■読書日記(2007年6月)


日付をクリックすると、読書日記へ飛びます。

2007年06月23日

マクドナルド 作『かるいお姫さま』

2007年06月03日

W・デ・ラ・メア 作『九つの銅貨』



「かるいお姫さま」

マクドナルド 作/脇 明子 訳(岩波少年文庫)
2007/06/23

ジョージ・マクドナルドは、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロル等とともに、近代イギリス児童文学の基礎を築いた人物。
多くの子ども向けファンタジーや、大人向けに書かれた『リリス』などの作品で知られる幻想文学の巨匠であり、 『ナルニア国ものがたり』のC・S・ルイスや『指輪物語』のJ・R・R・トールキンなど、のちの作家に多大な影響を与えました。

岩波少年文庫の『かるいお姫さま』には、表題作「かるいお姫さま」と、「昼の少年と夜の少女」の2篇がおさめらています。 どちらもマクドナルドが子ども向けに書いたファンタジー作品です。
下記に紹介したデ・ラ・メア『九つの銅貨』を読了したすぐあとに読んだので、純粋に子ども向けの作品であることに、少し物足りなさを感じてしまったことは事実。 ですがこの2篇の物語には、デ・ラ・メア作品にはないマクドナルド独特の物語性、ストーリーを追う楽しみがありました。

たとえば「かるいお姫さま」は、『ねむりひめ』などの昔話でおなじみの筋書きを下敷きにしています。
洗礼式に、意地悪な魔女に呪いをかけられ、<重さ>を失ってしまったお姫さま。いつも身体がふわふわ浮いてしまい、 心にさえも重しがなく、ほんとうの喜びやほんとうの悲しみを感じることもないお姫さまでしたが、 宮殿のそばの湖で泳いでいるときだけは、<重さ>を取り戻すことができました。
ところが意地悪な魔女は、お姫さまが湖で楽しんでいることを知ると、その湖さえも干上がらせてしまおうと企みます。
湖の水が減っていくとともに、次第に弱っていくお姫さまでしたが…。
このおはなし、マクドナルドの長編ファンタジー『北風のうしろの国』の中に出てくる「日光姫」のエピソードにそっくりです。
マクドナルドの子ども向け作品をたくさん読んだわけではないのですが、作者はこういった昔話の枠組みを巧みに用いながら、あたらしい独自の児童文学を作り上げていったのでしょう。
また「かるいお姫さま」は、訳者があとがきでも指摘しているとおり、ナンセンス、風刺、ことば遊びなど、キャロルの『不思議の国のアリス』と共通する要素がたくさんあります。
マクドナルドの最高傑作とされる『リリス』も、『不思議の国のアリス』を想起させる部分がたくさんあると感じたのですが、 マクドナルドとキャロルは、お互いに刺激を与えあいながら、素晴らしい作品を次々と生み出していったのだろうと思いました。

「昼の少年と夜の少女」は、「かるいお姫さま」よりずっとあとに発表された作品で、マクドナルド独特のキリスト教的世界観が色濃くあらわれています。
魔女ワトーは、「あけぼの」という意味の名をもつアウロラの息子を、フォトジェン(光の子)と名づけ、闇から遠ざけ昼しか知らない子として育てます。 また「宵の明星」という意味の名をもつヴェスパーの娘を、ニュクテリス(夜の子)と名づけ、ランプの明かり以外の光を絶対に見せず、夜しか知らない子として育てました。
あるとき地震がきっかけで、ニュクテリスは閉じ込められていた窓のない墓所から抜け出し、外の世界へ出てゆきます。そして夜闇をおそれるフォトジェンと出会い…。
「「外の世界へ出て行くこと」を「死」と重ねて語っている部分の理屈っぽさ」と、訳者あとがきにあるとおり、この作品はマクドナルド独自の思想が随所にあらわれており、 キリスト教的な神の概念に親しんでいない日本人にとっては、理解しようと思って読むと、むしろ作品の魅力が損なわれてしまうかと思います。
これは『リリス』を読んだときにも感じたことですが、この手のマクドナルド作品を読むコツは「理解しようと思わないこと」です。
このおはなしの面白さといえば、やはり16歳にして初めて外へ出たニュクテリスの眼差しで、この世界の美しさを改めて見直すことができる、ということではないでしょうか。
すっかり見慣れた、もしくは見飽きてしまったと思っている世界を、思いがけないほど新鮮で、驚異に満ちた、美しいものとして見せてくれる――これがファンタジーの効用でなくて何でしょう。
ファンタジーを読めば読むほどわたしが感じることは、わたしたちの住んでいるこの世界こそ、美しいファンタジーの舞台そのものなのだ、ということです。

ところで、岩波少年文庫にはマクドナルドの作品がいくつか入っていますが、カバー画が少女マンガというのに違和感を感じます(マンガが嫌いというわけでは決してなく)。 この『かるいお姫さま』のカバーは少女マンガではなかったので、安心して(?)買うことができました。
本文中の挿画は、ラファエル前派の画家アーサー・ヒューズの手になるもので、マクドナルド作品にぴったりの味わいです(^-^)

→マクドナルド『リリス』の読書日記はこちら
→マクドナルド『北風のうしろの国』の読書日記はこちら
→おすすめファンタジーの紹介はこちら

▲トップ



「九つの銅貨」

W・デ・ラ・メア 作/脇 明子 訳/清水義博 画(福音館文庫)
2007/06/03

「幼な心の詩人」とも評される、20世紀前半の英国を代表する詩人、幻想小説家ウォルター・デ・ラ・メア。
『九つの銅貨』に収録された5篇の物語は、カーネギー賞を受賞した「子どものための物語集」(Collected Stories for Children, 1947)から選ばれたもので、 どれも訳者の脇 明子さんがあとがきで述べているとおり、「子どもにも楽しめる」「大人にとってもすばらしい文学作品」であると思いました。

冒頭に収録された「チーズのお日さま」は、ごく短い一篇。 ジョンとグリセルダの兄妹は、両親を妖精たちに連れ去られ、いまは二人でつましく暮らしているのですが、 妖精たちはグリセルダが大好きで、いろいろないたずらをしかけてきます。ジョンはそんな妖精たちが許せず……。
このお話を読むと、英国の人々にとって、そしてデ・ラ・メアにとって、「妖精」とはどういう存在なのか、とてもよく伝わってきます。

次に表題作「九つの銅貨」。荒れはてた古いお城の城壁の中の、小さな家に住んでいるグリセルダとおばあさん。 おばあさんの具合が悪くなり、看病のため働きに出ることもできず困っていたグリセルダの前に、ある日小人のおじいさんがあらわれて、 九つのペニー銅貨とひきかえに、家事をしてくれると言うのでしたが……。
このお話でも、小人のおじいさんの存在感が際立っています。わたしたち日本人にもなじみ深い、ディズニーの白雪姫に出てくるような小人たちとは趣の違う、 価値観をまったく異にする不思議な存在としての小人。
またお話の後半、グリセルダが連れて行かれる「海の底にある海のやからの岩屋」の様子の描写など、ほんとうに神秘的で美しいです。

「ウォリックシャーの眠り小僧」では、チェリトンの町を舞台に、欲深で因業なノルじいさんと、じいさんにこき使われる三人の煙突掃除の小僧たちが登場します。
三人の小僧たちを含む、町じゅうの子どもたちの夢みる魂が、真夜中に、不思議な(おそらくは妖精たちの奏でる)音楽に誘われて、通りに踊り出てくる場面の描写は、 『ハメルンの笛ふき』を彷彿させる美しいものです。
因業なノルじいさんは、三人の小僧たちを食べさせずにこき使おうと、踊り出ていった小僧たちの魂を身体からしめ出そうとして……。
ノルじいさんは嫌な人なのだけど、デ・ラ・メアのじいさんへの眼差しは、意外にも同情的。 恨みや憎しみで心をいっぱいにして、夢みることもできないノルじいさんを、作者は哀れんでいるようです。
このお話の最後、眠り続けていた三人の小僧たちの身体に魂が戻ってくる場面は、とりわけ美しく印象的です。

「ルーシー」は、この作品集の中でも、ことに風変わりで不思議なお話。 主人公のジーン・エルスペットは、三人姉妹の末っ子で、その風変わりな性格から、姉ふたりには子どもの頃からずっと馬鹿にされつづけていました。 ジーン・エルスペットには、心のなかに自分で作りあげた、「ルーシー」という名前の友だちがいて、次女のタバサはこれをひどくからかいます。 裕福で、大きな石の館に何不自由なく暮らしていた三人姉妹ですが、やがて一家は破産してしまい……。
このお話は、ストーリーらしいストーリーは何もなくて、風変わりなジーン・エルスペットの人生が、こまやかな描写をつみ重ねて綴られているだけなのですが、 こういった作品こそ、デ・ラ・メアならではのものではないかと思います。
心のなかに自分で作りあげたたいせつな友だち――おそらくは誰の内面にも、そういった存在は住みついているのではないでしょうか?

最後に収録された「魚の王さま」は、「ルーシー」とはまた雰囲気の違う、物語らしい物語。 水に惹かれ、釣りをすることが大好きなジョン・コブラー。門もなくどこまでも続く不思議な塀の向こうにあるという川で、どうしても釣りをしたいと思った彼は、 あるときついに塀を超え、その向こうにガラスのような水をたたえた美しい川と、魔法の館を見出します。 ジョンは、この館に囚われていた、魚の尻尾をしたあわれな娘アルマナーラを、なんとか助けようとして……。
このお話では、魚への「変身」という魔法が題材になっていて、自然と『人魚姫』などの童話が思い出されます。
ジョンは無事にアルマナーラを救い出せるのか、物語にも興味をそそられますが、魚に「変身」したジョンの目線でみた世界は新鮮で、ファンタジーを読むことの醍醐味を感じます。
脇役として、魚になったジョンを助ける「女中」の存在も印象的。デ・ラ・メアの登場人物たちは、お姫さまや王子さまなどではなく、 おおかた地味で見栄えのしない立場の人々であるというのも、大人にとってはむしろ面白く、共感できるのではないでしょうか。

自然の風景や、めくるめく幻想をあざやかに描き出す描写力。ストーリーを楽しむというよりは、美しい詩的なイメージを味わうための物語。
デ・ラ・メアの不思議な作風は、わたしにとってはしっくり肌になじむもので、すっかりとりこになってしまいました。 こういうお話をこそ、きっと珠玉の物語というのでしょう。
デ・ラ・メアの作品は、日本ではそれほど知られていないのかもしれませんが、子どもたちにも大人にも、ぜひとも親しんでほしいと思います。

→「ウォルター・デ・ラ・メアの本」はこちら
→「おすすめファンタジー」はこちら

▲トップ



読書日記 Index へ戻る


■HOME