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J.M.シング 著『アラン島』 |
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トーベ・ヤンソン 著『聴く女』 |
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E.T.A. ホフマン 著『クルミわりとネズミの王さま』 |
「アラン島」J.M.シング 著/栩木伸明 訳(みすず書房)
2007/03/15
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『アラン島』は、アイルランド文学の翻訳でもつとに知られる片山廣子(松村みね子)が、自身の随筆集『燈火節』のなかで触れている作品のひとつ。 片山廣子は大正期の歌人であり、松村みね子の筆名で、ロード・ダンセイニやフィオナ・マクラウド等、多数のケルト圏の文学を翻訳し、日本に紹介したひとでもあります。 わたしはダンセイニやマクラウドの翻訳作品から、大正期の歌人「松村みね子」の名前を知り、そのたおやかな感性で紡がれる日本語に魅せられ、 彼女の著書である『燈火節―随筆+小説集』(月曜社)を購入。これはお値段のはる豪華な集成で、少しずつ読みすすめているところなのですが、 この中に「アラン島」と題された一節があり、ジョン・シングの同名の紀行文について、わかりやすく魅力的に述べられていました。 片山廣子はまた「過去となったアイルランド文学」という一節の中でも、「あんなにシングのものを愛してゐた私」とまで書いていて、 彼女が翻訳を手がけた数々のケルト文学の中でも、ことにシングの作品に惹きつけられていたことがよくわかります。 シングの作品はケルト文学の中でもなぜか読み逃していたのですが、こうまで言われては読んでみないわけにはいきません。 さっそく、紀行文学の傑作とされる『アラン島』を手にとったのでした。 …ここまで、まったく『アラン島』という作品そのものの紹介にはなっていないわけですが、本って、どういうふうにめぐり合ったかというのも、とても大事なことだと思うのです。 このようにして出会った『アラン島』は、ほんとうに素晴らしい、心に残る一冊になったわけですから。 さて、現在、みすず書房《大人の本棚》シリーズのなかの一冊として刊行されている『アラン島』は、 1907年に発表された紀行文ながら、現代を生きるわたしたちにも大変読みやすい、みずみずしい訳文に仕上がっています。 1896年、文学の道を志し、パリに滞在していたジョン・ミリントン・シング青年。同じホテルに泊まっていた詩人W・B・イエイツに薦められ、 あらゆる文明から切り離されたアイルランドさいはての島、アラン諸島に赴くことに。 1898年の最初の訪問以来、苛酷な自然の中の原始的とも言える素朴な生活、妖精たちにまつわる伝承を信じ続ける島人たちに魅せられたシングは、五度にわたりアラン諸島を訪れ、 やがてその折の滞在の記録を、『アラン島』として発表します。 アラン諸島とは、アランモア(イニシュモア)、イニシュマーン、イニシーアの三島のことで、シングはこの三つの島々をわたり歩いて、島人たちと親しく交流します。 死と隣り合わせの荒海に、カラッハ(島カヌー)で漕ぎ出す男たちに混じって、波のほんとうの力強さを身体いっぱいに感じたり。 人柄もあたたかいおじいたちから、島に伝わる数々の妖精譚を聞かせてもらったり。 島人の葬式の会葬者ともなり、アランの人々の狂おしい哀悼歌(キーン)に胸を打たれたり。 アラン島は、お坊っちゃん育ちで都会の暮らししか知らなかった若きシングにとって、まぎれもなく異世界でした。 だからこそシングの筆は、みずみずしい感動に満ち、原始的な暮らしをとどめる島を、客観的にではなく理想的に描き出しています。 そしてシングの時代から百年後の現代文明のなかで生きるわたしは、アラン島の暮らしを理想的なものとしてとらえた彼の感性に、共感をおぼえるのです。 この紀行文の価値は、シングが異文化に出会った喜びをかくさず、主観的に理想的に島を描いていること。 シングの文章を読みおえた今、まるでわたし自身が百年前のアラン島を旅したかのように、島の景色や島人たちの姿を、懐かしく思い出すことができます。 シングがイニシュマーンで寄宿していた家の、古ぼけたキッチンの味わい。おかみさんが作ってくれるお茶や食事。寄宿先の息子でゲール語の先生であるマイケル青年や、ストーリーテラーであるパットおじいとの友情。 シングの演奏するフィドルで、ダンスに興じる島人たちの、心から楽しんでいる様子…。 こうしたシング青年のアラン島での経験は、のちに『海に騎りゆく者たち』など数々の戯曲に結晶し、遠く日本でも、松村みね子の翻訳で紹介されることになるのです。 なおこの本には、アラン島の雰囲気を伝える味わい深い挿絵が付されており、これが何と詩人W・B・イエイツの弟、Jack.B.Yeatsの手になるものとのこと、見逃せません。 今日ではもう、アラン諸島の暮らしも様変わりしているのでしょうけれど、この紀行文を読んで、ますますアイルランドへの憧れがつのるわたしなのでした。 村へ帰ってくる散歩のあいだずっと、空はみごとに晴れ渡っていた。雨後のアイルランドでだけ体験することのできる、島国特有の強烈で透明な明るさが、 海と空にあらわれるさざ波ひとつひとつに、そして、湾のはるか向こう岸の山波の隈ひとつひとつにまで、降りそそいでいた。 栩木伸明 訳『アラン島』14ページより ※ 『アラン島』はじめラインナップの渋さはもとより、装幀も素晴らしい、みすず書房《大人の本棚》。 文字も比較的大きめで読みやすく、軽いソフトタイプのカバーなので手になじみ、表紙・表紙カバーのデザインも上品で素敵。 まさに《大人の本棚》にふさわしい、注目のシリーズです。 |
「聴く女 トーベ・ヤンソン・コレクション8」トーベ・ヤンソン 著/冨原眞弓 訳(筑摩書房)
2007/02/25
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『聴く女』は原書の刊行が1972年で、巻末の訳者あとがきによれば、「ヤンソンが明らかにおとなの読者を想定して書いた最初の短編集」とのこと。 収録作品は、表題作「聴く女」ほか、「砂を降ろす」「愛の物語」「嵐」「発破」「リス」など18篇。 『クララからの手紙』と同じく多彩な作品群ではありますが、やはり訳者あとがきによれば「秀作と習作があいなかばする短編集」ということになるようです。 そうはいっても、やっぱりわたしはヤンソンの小説が大好きなので、どの作品も楽しんで読み終えたのですが。 この短編集が出た当時、ムーミン童話の続編を期待していた読者たちはいささか当惑したものらしく、「おとなのためのムーミンと考えられぬことはない」とまで言う書評家もいたのだそうです。 ヤンソンが『ムーミン谷の十一月』においてムーミン童話に幕を引き、新たな作風を開拓せんと書き始めた大人のための小説群は、 明らかにムーミンの世界とは一線を画するもの。ですが、この『聴く女』におさめられた短編の中には、ムーミン作品を彷彿させるものも確かにあります。 すぐにそれとわかるのは「嵐」という一編で、これは『ムーミン谷の仲間たち』におさめれた「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」との相似が明白です。 「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」は、神経質で完璧主義の主人公フィリフヨンカが、正体不明の恐怖と不安に怯え、やがて世界の終わりがくるという妄想にとりつかれて…という内容の、 どちらかといえば大人向けの作品。ときに自律神経失調症に悩まされることのあるわたしにとっては、とても興味深いお話でした。 そのため『トーベ・ヤンソン短篇集』にも収録されていた「嵐」を読んだときから、これは「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」と同じお話だ!と思っていました。 想像を絶する暴風雨に見舞われる「嵐」の主人公。恐怖。不安でたまらず彼が電話をかけてきてはくれないかと焦れますが、結局こちらから連絡をとることはなく…。 そしてフィリフヨンカも「嵐」の主人公も、ひどい災難のあと恐怖の夜が明け、屋根をとばされ家がめちゃくちゃになったとき、はじめて、これまでに感じたことのない解放感を味わうのです。 奇妙につきぬけた不条理とも言える結末。でもなんとなく共感をおぼえる読者は少数派なのでしょうか。 ヤンソン作品においては、<嵐>のモチーフは比較的よく使われていると感じますが、いつもヤンソンはこの自然の猛威を、敵対するものではく、好意的に描いているように思います。 自伝的小説『彫刻家の娘』などによれば、トーベ自身もトーベのお父さんも、嵐によって訪れる<非日常>が大好きだったようです。 他に印象に残った作品といえば「砂を降ろす」「発破」など、子どもが主人公のもので、やっぱりヤンソンは子ども心の描写が巧みです。 ヤンソンの書く子どもって、ほんとうに可愛くないんですよね。ムーミン童話だって、あの不思議に魅力的な挿絵を抜きにして、物語だけを読み込めば、 登場する子どもたちは(ムーミンにしてもスノークのおじょうさんにしてもスニフにしても)、ちっとも可愛くなんかありません。自己中心的というか、自己愛がつよいというか、そのくせ夢見がちで、気分屋で…。 でも「大人がこうあってほしいと願う子ども」ではなく、子どものほんとうの姿を克明に描いているからこそ、ムーミン童話はすぐれた児童文学であり得るのだと思います。 あとヤンソンの得意技といえば、老人の描写。 表題作「聴く女」では、主人公イェルダ伯母が、加齢により記憶があいまいになり、それまでの筆まめな、他人への配慮とまじめな関心に満ちた態度、すなわち彼女にそなわっていた美しい特性が、すっかり失われてしまいます。 やがて妄想とも事実ともつかぬ、多くの友人・親戚たちの剣呑で壮大な人物地図を羊皮紙に描くようになるのですが…。 聴き上手、すなわち「聴く女」であったイェルダ伯母は、友人・親戚たちによく秘密を打ち明けられていたので、彼らの一見おだやかな関係が、実際は底に悪意を秘めたものであることも知っていたのです。 そうして人物地図を描くうち、それまで「聴く女」としてつねに受身であったイェルダ伯母は、はじめて「甘くて苦い権力の味」を知ります。 しかしその危うい人物相関図は、イェルダ伯母の加齢による記憶の錯乱のため、 いまやすべてが変化し、有効期限を過ぎたものになってしまっていたのでした。 結末、無効となった地図を封印し、かつて集めていたきれいな絵の切り抜きや押し花を取り出し、それらが以前はどんなふうに見えていたのか思い出そうとし、果たせず、 イェルダ伯母がさっと手をひと振りして、絵を箱の中に払い落とす場面。マットにこぼれ落ちて光るスパンコールの蒼さ。 決して、感傷的にはならない筆致。ヤンソンの描写はいつも、絵のような美しさをたたえています。 短編集の最後におさめられた力作「リス」は、すぐれた物語性もさることながら、ヤンソンのクルーヴ・ハルにおける実際の島暮らしを彷彿させ、ファンにとって興味深いものがあります。 2006年11月20日発売の雑誌『クウネル』(マガジンハウス)の巻頭特集「ムーミンのひみつ」(→Click!)では、ヤンソンが毎夏を過ごした島クルーヴ・ハルの美しい写真がたくさん掲載されていましたが、 これを見たとき、「リス」を読んで思い描いた風景と、イメージがしっくり重なるので、なるほどと納得したものです。 |
「クルミわりとネズミの王さま」E.T.A. ホフマン 作/上田真而子 訳(岩波少年文庫)
2007/01/07
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クリスマス・イブの日、プレゼントを心待ちにしていたフリッツとマリーの兄妹。 名づけ親のドロッセルマイアーおじさまは、精巧な仕掛けの芸術品のようなプレゼントを作ってくださいましたが、 マリーがとりわけ気に入ったのは、頭でっかちの、みにくいクルミわり人形でした。 イブの夜更け、フリッツにかたいクルミを割らされたために、壊れてしまったクルミわりをマリーが手当てしていると、ふしぎなことが起こります。 時計のてっぺんにとまっている大きな金色のふくろうがしゃべりだすと、王冠をかぶった七つの頭をもつ大ネズミとその軍勢が部屋を埋めつくし、 マリーの大好きなクルミわりがおもちゃの兵隊を指揮して、ネズミたちと戦いをくりひろげたのです。 クルミわりを助けようとして、腕に怪我をしたマリー。ドロッセルマイアーおじさまは、寝付いたマリーの枕元で、クルミわりにまつわる、ふしぎなおはなしを聞かせてくださいました。 リスベート・ツヴェルガーが絵を寄せた美しい絵本『くるみ割り人形』を読んで、物語の幻想的な魅力に惹かれ、原作をきちんと読んでみたいと思い、手にとりました。 クリスマスの物語としても有名なこの作品。第1章「クリスマス・イブ」では、クリスマスと、クリスマスの贈り物の神聖な由来を知ることができます。 子どもたちは、お父さまとお母さまが、あれやこれやいいものを買ってきて、それをいま並べているところだということを、知っていたのです。 そして、幼子イエスさまが、やさしい、清らかな幼子の目でそれを見つめていらっしゃるのだということも。 だから、クリスマスのプレゼントはその目の光につつまれて、祝福にみちた御手にふれられたように、どれもほかのものとはぜんぜんちがう、 すばらしいよろこびをもたらしてくれるのだということも、わかっていました。クリスマスプレゼントに、そんな意味が込められているのだということ、今まで知らずにいました。 クリスマスは、救い主、幼子イエスの誕生を信じる人々にとって、何よりたいせつな行事なのですよね。 短く作り直された絵本の文章とは違い、原作では、子どもに実際に語り聞かせるような調子が絶妙です。 訳者あとがきによると、この物語は事実、ホフマンが親友ヒッツィヒ家の3人の子どもたちに話して聞かせたものなのだとか。 クリスマスの神秘と魔法に満ちた雰囲気と、わかりやすい語り口に誘われて読み進むうち、物語は現実と幻想とが混然となって、夢のように展開していきます。 子どもはおもちゃの馬や兵隊、人形などを、ほんとうに生きているもののように扱い、一緒に遊ぶものですが、 これをホフマンは次のように表現しています。 いっぽう、フリッツは、新入りの栗毛の馬を駆歩や速歩で駆けさせながら、もう三回か四回、テーブルのまわりを走り回っていました。 栗毛の馬がほんとうにいたのです。テーブルにつないであったのです。フリッツはやっと馬からおりながら、これはフリッツが、クリスマスプレゼントにはしゃぎ、遊んでいる場面。 子どもの見ている幻を、子どもの視点でそのまま描写し、夢と現実との区別をあいまいにしているところが、この作品の語り口の特徴ではないでしょうか。 またこの物語のキーマンは、何といってもドロッセルマイアーおじさまでしょう。 マリーの見たクルミわりとネズミの軍勢の戦いに、幻のように姿をあらわすおじさま。怪我をしたマリーのお見舞いにやって来たおじさまは、戦いの光景をよく知っていましたし、 おじさまが語り聞かせるクルミわりのおはなしの中には、おじさま自身とも思われる時計師ドロッセルマイアーが登場します。 背が低くてやせっぽち、顔はしわくちゃ、右の目がなくて、代わりに大きな黒い絆創膏がはってあり、髪の毛も一本もなく、ガラス製のまっ白のかつらをかぶっている…。 そんな不思議で不気味なドロッセルマイアーおじさまの存在が、現実と、マリーの見る幻と、劇中劇ともいえる「かたいクルミのおはなし」とをつなぎ、絡み合わせて、めくるめく幻想を紡ぎあげているのです。 この物語は、結末がまたなんとも不思議な味わい。夢オチというのでもなく、夢と現実とが完全に溶け合った、とでも言えましょうか。 読了後、もう一度リスベート・ツヴェルガーの『くるみ割り人形』のページを繰ると、ツヴェルガーが、細部まで物語に忠実でありながら、独特の絵を描いていることがよくわかり、 原作も絵本もさらに味わい深いものに感じられました。こういう物語の楽しみ方も、また読書の醍醐味ではないかと思います。 |