■本の蒐集記録(2006年1-2月)


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2006/02/24(Fri)
●『The Art of Kate Greenaway: A Nostalgic Portrait of Childhood』

和書では絶版の多いケイト・グリーナウェイの絵本。彼女の絵に、もっともっと触れてみたいなと思って、アマゾンで洋書を購入。
でも画集というよりは評伝のような本で、挿絵や、おそらく他ではお目にかかれない貴重なイラストもたくさん収録されていたのですが、 文章も多くて、英語がまったく読めないわたしには、「猫に小判」「豚に真珠」とも言うべき一冊でした。

まあ、この本の内容を理解できるかどうかは、今後のわたしの勉強次第ではあるのですが、それにしても驚いたのは、 アマゾンの、本の注文から到着までの日数の早さ。
早い、早すぎる。
驚きとともに、この本を巨大なセンターで探し出してくれた人、梱包してくれた人、配送してくれた長距離トラックの運転手さん、 我が家まで届けてくれた宅配業者の人…等々の過酷な仕事を想像し、気が遠くなってしまいました。
ああ、もう二度とアマゾンで本を注文するのはよそう、こんな過酷な仕事を人に要求するのはやめよう、とさえ考えてしまうほどの早さでした。

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2006/02/22(Wed)
●大畑末吉 訳『完訳 アンデルセン童話集』(岩波文庫)全7巻

いまはエドマンド・デュラック 絵/荒俣 宏 訳『人魚姫 アンデルセン童話集2』(新書館)を読んでいるところだけれど、アンデルセンの物語は、ほんとうにとても味わい深い。
新書館版も、かなりアンデルセンの原作に忠実のようで、「人魚姫」などのお話も、岩波文庫版と同じ結末になっている。
新書館版も岩波文庫版も、です・ます調の翻訳が、とても良いと思う。
ずっと、小説のだ・である調の文章を読んできて、初めて瀬田貞二 訳の『指輪物語』を読んだとき、です・ます調の日本語の素晴らしさに気づかされた。
なにごとかを物語るには、です・ます調の日本語こそふさわしいのではないだろうか。 すべて「物語」というジャンルは、です・ます調で語るべきだとさえ感じる。

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2006/02/18(Sat)
●コナン・ドイル 著/阿部知二 訳
『シャーロック・ホームズの生還』
『シャーロック・ホームズの最後のあいさつ』
『シャーロック・ホームズの事件簿』
(すべて創元推理文庫)

●トーヴァ・マーティン 著/リチャード・W・ブラウン 写真/
相原真理子 訳『ターシャ・テューダーのガーデン』(文藝春秋)

本屋さんに出かける。
「シャーロック・ホームズ」だけで、とりあえずは満足して帰ろうと思っていたら、美術書コーナーの一角に、ターシャ・テューダーの本が平積みになっているのを発見。
ああ、こんな田舎の片隅の本屋でも、ターシャの本が平積みで売られるようになったんだなあ…などと、 NHKでくりかえし放送されたターシャの番組の影響力の大きさに思いをはせながら、つらつらと『ターシャ・テューダーのガーデン』を眺めているうち、結局、買って帰らずにはいられなくなってしまった。
前々から欲しいと思っていた本だったので、衝動買い、というわけでは決してない。

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2006/02/09(Thu)
●カイ・ニールセン 絵/荒俣 宏 訳
『空飛ぶトランク アンデルセン童話集B』(新書館)

ニールセンの画風は、『おしろいとスカート』『十二人の踊る姫君』の挿絵とはまた違った、 メルヘンの雰囲気をよくあらわしながらも、あっさりとしたものになっています。
訳者の解説を参照しますと、アール・デコ調の画風とのこと。アール・ヌーヴォーの、植物をモチーフに曲線を多様した、有機的なデザインとは異なり、 機能的・合理的で簡潔なデザインがアール・デコ、ということらしいです。
そのあたり、デザインの詳しいことはよく分かりませんが、この『アンデルセン童話集』におけるニールセンの画風は、けっこう好みです。

絵を眺めているうちに、収録されている一篇「丈夫なすずの兵隊」を、ひきこまれるように読んでしまいました。
なんて、哀しくも美しい物語。
「すずの兵隊」がこんなお話だったと、はじめて知りました。
ただ読んだだけなら、暗くて悲しい、救いのないストーリーだなあとしか思えないかもしれませんけれど、 荒俣氏の解説やニールセンの挿絵によって、物語の真価が、わたしを含めた未熟な読者にもわかりやすくなっています。

そういえば、「すずのへいたいさん」の挿絵は、ささめやゆき氏も手がけていましたよね(→角野栄子 文/ささめやゆき 絵『すずのへいたいさん アンデルセンの絵本』(小学館))。
本屋さんでぱらぱら見ただけですが、そうか、このお話にささめやさんの絵って、ぴったり似合っているなあ、なんて思いを廻らしたりして。
すこし哀しい感じのするささめやさんの絵による「すずのへいたいさん」も、またじっくり味わってみたいです。

この『空飛ぶトランク アンデルセン童話集B』には、「ほくち箱」や「オーレ・ルゲイエ」も収録されていますが、 これらの作品にはリスベート・ツヴェルガーも、絵を寄せていますよね。
「オーレ・ルゲイエ」の挿絵に関しては、やっぱりツヴェルガーの作品に、よりインパクトがあると思います。

とにかく、ツヴェルガーやデュラック、ニールセンの美しい挿絵のおかげで、アンデルセン童話の素晴らしさ、奥深さを、再認識している今日この頃です。

→ツヴェルガー『アンデルセン コレクション』の紹介はこちら

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2006/02/08(Wed)
●プーシキン 作/ビリービン 絵/山口洋子 訳
『金鶏物語』(MBC21)

イワン・ビリービンはロシアの画家、舞台装置家。どんな絵を描く人なのかは、 「連想美術館」のこちらのページをご参照ください。(Click!
アールヌーヴォーの影響を色濃く受けた、とっても美しい絵ですよね。

それで、ほるぷクラシック絵本として刊行されていた『うるわしのワシリーサ』などの、ファンタジックなロシア民話の挿絵が見てみたくて、 でも現在流通しているビリービン絵本の邦訳版が『金鶏物語』だけだったので、この本を購入。
たしかに美しく、ロシアの雰囲気が漂う挿絵なのですが、上記のページで紹介されているアールヌーヴォー的な飾り枠のついた絵とは、 少し画風が違っているのと、おはなしがプーシキンの風刺に満ちた内容で、ファンタジー色が少なかったのが残念ではありました。
『うるわしのワシリーサ』や『カエルの王女』が復刊されないかなあ、なんて思います。

ほるぷクラシック絵本は、ケイト・グリーナウェイやコルデコット、テニエルなどのすばらしい絵本作家、挿絵画家さんたちの作品がたくさんラインナップされているシリーズなのに、 ほとんど絶版・重版未定で入手不可状態。とっても悲しいです。

『金鶏物語』は、おはなし・絵ともに質が高く、テキストとイラストのレイアウトにも工夫があります。 巻末にプーシキンとビリービンについての詳しい解説もあって、プーシキンの生い立ちなどもよくわかります。

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2006/02/04(Sat)
●E.ディキンスン 著/中島 完 訳
『続 自然と愛と孤独と 詩集[改訂版]』
『続々 自然と愛と孤独と 詩集』
『自然と愛と孤独と 第四集 詩集』
(以上、すべて国文社)

こんなにも遠く隔たった時代に生きているのに、なぜ彼女の言葉に、つよく共感してしまうのだろう。
普遍的な主題、だなんて、もっともらしく説明することは簡単だけれど。

きっとディキンソンの詩はわたしにとって、「すきとおったほんとうのたべもの」(※注)なのだろう。
夜明けがいつ訪れるかを知らぬばかりに
私はドアをみんな開けておく
夜明けは鳥のように翼にのるのか
それとも海辺によせる波のようなのか

中島 完 訳『続 自然と愛と孤独と 詩集[改訂版]』より

(※注 宮沢賢治『注文の多い料理店』(新潮文庫)より。『注文の多い料理店』の序文に出てくる賢治の言葉で、 「わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」とある)

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2006/01/29(Sun)
●吉田篤弘 著『空ばかり見ていた』(文藝春秋)

さまざまな空の色を想起させる青の表紙、遊び紙、標題紙。うすい青の表紙に、白ぬきのタイトル文字もきれい。
読むのが楽しみ。

吉田篤弘氏の本は、このところ、たて続けに刊行されているけれども、なかなか読み始められずにいる。
こういうとき、クラフト・エヴィング商會 著『じつは、わたくしこういうものです』(平凡社)の中に出てくる <冬眠図書館>に出かけて、冬の間じゅう、本を思う存分読みふけりたいなあ、なんて思う。

→『じつは、わたくしこういうものです』の紹介はこちら

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2006/01/27(Fri)
●シェイクスピア 作/エドマンド・デュラック 絵/伊藤杏里 訳/
荒俣 宏 解説『テンペスト』(新書館)

シェイクスピアは、これまできちんと読んだことがありませんでした。
なんだか、ほとんど読むべきものを読んでいないという気がしますが(^^;
でも、初めて体験するシェイクスピアの世界に、デュラックの絵が誘ってくれるのですから、幸せです。

デュラックの「テンペスト」は、あまりに迫力があって、まだ物語を読んでいない今は、コメントのしようがない、というのが正直な気持ちです。
どうしてもラッカムと比較して語られることの多いデュラックですが、荒俣氏の解説には、
「ラッカムの場合は、まず、味わいのあるペンの線が縦横に画面を走ってから、そこに湧きだすように水彩が染めこまれるわけですが、 デュラックではペンの線が必要最小限に抑えられ、代わって色彩が、ものの形や区別、そして陰影などを表現します。 人物と背景とが溶けいるように一体になったデュラックの画面は、黄金期最高の絵師の名に恥じません」
とあります。
なるほどラッカムとデュラックとの味わいの違いはそこにあるわけで、輪郭線に特徴があるラッカムの絵は、 いかにも「絵」であり、紙の温もりが感じられ、そこが魅力なのですが、 輪郭線が目立たないデュラックの絵は、正確なデッサン力もあって、とてもリアルに感じられるのです。
現実の風景の中に、輪郭線はありませんものね。
この「テンペスト」では、たくさんの妖精たちが登場する夢の風景が、リアルに見る者に迫ってきます。

さて、シェイクスピアの戯曲の中の科白は、ほんとうにさまざまな場面で引用されますが、 「テンペスト」の中に、ターシャ・テューダー『喜びの泉』にも収録されていた一文を見つけたので、 ここに記しておきます。
――誰もが最後にたどりつく真実。
われわれ人間は夢と同じもので作られている。

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2006/01/25(Wed)
●西田ひかる 訳/ケイト・グリーナウェイ 画
『ケイト・グリーナウェイのマザーグース』(飛鳥新社)

実はこの飛鳥新社の『ケイト・グリーナウェイのマザーグース』については、ネットで検索していると、「発色が良すぎて色がきつい」「色がケバケバしい」などといった書評が、 ちらほら見受けられたので、購入を迷ったのです。タレントの西田ひかる訳というのも、なぜ?という気がしましたし。
でも、買ってみて、けっこう良い本だなと思いました。
発色については、たしかに色が濃すぎるところもあるけれど、紙の質や印刷によるものだと了解しておけば、 グリーナウェイの絵自体はほんとうに素敵だし、訳もリズミカルでわかりやすいし。
詩も絵も、収録数は充実。日本語訳だけでなく英語の詩も載っていて、マザーグースをよく味わうことができると思います。
それに現在購入できる、グリーナウェイのマザーグース関連絵本の邦訳版は、この本だけなのです。
詳しい情報を書いておくと、この本の本文中の挿画は、
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Mother Goose or the Old Nursery Rhymes, Illustrated by Kate Greenaway, engraved and printed by Edmund Evans, London and New York:George Routledge and Sons.;1881
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を原版とし、復刻、使用したものとのこと。
とにかくこれからじっくり、ケイト・グリーナウェイの世界にひたりたいと思います。マザーグースもまともに読んだことがなかったわたしには、よい機会です。

話は変わりますが、ほんとうに絶版には泣かされます。
ケイト・グリーナウェイ『マリーゴールド・ガーデン』も、カイ・ニールセン『太陽の東 月の西』も、 ウィリアム・M・ティムリン『星の帆船』(Click!)も、すべて絶版。
良い本が出版されても(著作権だか何だか知りませんが)、すぐに絶版になってしまうので、 とにかく急いで買っておかなくては、という気持ちになってしまいます。
結局、今日はエドマンド・デュラック 絵『テンペスト』を注文しました。

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2006/01/22(Sun)
●ルイス・キャロル 著/アーサー・ラッカム 絵/高橋康也・高橋 迪 訳『不思議の国のアリス 新装版』(新書館)
●エドマンド・デュラック 絵/荒俣 宏 訳
『人魚姫 アンデルセン童話集2』(新書館)

ラッカムについては、画集を買ってから、挿絵本も手に入れたいなと考えていたのですが、 折よく新書館から刊行されていた『不思議の国のアリス』の新装版が出たので、購入。
デュラックは、『雪の女王 アンデルセン童話集1』で、すっかりその絵の素晴らしさに魅せられてしまったので、 他の挿絵本も集めたいなと思い、購入しました。

エドマンド・デュラックの絵には、ほんとうに惹きこまれてしまいます。
ラッカムの絵は、紙の感触が感じられるというか、とても”美しい絵”なのですが、 デュラックの絵は、絵という感じがせず、異界に向かってひらかれた窓をのぞきこんだような、怖いような気さえしてしまうのです。
そのまま窓の向こう側に、ひきずりこまれてしまいそうな。
『アンデルセン童話集』におけるデュラックの挿絵は、非常にリアリスティックに描かれているのですが、 だからこそ幻想の風景に、現実に在るもののような迫力を感じてしまうのでしょう。

幻想の香気につねにひきよせられてしまうわたしは、デュラックの絵をもっと味わいたいという気持ちに駆られているところ。
できれば『テンペスト』も、そのうち入手したいです。

→デュラック『雪の女王 アンデルセン童話集1』の紹介はこちら

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2006/01/19(Thu)
●エレイン・モス 選/市川里美 画/矢川澄子 訳
『あさなゆうなに こどものための詩集・1』(冨山房)

こどものための詩集ということですが、大人が読んでも味わい深い詩の数々が、美しい絵とともに収録されています。
市川里美さんの絵は、たしかにケイト・グリーナウェイを思わせるものがあり、 この『あさなゆうなに』は、グリーナウェイ作『窓の下で』と、本のもつ雰囲気がよく似ています。
やさしい色合いで、丁寧に描きこまれた、遊びたわむれる子どもたちの群れ、可憐な草花。 まさにグリーナウェイの描きつづけた絵のスタイルと同じ。
これは決して批判ではなく、偉大な先達の仕事を踏襲することは、意義深いことだとわたしは思うのです。

2冊の絵本を比較するとすれば、 『窓の下で』は、グリーナウェイが自作の詩に絵をつけたものですが、 『あさなゆうなに』は、ファージョンやブレイクの詩、わらべうたなどがおさめられています。
また『窓の下で』の絵は、子どもたちの着ている洋服のデザインなどが特徴的ですが、『あさなゆうなに』の絵は、 ところどころに遊びごころあふれる仕掛けがあるのが印象的でした。
たとえば魚釣りをする男の子の絵。
絵の左半分は、釣り糸をたれる男の子の姿と水の中でかくれている魚たち、右半分は、家路をたどる男の子の後姿と水しぶきをあげてはしゃぐ魚たち。 つながった一枚の絵なのに、右と左で場面が描きわけられているのです。

とにかく『あさなゆうなに』は、詩と絵とがぴったり調和していますし、矢川澄子さんの訳も綺麗。 また、絵の中にテキストがうまくレイアウトされていて、詩画集として質の高い一冊だと思いました。

最後に『あさなゆうなに』から、ひとつだけ詩を引用します。
この詩は、ターシャ・テューダー 編・絵『心に風が吹き、かかとに炎が燃えている』にもとりあげられていて、 ほんとうに素敵な詩だなあと感じていたものです。
夜はとまってくれません
やっぱり行ってしまうのです
百万の星のピンで
空にはりつけたって
風の糸にゆわえて
月のとめ金をかけたって
やっぱりするりとにげうせます
さながらかなしみか しらべのように

エリナー・ファージョン

→ケイト・グリーナウェイ『窓の下で』の紹介はこちら

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2006/01/17(Tue)
●ケイト・グリーナウェイ 作/しらいしかずこ 訳
『窓の下で』(ほるぷ出版)
●ロバート・ブラウニング 詩/ケート・グリーナウェイ 絵/
矢川澄子 訳『ハメルンの笛ふき』(文化出版局)

2冊とも、クラシックな雰囲気と、美しい絵にうっとりとしてしまいます。
なぜだかわたしは、古めかしい感じのするものに、いつも惹かれます。
この2冊の絵本は、使われている紙の色が、真っ白でなく、生成りの布地のような色をしています。 おそらくは、クラシックな原本の雰囲気を保つための装幀なのでしょう。
きれいな草花や子どもたちの洋服など、絵の細部に見入るのも楽しいですが、 ページをひらいて、見開き全体からにじみ出てくる、古い時代の牧歌的な美しさにひたるのも、また味わいがあります。

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2006/01/14(Sat)
●トーベ・ヤンソン 作/渡部 翠 訳『少女ソフィアの夏』(講談社)
●トーベ・ヤンソン 著/冨原眞弓 訳
『人形の家 トーベ・ヤンソン・コレクション5』(筑摩書房)

読者を不快にする言葉、嫌悪感を感じさせる表現がひとつも出てこない、どこまでも澄み切った文体を、じっくり味わうのが、楽しみ。

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2006/01/12(Thu)
●エリス・ピーターズ 著/岡本浜江 訳
『修道士カドフェル(19) 聖なる泥棒』(光文社文庫)
●銀色夏生 著『庭ができました』(角川文庫)

『庭ができました』は、文章もちょっとだけあるけど、ほとんどのページが写真。ちいさな写真集のような本。
銀色さんちの庭づくりの様子、木や草花の写真がたくさん。
ターシャ・テューダーの庭のような、いわゆるガーデナーの人たちが憧れるようなものではなく、気軽に、好き勝手につくったという感じの庭。

犬走りや井戸、踏み段に、きれいな石やタイルを、気の向くままに埋め込んだり、バナナの木があるかと思えば、 ライラックやモッコウバラやローズマリーが植わっていたり。
ちいさな本にコンパクトにおさめられた、遊びごころあふれる庭の風景を、ページを繰ってただ眺めるのは、この上ない癒しになる。
なんてことない、ヒメツルソバやヤマボウシの写真が、きれい。

わたしもヒメツルソバは大好き。でも花が小さすぎて、携帯のカメラでは、うまく撮れた試しがない。

銀色さんは、わたしにとって、遠くから興味深く眺めつづけてきた人で、これからも眺めつづけるであろう人。
ターシャ・テューダーは、外国の人だし、伝説的な人だし、ただもう憧れるしかないけど、 トーベ・ヤンソンは、すでにお亡くなりになっていて、敬意をこめてその作品を味わうしかないけど。
銀色夏生は、この日本で、わたしと同時代を生きる人。
自由でのびやか。いつまでも、みずみずしい感性。おもしろい人。へんくつな人。ほんとうにとても、ふしぎな人。

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2006/01/07(Sat)
●トーベ・ヤンソン 作/冨原眞弓 訳『彫刻家の娘』(講談社)

●トーベ・ヤンソン 著/冨原眞弓 訳
『クララからの手紙 トーベ・ヤンソン・コレクション3』
『太陽の街 トーベ・ヤンソン・コレクション6』
『フェアプレイ トーベ・ヤンソン・コレクション7』
『聴く女 トーベ・ヤンソン・コレクション8』(すべて筑摩書房)

●トーベ・ヤンソン 文/トゥーリッキ・ピエティラ 画/冨原眞弓 訳
『島暮らしの記録』(筑摩書房)

やっぱりトーベ・ヤンソンの文章は素晴らしい。無駄がない、清冽な、澄み切った文体、などと評することもできるけれども、要するに好きなのだ、彼女の書く文章が。
もちろん、冨原眞弓氏の訳の見事さに、敬意を払うことも忘れない。
こんなにたくさんのヤンソン作品を、美しい日本語で読めることの喜び。

ヤンソンさんの文章は、夏を描いていてさえ、どこかにフィンランドの冬の厳しさを感じさせるものがあるので、いまこの寒い時期に、読みふけりたい。

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