■おすすめ名作少女小説

〜大人ならではの読み方あり!〜


『赤毛のアン』をはじめとする、昔ながらの少女小説。
子どもの頃に読んで夢中になり、主人公たちに共感したり、遠い国に思いを馳せたり、モスリンのドレスやレースやリボンや絹の靴下などのディテールに憧れたりしました。
少女の憧れがつまったこれらの物語を、大人が再読すること、もしくは初めて読んでみることは、決してつまらないことではなく、しみじみと楽しい読書体験です。
このページでは、古き良き少女小説の名作を、大人ならではの楽しみ方を織り交ぜつつ、ご紹介します。



↓クリックすると紹介に飛びます。

▼舞台はカナダの美しい島、モンゴメリ女史が生み出した永遠の少女のバイブル
「赤毛のアン」シリーズ
「エミリー」シリーズ
▼寄宿女学校や田舎の広大なお屋敷、バーネット女史の物語の舞台はいかにもイギリスらしい
「小公女」
「秘密の花園」
▼オールコット女史が描き出した魅力的な四人姉妹の物語、舞台は戦時中のアメリカ
「若草物語」
▼スイスの山暮らしへの憧れがつのる、ヨハンナ・シュピリの傑作児童文学
「アルプスの少女ハイジ」
▼ポーター女史の主人公の名は幸福を意味する名詞となった―アメリカが舞台の爽やかな物語
「少女パレアナ」/「パレアナの青春」
▼孤児のシンデレラストーリーってだけじゃない!ウェブスター女史が書いた自立する米国女性
「あしながおじさん」/「続あしながおじさん」
「おちゃめなパッティ」/「パッティ大学へ行く」


▼舞台はカナダの美しい島、モンゴメリ女史が生み出した永遠の少女のバイブル

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)

モンゴメリ「赤毛のアン」シリーズ
「赤毛のアン」ほか全10巻

モンゴメリ 著/村岡花子 訳(新潮文庫)
「緑の切妻屋根」(グリン・ゲイブルス)に住むマシュウとマリラの老兄妹のもとに、手違いでひきとられた孤児アン。赤毛でそばかすで元気いっぱい、夢みがちな少女アンが、たおやかな乙女へと成長してゆくみずみずしい日々の記録。 『Anne of Green Gables』は、2008年で出版100周年。邦訳版も多数刊行されていますが、やはり日本での『赤毛のアン』人気は、村岡花子の訳業によるところも大きいのではないかと思います。
村岡花子訳の新潮文庫「赤毛のアン」シリーズは、出版100周年を記念して、カバーも新しくなった改訂版が発行されています。

子どもの頃わたしが手にとったのは、全10巻のうちの、はじめの3巻ぐらいでしたが、ほんとうに面白く夢中になって読みふけった記憶があります。
出版100周年を機に、あらためて全10巻を読破しようと、第1巻『赤毛のアン』のページを繰ると…アンやアンをとりまく人々、アヴォンリーの美しい風景の魅力がわっとよみがえってきて、なつかしい友だちに再会したような喜びを感じました。
大人の目線で読むと、ずっと独身で通してきた不器用なマリラが、元気いっぱいのアンを家に迎えて、困ったり、楽しくなったり、やがてはもうアンを手放せないと思うほど、少女を愛するようになる過程が、しみじみと胸に迫ってきます。
またこのシリーズは、主人公アンの、そして作者モンゴメリの豊かな感受性のフィルターをとおして描写されたプリンス・エドワード島の風景の美しさが魅力のひとつですが、そういった細部の描写にはっとさせられることもしばしば。
そうそう、アンが橋の下でギルバートに助けられるエレーン姫ごっこのくだりなど、子どもの頃は知らなかったけれど、今になってあれはアーサー王の物語だったんだなあと気づいたり。
もちろん少女時代にかえった気持ちにもなり、「緑の切妻屋根」(グリン・ゲイブルス)のアンの部屋の雑貨の可愛さや、「ばらのつぼみ模様のお茶道具」に「ふくらんだ袖」(パフスリーブ)へのあこがれなど、うらやまし〜、わかるわかる〜と思ったりもします。

『赤毛のアン』の続編も、成長するアンの姿を見るのが楽しく、アンの書簡集の形式をとっている巻や、アン以外のアヴォンリーの人々を主人公にした短編集などもあります。シリーズ後編では、アンの子どもたちが主人公になるのですが、戦争の影がさしてきて、やがては子どもたちも従軍することになるなど、全10巻すべて読み応えがあります。
あとがきで村岡花子女史も言っているように、やっぱり『赤毛のアン』は、「航空機の時代になってもテレヴィジョンに親しみながらも失われない永遠から永遠につづく」、不滅の少女小説だなあと、しみじみ思ったことです。

→ローズマリー・サトクリフ『アーサー王と円卓の騎士』の紹介はこちら

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可愛いエミリー (新潮文庫)

モンゴメリ「エミリー」シリーズ
「可愛いエミリー」ほか全3巻

モンゴメリ 著/村岡花子 訳(新潮文庫)
この「エミリー」シリーズは、『赤毛のアン』以外のモンゴメリの少女小説ですが、舞台はやはりプリンス・エドワード島。最愛の父を亡くしてみなし子になった主人公エミリーが、エリザベス伯母がとりしきるニュー・ムーン農場にひきとられ、日々成長してゆく姿を描いたものです。 大人になってから知り、やはり村岡花子の訳で読みました。
村岡花子女史の解説によれば、「アン」もモンゴメリの自伝的要素があるけれども、「エミリー」はより自伝的だと言う研究者もいるのだそうです。

エミリーはアンに似て想像力ゆたかで夢みがちですが、アンとは違う意味でプライドが高く気難しく、孤高の少女という雰囲気があります。 書くことが好きで、やがては作家になろうと決意。創作に熱中し、真摯に努力するさまは、モンゴメリ自身の姿が投影されているという印象を受けます。
カナダのプリンス・エドワード島の自然、素朴な暮らしの美しさを描くモンゴメリの少女小説ですが、その魅力の底には、スコットランド系移民というルーツの問題があるように感じます。
アンの目やエミリーの目を通してみた、この世界の美しさは魔法めいています。それはやはりモンゴメリが、ジョージ・マクドナルドや、フィオナ・マクラウドにも通じる、スコティッシュ・ケルトらしい夢想家の魂をもつ人だったからではないかと思います。(そういえば「エミリー」シリーズでも、主人公エミリーはマクドナルドの『北風のうしろの国』を愛読していました)
またこのシリーズでは、エミリーがときに不思議な、千里眼のような力を発揮して、親友の母の死の真相をつきとめたり、幼馴染の少年の命を救ったりするエピソードがあります。エミリーたちの祖先は高地スコットランドの生まれで、千里眼をもっている女性もいたのだそうです。

「エミリー」シリーズは、エミリーの細やかな心理描写が多く、ストーリーとしても、手違いでグリン・ゲイブルスにひきとられたアンと違い、エミリーはクラン(血のつながった氏族)にひきとられて育つわけで、スコットランド系というルーツの問題も含め、アンよりリアルな物語になっていると思います。

→ジョージ・マクドナルド『北風のうしろの国』の紹介はこちら
→フィオナ・マクラウドの紹介はこちら

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▼寄宿女学校や田舎の広大なお屋敷、バーネット女史の物語の舞台はいかにもイギリスらしい

小公女 (新潮文庫)

「小公女」

バーネット 著/伊藤 整 訳(新潮文庫)
7才のサアラは、インドで暮らす父クルウ大尉のもとを離れ、イギリスの寄宿女学校に入学します。クルウ大尉はお金持ちで、サアラは学校で特別待遇を受けますが、 年に似合わず賢く、また想像力豊かでもあったので、校長のミンチン先生からは風変わりな子と嫌われます。
級友からは好かれたり妬まれたりしながら、楽しく過ごしていましたが、11才の誕生日に、父の死と、財産がなくなったことを突然知らされます。サアラは学校の使用人として、屋根裏部屋に住み、働いて暮らすことになりますが…。

『小公女』は、わたしの子ども時代の座右の書。
古き良き(?)イギリスに興味をもつようになり、あらためてこの物語を読み返してみますと、子どもの頃はどうやら子ども用に省略された本を読んでいたようで、こんなエピソードもあったかと新たな発見もありました。
やっぱりとても面白くて、一晩で読了してしまいましたが。でも大人ならではの感想もいろいろあります。
今読んでもミンチン先生はひどい人だけど、こういう人はいくらでもいるし、たとえばジェイン・オースティンならユーモラスな登場人物にしてしまったかもな〜だとか。 そもそも主人公サアラのお父さんの富は、インドから搾取したものなんだよな〜とか。 だいたいインド人のラム・ダスの描写なんて、インド人への偏見に満ちていないか、とか。
まあ、そうは言っても名作は名作で、辛い暮らしに陥ったサアラ自身を支え続けたゆたかな想像力には、うんうんと深く共感。 サアラはミンチン先生にいじめられても、自分を公女さまだと想像して耐えたり、みすぼらしい屋根裏部屋でも、宮廷の大広間のつもりになって楽しんだりしています。
子どもの頃は、ある日サアラが目覚めると、屋根裏部屋が豪華に飾りつけられていて、それが実はお隣のお金持ちの内緒の心遣いで…という部分に、わくわくどきどきさせられたものでしたが、大人目線だとこの展開はおとぎ話としか思えない。
むしろアーメンガアドの赤いショールをテーブルにかけると、とたんに屋根裏部屋が飾りつけをしたように華やかに見えてくるというくだりなどが興味深く、子どもならではの想像力、ごっこ遊びともとれるけれど、これがサアラの生きる知恵で、 大人でもこのテクニック、暮らしを楽しむコツとして仕えるかも!? なんて思いました。

→ジェイン・オースティンの紹介はこちら

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秘密の花園 (新潮文庫)

「秘密の花園」

バーネット 著/龍口直太郎 訳(新潮文庫)
インドで暮らすメアリーは、わがままでぶきりょうな女の子。父と母をコレラで亡くし、イギリスのクレイブン伯父のもとにひきとられます。伯父はヨークシャーのミッセルスウェイトという古い大きな屋敷の主人でしたが、陰気で憂鬱で、旅に出ていることの多い人でした。
伯父と顔を合わせることもなく、お屋敷に住むようになったメアリー。田舎育ちのメイド、マーサが身の回りの世話をしてくれましたが、遊び相手もありません。 マーサは、お屋敷の庭のどこかに、もう十年も誰も入ったことのない、秘密の花園があるのだと言います。広い庭に出てみたメアリーは、気難しそうな老庭師と、一羽の胸の赤い駒鳥に出会いました…。

『秘密の花園』は、『小公女』ほど有名ではありませんが、バーネット女史の傑作です。そしてこのお話は、たぶん、大人にとってこそ面白いのだと思います。
小学校の頃に読んだはずの作品ですが、内容をほとんど忘れていました。子どもの頃には、この物語のほんとうの面白さがわからなかったのでしょう。再読してみると・・・感動しました。舞台となるイギリスのヨークシャーの自然、秘密の花園の描写がとても美しいのです!
物語の運びや、登場人物は、魅力的ではあるけれども地味。メアリーは「わがまま」で「ぶきりょう」で、憧れの対象になるような主人公ではありません。物語の前半の興味は「秘密の花園」を探すことにあるのですが、子どもの関心はそれほどひかないという気もします。
メアリーや、クレイブン伯父の息子コリンといった、人に愛されず、甘やかされ、ひきこもりがちに育った、わがままで体の弱い子どもたちが、自然のなかで遊ぶことで元気に成長していくというこのお話。やっぱり子どもより大人にとって説得力がある気がします。
むしろ現代の日本では、働く大人たちこそが、メアリーやコリンにたとえられそう。コンクリートの都会の四角い建物の中でパソコン見ながら働き続ける大人たちには、春の野原に出て、種まきやら雑草とりやら、ただ虫や鳥を眺めたりする時間が必要ではないでしょうか…(それはわたし個人の願望か?)。

それからこの舞台設定、よく読んでみると、ちょっとゴシックロマン風なんですよね。イギリスの古いお屋敷で、十年も誰も入ったことがないという花園が噂され、時折どこかから聞こえてくる泣き声に、召使の誰もが気づかぬふりをする…。うーん、なんだか『ジェーン・エア』みたい。
また主人公メアリーが両親を亡くし、一時ひきとられた家の子どもたちに、「つむじまがりのメアリー嬢」とはやしたてられるくだり。そうか、これってマザーグースだったんだなあ、などとしみじみ。閉ざされた「庭」をよみがえらせるこの物語の主人公の名前は、そもそも「メアリー」で、彼女は「つむじまがり」でなければならなかったんですね。
物語の細部や背景などに目がゆきとどくようになるのは、ゆたかな世界を内包する児童文学を、大人になってから再読することの醍醐味。
読み継がれる児童文学の素晴らしさを、またまた感じさせられました。

→『ケイト・グリーナウェイのマザーグース』の紹介はこちら
→ウィルビーク・ル・メール『Mary, Mary, Quite Contrary』の紹介はこちら
→C・ブロンテ『ジェーン・エア』の紹介はこちら

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▼オールコット女史が描き出した魅力的な四人姉妹の物語、舞台は戦時中のアメリカ

若草物語 (福音館文庫)

「若草物語」

L・M・オールコット 作/矢川澄子 訳/T・チューダー 画(福音館文庫)
美人でやさしい長女メグ、男まさりで本の虫のジョー、おとなしくピアノが大好きなべス、気取りやさんで絵が得意なエイミー。マーチ家の四人姉妹は、従軍牧師として戦地に赴いた父の不在を心配しながらも、慈善の心に満ちた賢い母を慕い、仲良く前向きに暮らしていました。
クリスマスには、自分たちへの贈り物はなくとも、近所の貧しい母子を助け、家庭で楽しい芝居を上演します。そんなある日、ガーディナー夫人のダンス・パーティーで、ジョーはお隣に住むローレンス家の孫息子、ローリーと知りあいます…。

『若草物語』は、『小公女』と同じく、わたしの子ども時代の座右の書でした。
これはわかりやすいお話で、何度も読み返したので、大人になった今再読しても、四人姉妹の性格や、いろんなエピソードが懐かしく感じられます。
子どもの頃、感情移入したのはやっぱり次女のジョーでしょうか。ダンス・パーティーに、焼けこげのあるドレスとレモネードで汚れた手袋を身に着けていくくだり、よく憶えています。 「モスリン」だの「ブラマンジェ」だの、聞き慣れないカタカナの単語も楽しく、どんなものなんだろうと想像して憧れていました。
憶えていなかったのは四人姉妹がバニヤンの『天路暦程』になぞらえて、「いい子」「小さなご婦人」になろうと努力していたということや、南北戦争の暗い影などでしょうか。
楽しい物語なので、子どもの頃には、これがアメリカの戦時中のことなのだという印象は残りませんでしたが、今読んでみると、ああ、これは戦争の話だったんだと、母娘の心配ぶりに共感したりもします。
細部では、ジョーが物語の冒頭で欲しがっている本がフーケーの『ウンディーネ』だったりして、おお!あれは面白いからねぇと思ったり。
ときおり説教くさく感じられる部分もあるのですが、リアルで説得力のあるストーリーは、やはりオールコット女史の自伝的要素がつよいからでしょうか。

あと、福音館の『若草物語』の挿絵は、あのターシャ・テューダーが手がけているのが、見逃せないポイント!
この作品は、母さまと娘たちがかもし出すあたたかい家庭の雰囲気、貧しくとも工夫をこらして楽しむ様子が素敵で、ターシャ・テューダーのやさしい絵が、作風とぴったり合っています。

→フーケー『水妖記(ウンディーネ)』の紹介はこちら
→ターシャ・テューダーの紹介はこちら

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▼スイスの山暮らしへの憧れがつのる、ヨハンナ・シュピリの傑作児童文学

アルプスの少女ハイジ (角川文庫)

「アルプスの少女ハイジ」

ヨハンナ・シュピリ 著/関 泰祐・阿部賀隆 訳(角川文庫)
アルプスの山の上で孤独に暮らすアルムおじさんのもとに、孫娘ハイジがやってきます。ハイジは両親を亡くし、叔母デーテに、おじいさんのところに連れてこられたのです。
アルムおじさんは山の下の町の人たちには恐れられていましたが、無邪気で賢く朗らかなハイジを可愛いがりました。ハイジは山の上でおじいさんと、山羊たちと、山羊飼いのペーター、それにペーターのおばあさんと心を通わせ、幸せな日々を過ごしていました。
しかしある日デーテがふたたび現れて、ハイジはフランクフルトのゼーゼマンさんのお屋敷に連れて行かれます。体の弱いクララという娘の勉強相手になるためでしたが…。

『アルプスの少女ハイジ』は、子どもの頃、アニメで親しんだ作品です。憧れたスイスの山暮らし。おじいさんが火であぶったチーズ、あの美味しそうにとろけるさまを、憶えている人も多いのではないでしょうか。
原作を読んだことはありませんでしたが、今さらながら読んでみて、やっぱりハイジは面白い!と改めて感じたことでした。

大人の目線で原作を読んでみて、より深く納得できたのは、アルムおじさんの人生と人となりについてです。どうしておじいさんは人付き合いを避けて、ずっと山の上で暮らしているのか、町の人々がおじいさんを恐れるのは何故か? 原作を読むと、おじいさんの歩んできた、きれいごとでないリアルな人生が語られ、町の人々のおじいさんへの恐れも、どこにでもあるような誤解や偏見のせいだとわかります。 町の人々との和解も描かれていて、感動的です。
アニメで好感が持てなかったデーテの、自分勝手に見える振る舞いも、大人になると共感できるところもあります。生きていくことはきれいごとでは済まされないですものね。
この物語は、バーネット『秘密の花園』とテーマが似ているようで、ハイジも、クララも、クララのお医者さまも、フランクフルトという都会で生命力が疲れしぼんでしまうのですが、アルプスの自然の中で元気をとりもどしていきます。 クララは『秘密の花園』のコリンに、置かれた状況が似ています。コリンがメアリーやディコンと出会って子どもらしさを取り戻したように、クララはハイジやペーターとつきあうことでも、元気になっていくのです。
またハイジはペーターのおばあさんと心を通わせますが、年老いて目が見えないペーターのおばあさんにとって、子どもらしさがはちきれんばかりのハイジの存在がどれほど救いになったか、年を重ねるほどに胸に迫ってきます。
子どもどうし、そして子どもとお年寄りの交わりの大切さを考えさせられます。現代日本では、これらの関係が希薄になっているという気がしてきます。

さてこの物語を読むと、アニメだけでなく、アロイス・カリジェの絵本で描かれた風景も思い起こされます。カリジェの絵本は、アルプスの山小屋での暮らしや山羊飼いの少年たちについて描かれていて、『アルプスの少女ハイジ』とあわせ読むと、スイスの山暮らしについて、さらに理解が深まるのではないでしょうか。

→アロイス・カリジェの紹介はこちら

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▼ポーター女史の主人公の名は幸福を意味する名詞となった―アメリカが舞台の爽やかな物語

少女パレアナ (角川文庫クラシックス) パレアナの青春 (角川文庫)

「少女パレアナ」/「パレアナの青春」

エレナ・ポーター 著/村岡花子 訳(角川文庫)
両親を亡くしたパレアナは、気難しく独身を通している叔母ミス・パレーにひきとられます。最初はパレアナに冷たい態度をとるミス・パレー。けれども天真爛漫なパレアナは、お手伝いのナンシーや老僕のトム爺、近所の人たちとすぐに仲良くなります。 パレアナは父から教わった『なんでも喜ぶ』遊びを、出会った人たちと楽しみ、その遊びは村中に広がっていきます。
頑ななミス・パレーも、徐々に姪への愛情を示しはじめていたのですが、ある日パレアナが自動車事故にあい…。

この物語については子どもの頃、『愛少女ポリアンナ物語』というアニメを見たことを憶えています。アニメはあんまり好きだとは思わず、原作を読むこともありませんでした。もうひねくれた年頃(思春期?)になっていたからか、主人公ポリアンナの「しあわせ探し」というのが、ウソくさく感じられたのですよね。
村岡花子女史の確かな翻訳で、大人の目線で原作を読んでみたら、なかなか楽しい少女小説であることがわかりました。
パレアナは、モンゴメリ「エミリー」シリーズの主人公と境遇が似ていて、お母さんは早くに亡くしていて、大好きなお父さんも天に召され、気難しい独身の叔母さん(エミリーの場合は伯母さん)にひきとらます。そして血のつながった少女への愛情で、叔母さんの心がとかされていくのです。

パレアナは牧師である父親から、何にでも喜ぶことを見つけるゲーム『喜びの遊び』を教わり、それをずっと続けています。この物語を特徴づけているのはこの『喜びの遊び』です。 他の少女小説でも主人公たちはみんな、周囲の人たちの心を、その持ち前の想像力や無邪気さで、明るく変えていくのが常ですが、『少女パレアナ』ではこの過程が、『喜びの遊び』として具体的に示されています。なんでも喜ぶ方法というか、やり方が書かれているのです。
これは子どもには簡単な遊びだけれど、大人にとってはけっこう難しく、そして大人にとってこそ必要な物事の考え方、受け止め方だろうと思います。
わたし自身はどちらかというと悲観的で、『なんでも喜ぶ』という考え方は苦手なのだけれど、この物語はわかりやすく楽しく『遊び』のやり方が書かれているので、ちょっとしたストレス解消のコツとして、誰でも実行できそうです。
訳者である村岡花子女史の解説によれば、実際『少女パレアナ』が発表された当時、アメリカではこの本と『喜びの遊び』とは話題となり、やがて「パレアナ」という名は、喜びを意味する言葉として定着、辞典にも載るようになったのだそうです。
『パレアナの青春』は、子どもだったパレアナがレディとして成長していく過程や、パレアナの友人ジミーの出生の秘密などが描かれ、小説として面白い筋立てになっています。

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▼孤児のシンデレラストーリーってだけじゃない!ウェブスター女史が書いた自立する米国女性

あしながおじさん (新潮文庫) あしながおじさん (続) (新潮文庫)

「あしながおじさん」/「続あしながおじさん」

J・ウェブスター 著/松本恵子 訳(新潮文庫)
孤児院で育ったジュディは、評議員に名を連ねるある紳士の目にとまり、彼の援助で大学へ進学できることになります。 毎月一回、必ず手紙を書くことが紳士の出した条件。ジュディは、ほんとうの名も素性も明かさぬ紳士を「あしながおじさん」と呼び、生き生きとした楽しい手紙を書き送ります。

有名な『あしながおじさん』。原作も読んだし、アニメも見たけれど、その頃はさほど印象に残りませんでした。主人公の年齢が、少し上だったからでしょうか。
あらすじだけ聞くと孤児のシンデレラストーリーといった趣のこの作品。 主人公ジュディの書いた書簡体小説の体裁がとられていて、登場人物の科白や行動がダイレクトに伝わってこないので、行間を読む力が少なかった子どもの頃には、この本の面白さがわかりにくかったのかも?
今読むと、ジュディの筆致から、しなやかで、前向きで、自立心に富んだ彼女の好ましい性格が読み取れて、なんとも楽しいです。当時のアメリカの大学生活ののびやかさが、また何ともうらやましい。
こんな手紙を読んだ「あしながおじさん」は、そりゃあこっそりジュディに会いに行かずにはいられなかったでしょうと、ついつい笑ってしまいます。

『続あしながおじさん』は、主人公はジュディではなく、ジュディの友人サリーで、『あしながおじさん』の続編だけれども独立したお話。やはりサリーの書いた書簡体小説の形式です。
こちらは大人になってから初めて読みましたが、働く女性ならではの考え方が綴られていて、大人こそ読むべき作品だなと思いました。
サリーが、ペンデルトン氏とジュディに頼まれ、ジュディがもといた孤児院の院長として働き始めます。ジュディがつらい子ども時代を過ごした孤児院を、近代的に改革しようと奮闘するサリー。 サリーはお嬢さん育ちだけれど、まっすぐで聡明な明るい女性で、実行力に富んでいます。孤児院をともに改革していくマックレイ医師と、サリーに思いを寄せるハロック氏との、三角関係も見所。 仕事と、恋と、結婚に揺れるサリーの気持ちは、現代日本の女性が読んでも、間違いなく共感できるはず!
サリーの考え方は、自立した女性のそれで、今読んでもまったく古びた感じがしません。当時のアメリカの孤児院の、悲惨な実情も描かれており、たいへん読み応えがあります。

この2冊は挿絵入りで、それぞれジュディとサリーが描いたことになっていますが、もちろんこれらは作者ウェブスター女史が描いたもの。ユーモラスなイラストにも、思わず笑みがこぼれます。

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おちゃめなパッティ (fukkan.com) おちゃめなパッティ 大学へ行く (fukkan.com)

「おちゃめなパッティ」

ジーン・ウェブスター 著/遠藤壽子 訳(ブッキング)

「おちゃめなパッティ 大学へ行く」

ジーン・ウェブスター 著/内田 庶 訳(ブッキング)
「パッティ」シリーズは、ウェブスター女史の書いた明るい少女小説で、2冊とも短編集です。
『おちゃめなパッティ』は、女学生パッティの寄宿学校での日々が、『おちゃめなパッティ 大学へ行く』では、『あしながおじさん』を思い起こさせるパッティの大学生活が描かれています。絶版になっていたのが、復刊ドットコムの投票を多数獲得、ブッキングから復刊されたのだそうです。

『おちゃめなパッティ』では、聖アーシュラ学園を舞台に、パッティとプリシラとコニーの陽気な3人組が、ときに元気すぎて皆を困らせながら、のびのび学校生活を楽しんでいます。
同じ寄宿女学校でも、アントニア・ホワイト『五月の霜』などで描かれるようなイギリスのそれとは大違いの、アメリカらしい自由な雰囲気が印象的です。(まあ『五月の霜』の寄宿学校は、修道院付属で、先生も修道女だから厳しいのかもしれないけど…)
主人公パッティは、おちゃめというかハチャメチャで天衣無縫な、元気いっぱいのいたずらっ子。
ときにいたずらが過ぎるくらいに思えるときもあるのだけれど、『続あしながおじさん』では、サリーが孤児院の院長になって奮闘しながらも、子どもは従順であるより、いたずらするくらいの元気があったほうが好きだと書いてあり、これはそのまま作者ウェブスター女史の意見なのだろうなと、しみじみ感じたことでした。
サリーの考えにしても、パッティの行動力にしても、ウェブスター女史は子どもたちの自主独立の精神を大切にした人だったと感じます。
パッティは、『あしながおじさん』のジュディとは違って、苦労知らずでお金持ちのお嬢さんだけれど、自主独立の気概や友人隣人への思いやりは人いちばい。
作者ウェブスター女史は、裕福な家に生まれ立派な教育を受けた人ですが、感化院や孤児院を視察し、これらの施設を改善するための特別委員もつとめた女性だったとのこと。ジュディよりは、サリーやパッティに、作者自身の姿が投影されているのでしょう。

→アントニア・ホワイト『五月の霜』の紹介はこちら

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