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□ 2010/04/26(Mon) |
●Kate Greenaway 著『A Apple Pie and Traditional Nursery Rhymes』(Everyman's Library) ●グリム童話/ビネッテ・シュレーダー 絵/矢川澄子 訳『かえるの王さま または忠臣ハインリヒ』(岩波書店) マザーグース絵本といえば、やっぱりケイト・グリーナウェイ。 マザーグースのひとつ「A Apple Pie」は、アルファベット学習用の唄のなかでいちばんイギリス人に愛用され、またグリーナウェイ挿絵の『A Apple Pie』(1886)は、絵本のロングセラーとしていまも店頭を飾っていると、『マザー・グース 3』(講談社文庫)の平野敬一氏の解説で述べられています。 この『A Apple Pie and Traditional Nursery Rhymes』は、<Everyman's Library Children's Classics>という洋書のシリーズの一冊。 『A Apple Pie』と『Kate Greenaway's Mother Goose』、ふたつのグリーナウェイによるマザーグース絵本が、一冊に収録されています。 ただこのシリーズの判型と、原本の判型とがまったく違うために、『A Apple Pie』の絵はおそらく横長だった絵が縦長の画面に印刷されているし、『Kate Greenaway's Mother Goose』のほうは、拡大されて印刷があらくなっているようです。 『Kate Greenaway's Mother Goose』が欲しいという人は、この本でなく、初版時と同じ判型で刊行されている本を買ったほうが良いと思います。 わたしは『Kate Greenaway's Mother Goose』の邦訳版を持っているので、『A Apple Pie』のほうが欲しくてこの本を買いました。『A Apple Pie』は、画面のレイアウトが多少不自然だとしても、印刷はきれいだし、グリーナウェイの絵はクラシカルで優雅で、やはり素敵だと思います。 そういえば、この絵本、なぜか「I inspected it」のページがありません。ネット上ではグリーナウェイの『A Apple Pie』は全ページフリーで閲覧できますが、それらを見ていると、どうも落丁というより、はじめから「I」の部分がないようなのです。 なぜでしょう、ふしぎです。「I」が抜けていると、わたしのような単なるグリーナウェイ・ファンはともかく、アルファベット学習用としては使えないと思うんだけど…(^^;) 『かえるの王さま』は、有名なグリム童話の1篇に、ビネッテ・シュレーダーが絵を寄せた一冊。 グリム童話の奥深さを再確認している今日この頃ですが、以前からシュレーダーの『かえるの王さま』が気になっていたので、ついに購入しました。 シュレーダーの絵は見れば見るほど面白くなる、やはり奥深い絵です。「ビネッテ・シュレーダーの絵本」のページをアップしているので、詳しくはそちらをご覧いただけるとうれしいです。 →「ケイト・グリーナウェイの絵本」はこちら →Amazon「Apple Pie and Traditional Nursery Rhymes (Everyman's Library children's classics)」 |
□ 2010/04/19(Mon) |
●ウォルター・クレイン 画『マザーグースの塗り絵 ウォルター・クレインのアンティーク絵本より』(マール社) ●P.L.トラヴァース 作/林 容吉 訳『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』『公園のメアリー・ポピンズ』(岩波少年文庫) ●谷川俊太郎 訳/和田 誠 絵/平野敬一 監修 『マザー・グース 2〜4』(講談社文庫) 『Walter Crane's Painting Book』は、1889年に出版された、世界で初めての「塗り絵」のための本で、ウォルター・クレインの絵本の中から選んだ絵が収録されています。 『マザーグースの塗り絵』は、『Walter Crane's Painting Book』の復刻版で、とても丁寧に作られています。 表紙カバーをはずした本体の表紙は、原本と同じデザイン、紙は真っ白でなく生成りで、アンティーク絵本の雰囲気が伝わってきます。 見開きの左ページに塗り絵用の線画、右ページにクレインのカラー画が配置され、クレインの絵をお手本にしながら色を塗っていく形式になっています。 しかもこの復刻版では、復刻部分に色を塗るのは抵抗があるだろうということで、巻末に画用紙にセピア色の線画を印刷した、現代の読者用の塗り絵ページがついているのです。う〜ん、こまやかな心遣い。 収録された絵は「マザーグース」「イソップ物語」「ゲーテ」「ライム」などをモチーフに描かれたもの。「マザーグース」の絵は、「ホカホカ十字パン」「ジャックとジル」「わたしは三艘の船を見た」「桑の木のまわりを」など6葉。 絵のもととなっている原詩とその日本語訳、クレインの生涯や作品についての解説も付されています。 この本でクレインの絵だけをじっくり見て見ると、やっぱりケイト・グリーナウェイやエルサ・べスコフにつながるものを感じます。 優雅でクラシカル、たいへん贅沢な塗り絵本です。 「メアリー・ポピンズ」シリーズを読破したいと思ったので、『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』『公園のメアリー・ポピンズ』を購入。 で、「メアリー・ポピンズ」には、やっぱりマザーグースの引用が多いので、谷川俊太郎 訳『マザー・グース 2〜4』を、あわせて購入しました。 『マザー・グース』第3巻に収録されている「おかあさまがわたしをころした」という、こわ〜い1編は、グリム童話「百槇の話(ねずの木の話)」などの民話から童謡になったものなのだそう。 「百槇の話(ねずの木の話)」こそ、トールキン教授が「時の深淵をかいま見る」ことができると言った(*1)、おそろしくも美しいお話なのです。 伝承されてきたものって、マザーグースにしろグリム童話にしろ、よく読むとこわいけど、ただこわいだけじゃないんですよね。大人になってやっと、しみじみそれがわかるようになってきたと思います。 でも子どもの頃は頭で考えるより、そういうことを肌で感じていたのかな〜。成長すると、「ばかな人間どもは」「だれだって、忘れちゃうんだからね!」(*2)とは、「メアリー・ポピンズ」の中で、バンクス家の子ども部屋を訪れるムクドリが、いつも言っていることなのですが…。 *1:J.R.R.トールキン 著/杉山洋子 訳『妖精物語の国へ』(ちくま文庫) →『妖精物語の国へ』ほか「J.R.R.トールキンの本」はこちら →Amazon「マザーグースの塗り絵―ウォルター・クレインのアンティーク絵本より」 |
□ 2010/04/12(Mon) |
●P.L.トラヴァース 作/林 容吉 訳 『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波少年文庫) ●谷川俊太郎 訳/和田 誠 絵/平野敬一 監修 『マザー・グース 1』(講談社文庫) ●P・G・ウッドハウス 著/森村たまき 訳 『ブランディングズ城は荒れ模様 ウッドハウス・スペシャル』(国書刊行会) 「メアリー・ポピンズ」ってほんとおもしろいな〜と思っていたら、作者P.L.トラヴァースは、ケルト民族をルーツにもつ人でありました。 『帰ってきたメアリー・ポピンズ』巻末に収録されている猪熊葉子「メアリー・ポピンズについて」によると、トラヴァースは、アイルランド人の父とスコットランド人の母をもち、またケルト文芸復興運動の中心人物であったW.B.イエイツらとの交流もあったのだとか。 ケルト文芸復興運動とは、長期のイギリス支配に対しケルトの人々が文化的独立を謳った民族運動。イエイツのほか、レディ・グレゴリー、J.M. シングらが推進役となり、ケルト(ゲール)語の語り部たちから採集した物語を英語に翻案して、民族の文化的遺産を現代に蘇らせようとしたものです。 トラヴァースはその運動に直接関わったのではないようですが、猪熊葉子さんは「子どもの文学の世界で、ケルトの詩人たちがめざしていたのと同じことを実現してみせた作家」だと述べています。 猪熊葉子さんはトールキンによる妖精物語の定義(*)も引用し、「メアリー・ポピンズは、まさに妖精物語の世界の住人である資格を十二分に具えた人物」とも言っていて、まさにその通りだなあと深く首肯したものです。 一読したときの軽やかさや爽やかさとは別に、この物語の奥には思いがけない時間と空間が広がっているなと感じたのですが、やはりトラヴァースは妖精国の境界がどこにあるかを知っているケルトの民で、メアリー・ポピンズは境界のあちら側からやって来た妖精国の住人だったのです。 そのことは『風にのってきたメアリー・ポピンズ』訳者あとがきに収録された、トラヴァース自身の言葉からもよく分かります。 わたしとしては、いっときたりとも、わたしがメアリー・ポピンズを作りだしたなどと思ったことはありません。きっと、メアリー・ポピンズが、わたしを作りだしたのだと思います……谷川俊太郎 訳、和田 誠 絵による講談社文庫の『マザー・グース』全4巻は、いまや邦訳マザー・グースの定番。 やっぱり訳が日本語としてとてもわかりやすいし、和田 誠さんの絵は、マザー・グースのおかしみを愛らしく描き出しています。 この1巻には、『大草原の小さな家』で、おかあさんがキャリーをねかしつけるときに歌った子守歌や、ローラたちの冬の日の遊び歌「豆がゆはあつい」などが収録されています。「豆がゆはあつい」は、解説によれば、歌いながら手を打ち合わせて暖をとる冬の遊びなのだそう。 ああ、そうだったのか、ローラたちにとってマザー・グースはほんとにふだんの言葉として息づいていたんだなと思うのも楽しい。 巻末に原詩と解説があり、索引が充実しているのもありがたい。手軽な『マザー・グース』辞典として、今後活躍してくれそうです。 『ブランディングズ城は荒れ模様』は、『ブランディングズ城の夏の稲妻』に続く、ブランディングズ城ものの長編。 国書刊行会のウッドハウス・スペシャルは、ブランディングズ城ものの2冊と、『エッグ氏,ビーン氏,クランペット氏』の、全3巻で完結とのこと。 ジーヴスものの長編はひきつづき国書刊行会で出してくれるようですが、まだまだブランディングズ城ものの長編はあるらしいし、未邦訳のウッドハウス作品もざくざくあるらしいし、『スミスにおまかせ』は手に入らないし…文藝春秋のP・G・ウッドハウス選集で出してくれるのかな〜?(ていうか、どうか出してください!) *J.R.R.トールキン 著/杉山洋子 訳『妖精物語の国へ』(ちくま文庫) →『妖精物語の国へ』ほか「J.R.R.トールキンの本」はこちら →Amazon「帰ってきたメアリー・ポピンズ 新版 (岩波少年文庫 53)」 |
□ 2010/04/05(Mon) |
●P.L.トラヴァース 作/林 容吉 訳 『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波少年文庫) ●谷川俊太郎 訳/鷲津名都江 編 『よりぬきマザーグース』(岩波少年文庫) ●P・G・ウッドハウス 著/森村たまき 訳 『ブランディングズ城の夏の稲妻 ウッドハウス・スペシャル』(国書刊行会) 有名な児童文学、「メアリー・ポピンズ」シリーズ。 こんないい大人になってしまってからでも、読んでみるとやっぱり面白いです。 1934年イギリスで出版。平凡なバンクス家を舞台に、4人の子どもたちと、子どもたちの世話をする乳母として現れたメアリー・ポピンズとが織り成すファンタジー。 「子ども部屋」という日常のなかに紛れ込んでいる不思議が、メアリー・ポピンズの来訪とともに次々と立ち現れてきます。地面に描いた絵の中に入ったり、牝牛が月をとびこえたり、ジンジャー・パンに飾られた紙の星を夜空に貼りつけたり…。 でも物語のあらましだけ聞いたり、急いで読んだりすると、メアリー・ポピンズって甘くて安易なファンタジーのように思えてしまうだろうことが残念。わたしなどは勝手に、メアリー・ポピンズは魔法使いか何かで、子どもたちに夢を見せてくれるのだろうという先入観をもっていました(だって風にのってくるんだから)。 読んでみると大違いで、まず、メアリー・ポピンズが何者なのか分からない。子どもたちはたまたま不思議を見ちゃって、なぜ?どうして?今あったことはほんとうなの?とメアリー・ポピンズに聞くけれど、彼女は「だれにも、なんにも、いわなかったのです……」。 メアリー・ポピンズが、やさしくないどころか子どもたちに対してそうとう厳しくて、いつも自分がどう見えるか身だしなみに拘ってショーウィンドウに見とれたりしてること、子ども目線で見るとわけがわからないかもしれない。 でももし、わたしがメアリー・ポピンズで、トールキン教授言うこところの「妖精国」(*)から黄昏の境界を越えてやって来て、こちら側の世界で乳母として働いているのだとしたら…。彼女の不可解な行動のすべてが納得できるかも? 「だれだって、じぶんだけのおとぎの国があるんですよ!」なんていう科白を、あわれむように、不機嫌に、子どもにさらりと言っちゃうメアリー・ポピンズ…。意外なほどに、この物語世界は奥深い。 はっきり言って、日本人にはちっともなじみがない(と思う)マザーグース。イギリスではナーサリー・ライムと呼ばれる、伝承童謡、古くから口承で伝わってきた子どものための押韻詩です。 『不思議の国のアリス』にも、上記の「メアリー・ポピンズ」にも、ウッドハウスのジーヴスものにだって、マザーグースは引用されています。 イギリスものだけじゃなくって、アメリカの『大草原の小さな家』など、英語圏の作品を読めば、マザーグースに必ず出会う。 でもこれも先入観で、マザーグースって怖い、残酷なもの、ナンセンスすぎて理解しにくいもの、などと考え、きちんと読むことなしにきてしまいました。だいいち英語がわからないし! 『不思議の国のアリス』を再読していて、マザーグースを知らないと、物語のほんとうの面白さを捉えそこねるかもしれない、と思い、まずは入門編として『よりぬきマザーグース』を購入しました。 この本は、日本では定番となっている谷川俊太郎 訳のマザーグースを50編厳選、原詩も収録されています。 いまさらながら「だれがこまどり ころしたの?」などの物語詩の面白さに気づかされました。こういう詩の怖さ、そういえばグリム童話の怖さと似ています。トールキン教授言うこところの「時の深淵をかいま見る」(*)ことの怖さなのです。 もっとマザーグースを知りたいと思う、入門書としてはぴったりの一冊。表紙カバーのシルエット画はアーサー・ラッカム(ラッカムはマザーグースの挿絵も手がけています)、本文挿絵には18〜19世紀の味わい深い木版画が使われています。 『ブランディングズ城の夏の稲妻』は、ブランディングズ城ものの長編。 国書刊行会のウッドハウス・スペシャルの一冊で、ウッドハウス・コレクションのジーヴスものと同じく、森村たまきさんの訳。ウッドハウス作品は、語り口の面白さそのものが勘所なので、文藝春秋のP・G・ウッドハウス選集との訳の違いも興味深いです。 国書刊行会の本は宣伝用のリーフレットが素敵だったりするのですが(ボウエン・コレクションもそのひとつ)、ウッドハウス・スペシャルのリーフレットもかわいくて良い。掲載されている、英国P・G・ウッドハウス協会元会長ノーマン・マーフィー氏のお気楽ごくらく写真が必見。 トニー・ブレア元英国首相の言葉も引用されていたけど、彼が英国P・G・ウッドハウス協会理事と知り、急にお気楽ごくらく仲間のような気がしてきたから、やはりウッドハウスワールドは素晴らしいとしみじみ思う。 *J.R.R.トールキン 著/杉山洋子 訳『妖精物語の国へ』(ちくま文庫) →『妖精物語の国へ』ほか「J.R.R.トールキンの本」はこちら →Amazon「風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)」 |
□ 2010/03/29(Mon) |
●ジル・ネレ 編著『天使』(タッシェン) ●P・G・ウッドハウス 著/岩永 正勝、小山 太一 編訳 『エムズワース卿の受難録 P・G・ウッドハウス選集U』(文藝春秋) 『天使』は、古今東西の名画に登場する「天使」の絵をピックアップした作品集。タッシェンの「アイコン・シリーズ」の一冊で、A5判型のコンパクトサイズ。ジョット、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、ルーベンス等の描いた天使たちが、多数収録されています。 他にもさまざまな画家の天使像がとりあげられていますが、ロッホナーの『薔薇垣の聖母』が収録されているのが嬉しかったです。 シュテファン・ロッホナーは国際ゴシック様式の流れをくむケルン派の画家。聖母子と天使たちを描いた膨大な西洋絵画作品のなかで、ロッホナーの『薔薇垣の聖母』は、とりわけ印象的。聖母マリアがかわいらしいんですよね。群れ集う天使たちも、幼い子どもの姿で愛らしい。 ジビュレ・フォン オルファースの絵本に描かれる子どもの姿が、宗教画に出てくる天使のようで美しいなと思っていて、天使の絵ってそもそもどんなふうだったかなと、この本を買ってみたのです。 いろんな「天使」が描かれているけれど、やっぱり古い絵の天使が好きかもしれない。 ロッホナーやジョット、フラ・フィリッポ・リッピ、そしてやっぱり傑出して美しいのがフラ・アンジェリコの天使たち。その瞑想的なきよらかな表情が素晴らしくて、うっとり見入ってしまいます。 現在ウッドハウスの本を邦訳刊行している版元は、国書刊行会と文藝春秋。 国書刊行会のジーヴスものの既刊はすべて入手してしまったので、さて次はやっぱりブランディングズ城ものか?と思い、こちら文藝春秋の『エムズワース卿の受難録』を購入。 ウッドハウスのブランディングズ城ものは、英国のビッグ・ハウスのイメージそのままのブランディングズ城を舞台に、のんびり屋のロード・エムズワースと、個性的なキャラクターたちが織り成す田園喜劇。 『エムズワース卿の受難録』には、ブランディングズ城ものの全短編が収録されています。また文藝春秋のP・G・ウッドハウス選集は、装幀がかわいくて、この本などカバーをはずした表紙のピンク色の豚ちゃん(ロード・エムズワースの愛豚「エンプレス」)が、最高にラブリーです。 切れ味するどくトラブルを解決してくれるジーヴスがいないので、ジーヴスものよりのんびり、ほのぼのした笑いを楽しめ、英国のカントリー・サイドの美しさも堪能できます(「伯爵とガールフレンド」は最高!ジーヴスものとはまた違う、しみじみとした味わいがあります)。 →「ジビュレ・フォン オルファースの絵本」はこちら →Amazon「天使 (アイコン) (アイコン・シリーズ)」 |
□ 2010/03/23(Tue) |
●P・G・ウッドハウス 著/森村たまき 訳 『ジーヴスの帰還 ウッドハウス・コレクション』(国書刊行会) イギリスものがなぜか好き、というか、気がついたらイギリスものばかり読んでいるわたしですが、読むたび感じずにはいられないのは、イギリスの植民地支配などの、憂慮すべき背景。 オースティンを読んでは「植民地からの搾取による豊かさ」を思い、バーネットの『秘密の花園』や『小公女』を読んでは「インド人への偏見」を考えさせられる…。 それなのに、ウッドハウスのジーヴスものに関しては、以前にも書いたとおり「英国中上流階級による植民地からの搾取!だとか、英国貴族が象徴する富の偏在の問題!だとか、ややこしいことを突っ込む気力」がなくなるんですよね〜。 なんでかな〜、登場人物や起こる事件があまりにもアホらしすぎるからかな、とか思っていたんですが、答えは『ジーヴスの帰還』の訳者あとがきの中に見いだされました。 作家イヴリン・ウォーはウッドハウスを敬愛しており、ウッドハウスを礼賛する言葉を多く残しているようですが、1961年の『サンデータイムズ』紙に掲載された有名な演説というのが、まさにウッドハウス作品の真髄を言い当てていると思いました。 ウッドハウス氏にとって人間の原罪ないし<原初の不幸>は存在しない。彼の作中人物たちは禁断の果実を口にしたことのない人々である。彼らはいまだエデンの園に住まっている。ブランディングズ城の庭園は我々が皆追放された楽園の庭である。シェフ・アナトールはいと高きオリュンポス山の不死の人々のための食物を料理している。 ウッドハウス氏の世界が色あせることなど決してあり得ない。彼は我々の時代よりももっと索漠たる時代を生きるであろう将来世代の人々をも、その因われより解放しつづけることだろう。彼は私たちが生きられる、楽しめる世界をつくってくれたのだ 『ジーヴスの帰還』訳者あとがきに引用されたイヴリン・ウォーの言葉 そうか…!バーティやダリア叔母さんやビンゴやガッシーやサー・ロデリック・グロソップは、みんないまだ原罪を知らぬ、楽園に住まいする人々であったのか…!要するにそういうキャラクターたちだからこそ、現世のややこしい問題を論じる気など起きはしない、ウッドハウスを読めば誰もが幸せな楽しい気持ちになれて、あとはベッドで丸くなっておやすみ〜というわけなのである。 これぞ究極の癒し本かもしれない…としみじみ思う管理人なのでした。 →「イギリスはおもしろい」はこちら →Amazon「ジーヴスの帰還 (ウッドハウス・コレクション)」 |
□ 2010/03/15(Mon) |
●ノルベルト・ヴォルフ 著 『カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ 静寂の画家』(タッシェン) ●P・G・ウッドハウス 著/森村たまき 訳 『ジーヴスと封建精神 ウッドハウス・コレクション』(国書刊行会) カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは、ドイツ・ロマン派の画家。北ドイツの荒涼とした厳しい自然の中に、孤独な後姿の人物像を配する、象徴的でときに神秘的な風景画を数多く描きました。 日本では、フェルメールほど人気のある画家とは言えないかもしれません。 下記で紹介した『西洋絵画史WH'S WHO』を眺めていて、そういえば大学でフリードリヒの絵についての講義を受けたなあ…と、ぼんやり思い出したのです。懐かしくなって買ってしまいました。 フリードリヒの風景画は、写実的なスケッチではなく、いくつかのスケッチを組み合わせて描かれた、画家の心象風景なのだと言います。 「海辺の修道士」や「樫の森の中の修道院」など、傑作といわれる彼の作品は、一見してとても暗い絵です。 学生の頃はこの絵のどこがそんなに素晴らしいのか、まったく理解できませんでした。 いまも理解できているわけではないけれど、画集を見ていると、なんだか…深く心を動かされます。 歳をとるということは不思議ですね(^^; この画集は、タッシェンの「ニュー・ベーシック・アート・シリーズ」の一冊。解説は、文字がとても小さいけれど、すべて日本語に訳されています。 「海辺の修道士」「樫の森の中の修道院」「窓辺の女」「人生の諸段階」「氷の海」など、重要な作品が多数おさめられていますが、「エルデナの廃墟」が収録されていなかったのが個人的には残念です。 さて『ジーヴスと恋の季節』があまりに面白かったので、またまた買ってしまったジーヴス・シリーズ。 なんで主人公バーティはこう、女子に勘違いされてるんだろ?と思う。『恋の季節』のマデライン・バセット然り、『封建精神』のフローレンス・クレイ然り、彼女らは自分がバーティに愛されていると信じ込んでいる。事実は逆で、バーティは彼女らと結婚させられる羽目になることを、とんでもなく恐れているというのに。 ジーヴス・シリーズでは、女子の気まぐれにふりまわされっぱなしの男子の苦悩や(バーティは独身で彼女なしなのに、数多の手弱女らに常時ふりまわされっぱなし…笑)、男どものしょーこりもない浮気心が描かれることも多く、男女の恋愛模様、お互いの徹底的な勘違いぶりが、最高に笑えます。 →Amazon「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ (ニューベーシック)」 |
□ 2010/03/08(Mon) |
●ノルベルト・シュナイダー 著 『フェルメール 感情を包むヴェール』(タッシェン) フェルメールは、現代の日本ではよく知られた、人気画家の一人ですよね。 17世紀オランダ絵画の巨匠。この本によると、19世紀半ば、印象派によって、風俗画の域をはるかに超えたフェルメール作品の真価が再発見されたのだそうです。 フェルメールが生きた時代の風俗画は、そこに描かれた登場人物の仕草や、テーブルの上の果物や水差しや、壁にかかった絵(画中画)など、すべてに寓意が込められているのだとか。 でもそういう寓意とか、教訓とか、風刺とかは突き抜けて、フェルメールの絵には、今を生きるわたしたちの心にもうったえかける、はっとするような美しさがあるなあと思います。 たとえば「天秤を持つ女(真珠を量る女)」(→サルヴァスタイル美術館で作品について確認!)。壁にかけられた「最後の審判」の絵、天秤、その天秤を持つ女性の顔は、左から差し込む光を受けて、どこか謎めいた抑えた表情を浮かべている…あくまで静謐な絵の中に一瞬でひきこまれ、絵を見るわたしの魂が、秤にかけられているような心持ちがします。 現代日本のアーティスト桑原弘明氏は、スコープと呼ばれる不思議な作品をつくっていますが、「フェルメール」と題するスコープの中には、フェルメールの部屋を再現しています(『スコープ少年の不思議な旅』収録作品)。左に開かれた窓、差し込む淡い光、壁にかかった地図、テーブルの上の青いクロス、果物、白い水差し…そして、部屋の中には誰もいない。スコープを見る者が入っていくため? わからないけれど、とても美しい作品だと思います。 普遍性のある芸術作品は、創造の連鎖をもたらすのだと思うし、その連鎖に出会ったとき、つよく胸打たれずにはいられません。 この画集は、タッシェンの「ニュー・ベーシック・アート・シリーズ」の一冊。解説は、文字がとても小さいけれど、すべて日本語に訳されています。 ソフトカバーで安価ながら、フェルメールの全油彩画が収録されており、お買い得ではないかと思います。 →巖谷國士/桑原弘明『スコープ少年の不思議な旅』の紹介はこちら →Amazon「フェルメール(タッシェン・ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)」 |
□ 2010/03/01(Mon) |
●諸川春樹 監修『西洋絵画史WH'S WHO カラー版』(美術出版社) 西洋絵画の大海原に、海図も方位磁石もなく船出するのは無茶というもの。 そこでこの『西洋絵画史WH'S WHO』を入手。 多摩美術大学の教授、諸川春樹氏が監修した、ビジュアル重視の一冊です。 西洋美術の重要な画家281名を、チマブーエからアンディ・ウォーホルまで年代順にとりあげ、1ページに1作家、平均4点の図版をすべてカラーで収録。様式や流派、関連する画家も記載。ポイントのみ述べた簡潔な解説が付されています。 評判どおりのわかりやすい本で、西洋絵画の流れ、様式の変遷を、解説を「読む」のではなく、絵を「見る」ことで概観できます。 諸川氏の序文がいいです。 「西洋絵画の名作をコンパクトに収めたこのちょっとした私的美術館を、机の上や書棚の片隅に置いておくのは楽しいことだろう」 「できれば本書を水先案内人として、西洋絵画の海洋に乗り出してほしい。実際たった一つの小さな図版からでも、広大で奥の深い西洋美術の世界に入り込むことは可能である」 こういう方の講義を受けてみたいものです。 多摩美術大学って、詩人の平出隆氏も教授をつとめていらっしゃるんですよね。いいなあ〜、多摩美…。(←ひとりごとです…) なにはともあれ、諸川氏のおっしゃるように、西洋絵画の大海原への水先案内人として、この本を活用していきたいと思います。 →Amazon「西洋絵画史WHO’S WHO―カラー版」 |