは後悔とうたぐりとみじめな気持ちで一杯になり、財産を寄付したり売り払ったりした上、召使たちにもひまを出し、とうとうひとりぼっちになってしまいますが…。
悪いことをしてたくさんの金品を手に入れても、心のやすらぎを得られなかった大どろぼうの孤独と哀しみが、ひしひしと伝わるお話。大どろぼうがどろぼうに入られることをおそれて戸締りを厳重にするくだりなど滑稽ですが、本人は深刻です。
けれど、ひとりぼっちの大どろぼうも、最後にはたったひとつの救いを得ることができます。結末まで、どうぞ実際に読んでみてください。涙なしに読み終えることはできない、しずかな、美しい結びとなっています。

「おさげ会社」は、最初からいもしない子がいなくなってしまった、その子の名はバーバラ・アラン、おさげのかわいい女の子―というミス・ローリングスの空想に端を発した、明るくたのしいお話です。 ミス・ローリングスはバーバラ・アランを探して、新聞に広告をだし、おさげの女の子たちを集めて寄宿学校を作ってしまいます。
いもしない子がいなくなってしまうという着想が面白く、こういう荒唐無稽とも思える空想をどんどん展開させて物語を作ってしまうところは、デ・ラ・メアならではの筆さばきといえるでしょう。

「オールド・ライオン号」は、船乗りのバンプスさんがアフリカで出会った不思議な猿ジャスパーが主人公。 ジャスパーは賢く、人の言葉をすぐ話せるようになり、立ち居振る舞いも優雅だったので、劇場に出て、お金をどんどんかせぐようになりますが…。
猿のジャスパーの孤独な様子、みずからの心の深淵をしずかに見つめているような姿が、とりわけ印象的な作品です。

「ハエになったマライア」は、何気なく始まりながら、とても深いものを描いた、不思議な味わいの一篇。主人公の少女マライアは、ある朝、ハエを見て、そのハエを特別なハエであるように感じ、やがてハエそのものになってしまったような感覚を味わいます。 「もしそんなことが可能なら、マライアはそのとき同時にふたつのものになった、あるいは時をずらして、それぞれのものになったよう」な体験をするのです。 時計の針がほんの三分うごいた間に、三世紀はたってしまったように思えた、この深い体験を、マライアは大人たちに話してきかせようとしますが、大人たちには少しも理解できません…。
このようなお話は、やはりデ・ラ・メアでなくては描けないものでしょう。デ・ラ・メアの作品には、いつも”世界の秘密”が、そっと紛れているように思えます。
「子どもは、もうすでに完全で生まれてくる」(あとがきより)と語ったデ・ラ・メア。子どもの頃は感覚的に知っていた”世界の秘密”を、大人はいつのまにか忘れてしまっているけれど、 デ・ラ・メアはずっと幼な心を持ち続け、多くの詩と物語を、後世に残してくれたのです。

→Amazon「デ・ラ・メア物語集〈3〉

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「妖精詩集」

W.デ・ラ・メア 著/荒俣 宏 訳(ちくま文庫)
2006/05/17
妖精詩集 (ちくま文庫) ちくま文庫復刊フェアで、ロード・ダンセイニ『妖精族のむすめ』などとともに、めでたく復刊したこの本。
「幼な心の詩人」と評される、英国の詩人、幻想小説家ウォルター・デ・ラ・メアの詩に、ドロシー・P・ラスロップの愛らしい絵が添えられた、文庫としては贅沢な一冊です。
訳者の荒俣氏は幻想小説のみならず、挿絵本の紹介者としても、つとに名高い方ですので、ロード・ダンセイニ『妖精族のむすめ』にしろ、 ジョージ・マクドナルド『リリス』にしろ、挿絵も大きな魅力のひとつとなっています。

この『妖精詩集』の原本は、
Down-Adown-Derry (Constable Co.Ltd.,London,1922)。
デ・ラ・メアの名前は知っていたのですが、実際に読んだことはなく、復刊フェアをきっかけに手にとってみて、とても良かったです。
デ・ラ・メアの作風は、「夢の中に暮らす幼年期の感性」と、あとがきで荒俣氏も述べているとおり、じつに夢幻味あふれるもの。
妖精を題材にした詩の数々は、昔話のような味わいもあり、読んでいるうちに、夢と現の境界が曖昧になる感覚が味わえるのが魅力です。
耳もとに、月光のようにあえかな、妖精たちの笑い声が聞こえたかと思うと、そのまま、あちら側の世界へ連れ去されてしまいそうな。そんな不思議な浮遊感。
こんなふうに、ほんものの夢を見続けることができたデ・ラ・メアだからこそ、「幼な心の詩人」と呼ばれたのでしょうね。
これも訳者あとがきにあったのですが、「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」という、江戸川乱歩の座右の銘が、 デ・ラ・メアの名言だったなんて、知りませんでした。
大好きな言葉だったのですが、これはデ・ラ・メアのオリジナルだったのですね。

「幼な心」とは言っても、この本に登場する妖精たちは、シシリー・メアリー・バーカーの描いたフラワー・フェアリー(→Click!)のような、陽のひかりを感じさせる、やさしくて愛らしいだけの隣人ではありません。
月夜や黄昏、闇の帳の向こう側に住む、妖しく魔的な、だからこそ魅力的な存在として描かれており、英国圏での妖精信仰について知る上でも、たいへん興味深いです。

月光の下、妖精の輪(フェアリー・リング)に誘われ、踏み迷ってみたいなら、ぜひ一度お手にとってみてください。
楽しいよ、楽しいよ

「楽しいよ、楽しいよ、
緑林(グリーンウッド)が藍色の海を見おろすあたりは。
澄んで動かぬ月明のなかをそぞろ歩いたり、
谷間や丘で
エルフたちと踊るのは。
妖精のお酒を味わったり、
玉つゆやはちみつをさがして
エルフたちと野原を歩きまわるのは。
さあ、丘へ登ろう、おいでよ、早く、
そして妖精たちと暮らそうよ、エリザベス・アン!

「妖精が住んでる古い館には、
なみだも悲しみもないんだ。
すてきな竪琴の調べと
遠い鐘からひびく寂しげな音が聞こえるだけ。
タイムとヒースの丘にはね、
羊飼いが群れうごく羊とともに坐ってる、
巻貝が這いまわる砂浜には
だいしゃくしぎが鳴いて、ヒバリが飛びまわってる。
だから登ろう、おいでよ、早く、
そして妖精たちと暮らそうよ、エリザベス・アン!」

『妖精詩集』103-104ページより

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