■読書日記(2007年4-5月)


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2007年05月20日

エドマンド・デュラック 絵『テンペスト』

2007年05月12日

小沼 丹 著『小さな手袋』

2007年04月07日

小沼 丹 著『小沼丹 小さな手袋/珈琲挽き』



「テンペスト」

シェイクスピア 作/エドマンド・デュラック 絵/伊藤杏里 訳
荒俣 宏 解説(新書館)
2007/05/20

絶海の孤島に暮らす魔術師プロスペローと、その美しい愛娘ミランダ。
実はプロスペローは、弟アントニオーとナポリ王との奸計によって国を追われた、ミラノ大公その人でした。
プロスペローは絶大な魔術の力で嵐をおこし、ナポリ王と弟たちの乗った船を島に漂着させます。
島に流れ着いたナポリの王子フェルディナンドと、プロスペローの娘ミランダは恋に落ち、 ミラノ公国の簒奪者アントニオーとナポリ王の弟セバスティアンは、王の暗殺を企てて…。
魔術と妖精の島でくりひろげられる、プロスペローの復讐劇の結末は?シェイクスピア最後の傑作戯曲。

この本を買ったのは、イギリス挿絵黄金時代の画家エドマンド・デュラックの絵に惹かれてのことで、 なかなか腰を据えて読むことなしに日々が過ぎてしまいました。
ところがふと思いたってページを繰ってみると、冒頭の嵐の場面からなんともドラマティックで、あっという間に読み終えてしまったのです。
これまでシェイクスピアの戯曲に、まったく触れてこなかったわたし。 『テンペスト』がこんなに美しい妖精劇であったこと、今になって初めて知りました。

とにかくドラマティックな科白、華やかな登場人物、妖精たちがくりひろげる夢幻劇。
なかでも空気の妖精、プロスペローの使い魔エアリエルの魅力的なこと。
ファンタジー大好き、妖精大好きのわたしとしては、『テンペスト』はファンタジーそのものという印象でした。
シェイクスピアの時代、宮廷ではこんな戯曲が演じられていたのか!という感じ。うーん、なんて贅沢な。

でも単なる夢まぼろしのお話ではなくて、あらすじからも分かるとおり、『テンペスト』はプロスペローの復讐劇。
国を追われたプロスペローは、敵であるナポリ王の一行を、魔術を駆使して混乱させ、自分の恨みを思い知らせようとします。
けれども、なんというか恨みの思い知らせかたが生々しくなくて、使い魔エアリエルの歌声で眠らせるとか、妖精たちのお芝居だとか、 エアリエルの変身した女面鳥獣(ハーピー)が罪の宣告をするだとか、とにかくドラマティックで美しい場面の連続に、ぐいぐいひき込まれてしまいました。
わけても美しいのは、フェルディナンドとミランダの婚礼を祝して、プロスペローが披露した秘術。 島じゅうの妖精たちが夢のような仮面劇をくりひろげ、虹の女神アイリスや、豊穣の女神シアリーズ、水の妖精ナイアードたちが現われて、若い二人の愛を寿ぐのです。

最後プロスペローは、愛娘ミランダと王子フェルディナンドとの未来の幸福を思って、復讐の心を慈悲に変えます。
幸福な結末がもたらされるのですが、この戯曲は、シェイクスピア最後の作品。
エピローグのプロスペローの言葉、呪力を使い果たし、そして魔術を使いつづけた身の罪を、清めるものはともがらの祈りだけという科白は、 シェイクスピア自身の想いと重なり、読後、深くしずかな、悲しみに似た余韻を残します。

この本では、たくさん登場する伝説と神話の登場人物たちを、デュラックの絵筆がしずかな迫力で描き出し、読者を物語の世界へ誘ってくれます。 やっぱりデュラックの絵は、美しい風景を見せてくれる、魔法の窓です。
またこの本、科白とト書きの区別がされておらず、科白自体、誰の科白なのか明記されていません。
編集方針によるものなのでしょうか、けれども夢と現の交錯するこの物語にどっぷりひたるには、こんな文章のほうが効果的と言えるかもしれません。
だがこの幻影(まぼろし)が描いてみせた礎のない建物と同じように、
雲にそびえる高い塔も、豪華な宮殿も、荘厳な大寺院も、いや、この地球でさえも、
そしてそのなかにあるいっさいのものが、やがて溶けて消えてゆく。
今、消え失せた実体のない見せ場のように、あとには何一つ残りはしないのだ。
われわれ人間は夢と同じもので作られている。
そのささやかな一生は眠りによってその輪を閉じるだけなのだ。

伊藤杏里 訳『テンペスト』113-114ページより

→エドマンド・デュラックの紹介はこちら

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「小さな手袋」

小沼 丹 著(講談社文芸文庫)
2007/05/12

さて、ひきつづき小沼 丹の随筆を読了しました。
下記に紹介した『小さな手袋 / 珈琲挽き』は、『小さな手袋』(小澤書店、1976年刊)と『珈琲挽き』(みすず書房、1994年刊)を底本として庄野潤三氏が編んだもの。 そういうわけで単行本『小さな手袋』所収の作品は、15篇しか収録されていませんでした。
庄野氏の選んだ15篇はどれも味わい深く、これはぜひ単行本に収録されているすべての作品に触れてみたいと思い、こちら講談社文芸文庫の『小さな手袋』を購入した次第。
小沼氏の文章は、本来、正字舊假名遣で書かれているのですが、講談社文芸文庫においては、ほとんど新字新仮名に改められています。
古めかしい文章の味わいは残念ながら損なわれるかもしれませんが、文学初心者には読みやすく、親しみやすい一冊と言えるのではないでしょうか。

『小さな手袋 / 珈琲挽き』と重複している作品も、何度読んでもしみじみ良いなあと感じたのですが、通勤バスの中で思わず笑みを浮かべてしまったのは「型録漫録」。
大学の先生だった著者、毎年いろんな本屋が送ってくれるカタログのなかから、適当に(?)教科書を選んでいました。 ところがあるとき某書店の編輯長と、自分で教科書を出している他の先生方に云いくるめられ、ついに教科書を出すはめに。
何遍も催促されるので仕方無く原稿を送り、脱落しているといわれた箇所を電話で説明し、やっと出来上がった教科書でしたが、なんと註釈に間違いが。
こともあろうに電話で説明した部分が、「ああ、楽しい……」のはずのところ、「ああ、悲しい……」になっていたというのだから、とんでもないこと。 編輯長や担当者に詰問しても結局は埒が明かず、その教科書を一年だけ使ったものの、
教場で、「悲しい」の箇所は「楽しい」と訂正する、と云うと学生がげらげら笑った。仕方が無いから、電話の経緯を話したら、更にげらげら笑った。僕はたいへんつまらなかった。
ここまでのくだりでも充分面白いのですが、やはりオチが効いていて、その教科書の収入で酒を飲み、酔っぱらって腕時計をなくし、そのまま時計を持たずに過ごしていたら、最後、
学生に時間を訊いて、じゃ止めよう、と廊下に出て時計を見ると大抵十分から十五分さばを読まれている。
と締めくくられていて、小沼氏の随筆はこういうところが最高に上手くて可笑しいのです。

また小沼氏の随筆には、『小さな手袋 / 珈琲挽き』を編んだ友人の庄野潤三氏もよく登場するのですが、 「テレビについて」という一篇は、やっぱり通勤バスの中で読んでいて、顔がほころんでしまいました。
最初はテレビなど白眼視していた著者。酒の席でテレビを買った知人に、あなたもどうですかとすすめられ、はじめは知人を笑っていたはずなのに、翌日家にテレビが届いてしまいます。 「どうしてそんなことになったのか、さっぱり判らない」と腹を立てる著者でしたが、そのうち自分も知人にテレビをすすめるように。
庄野氏にもすすめると、「慎重にうちじゅうで相談」してテレビを買うことにしたというので、小沼氏は知り合いの電気屋に早速テレビを届けさせます。そして、
それから二、三日して庄野から葉書が来た。夕方になっても来ないので、子供と一緒に――今日は日曜だから駄目なのかもしれない、と半ば諦めていた所へ届いた、 と書いてあった。何でもその后で庄野の小さなお嬢さんが、笑うまいとしても自然に笑いそうになった、と庄野に話したとも書いてあって、僕はたいへん愉快な気がした。 この一事を見ても、彼の家庭が洵に円満であることがわかる。
と書かれていて、ここのところで、しみじみとやさしい気持ちに包まれるのです。
庄野氏の家庭の様子も、庄野氏について語る小沼氏の筆致ににじむ友情も、読者の心をじんわりあたためてくれます。

印象に残った作品についてこうして書いていると、ほんとうにきりが無いのですが、とにかく小沼丹の随筆はわたしにとって、 がんばって読む必要がなくて、さらりと読めて、しみじみ良いなあと、心地よい後味をかみしめることのできる、素晴らしいものなのです。
随筆がこんなに面白いのだったら、小沼丹の小説は一体どんなのでしょう?
これから小説作品のほうも、読んでいくのが楽しみでなりません。

※ 講談社文芸文庫は、表紙カバーがつや消しの紙で、文庫ながら品のある装幀。 ラインナップも渋く、小沼丹や小川国夫など、この文庫が出るまでは入手困難だった作家の作品も目を引きます。 文庫なので、地方の規模の小さい本屋さんでも入手しやすいのが嬉しい、要チェックのシリーズです。

→小沼丹『黒いハンカチ』の紹介はこちら

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「小沼丹 小さな手袋/珈琲挽き」

小沼 丹 著/庄野潤三 編(みすず書房)
2007/04/07

「本の蒐集記録」のコーナーにも書きましたが、小沼丹という作家については、牧歌的でレトロなミステリ作品『黒いハンカチ』を読み、初めてその名前を知りました。
実はミステリというジャンルは、小沼作品の中ではかなり異色で、本来この方は私小説や随筆にすぐれた作家であり、早稲田大学名誉教授の英文学者でもあったのだとか。
かほどに文学音痴のわたしではありますが、『黒いハンカチ』の何とも言えぬ、ほのぼのしみじみとした語り口に魅せられ、小沼丹の他の作品も、いつかは読んでみたいなあと、ずっと思っていたのです。
先日、J.M.シングの『アラン島』を手にとったのがきっかけで、みすず書房《大人の本棚》というシリーズを知り、装幀やラインナップの渋さに興味を抱いていたら、その中に小沼丹の随筆作品を発見!
これはぜひ入手せねばなるまい、ということで、ついに購入しました。

本書は、『小さな手袋』(小澤書店、1976年刊)と『珈琲挽き』(みすず書房、1994年刊)を底本とし、 著者の友人でもあった庄野潤三氏が編集したもの。
手にしっくりなじむ、《大人の本棚》ならではの装幀。本文は新字旧仮名遣い。
読みはじめると、静謐でありながらユーモアのにじむ筆致が、じんわり心にしみて…冒頭から3つ目に収録されている表題作「小さな手袋」で、もうすっかり小沼作品の虜になってしまいました。

「小さな手袋」は、とある酒場で隣り合わせた男と女の、何気ないやりとりを描写した作品。
その店には初めて訪れたという仏頂面の男。彼が落とした赤い小さな手袋を見て、ビイルを注いだ女が話しかけます。 「あら、可愛い手袋ですわね……。」そうして始まったふたりの会話を、聞くともなく聞いている著者。
手袋は子どもに買ったものだということで、男はぽつぽつと知っている童謡のことや、パン屋を営んでいること、来月の同窓会のこと、「やつこ」というなじみの酒場の親爺と釣りに行くことなど話します。
やがて男が帰り、著者は思い浮かべます。その男の営むパン屋の様子や、些細な日常の風景を。
僕は電車でたつぷり一時間は掛る遠い町の一軒のパン屋を想ひ浮べた。それは多分、清潔で明るい店で、パンも旨い筈である。 そのパン屋の主人は、仕事が終るとやつこなる店に憩ひ、ときには釣に出掛ける。来月は同窓会に出るのを愉しみにしてゐる。 それから、孫のやうな小さな女の子と、二つしか知らない童謡を歌ふのかもしれない。
この「想ひ浮べ」る感じが、小沼作品の独特の味わいで、実はこの部分だけを引用しても、その何ともいえない気持ちを伝えることはできないのですが……。
このあとのしめくくり、男が落としていった小さな手袋を著者から手渡されたときの、女の様子がまた効いていて、くうっ、という感じなのです。
随筆というより一篇の小説のようでもあり、それは本書に収録されているすべての作品に言えることです。

たとえば最後ちかくに収録された「遠い人」という作品。
「庭で焚火をしていると、旅先で出会つたいろんな人が、思ひ掛けずひよつこり煙のなかに浮んで消える。」という書き出しで始まるのですが、この感じがすでに小沼節(?)。
スコットランドのパルモラル城を訪れたときの、駐車場の番人の爺さんを回想し、最後に、
この爺さんも懐しいが、爺さんを想ひ出すと、庭園の一隅で珈琲を喫んだとき、卓子の上にちよんと乗つた一羽のきびたきも想ひ出す。
と括られていて、こういう感じに、もう、くうっ、とさせられてしまうのです。

さっきから、「くうっ」だとか、「こういう感じ」だとか、「何ともいえない」だとか、あまり説明にならないような言葉ばかり並べていますが、 小沼作品の味わいは、むしろこの説明できないところにあるのだと思います。
引用では伝えられない、読むとわかるこの「感じ」。
文体の妙というか、独特の呼吸というか。
さらっとしていて、しみじみとした可笑しみがあって、ときに哀しく、またたまらなく懐かしくて……。
ページを繰るたびに、本を読むことの愉悦が、心の奥底から、じんわり湧き上がってくる。
本をめぐる旅の途上で、小沼丹に出会えたことを、ほんとうに幸福だと思います。

あまり知られていない作家なのかもしれないけれど。もしかしたら文学好き、古書好きの人にとっては、声高に宣伝したくない、ひっそりと楽しみたいような作家なのかもしれないけれど。
一般的に想像されている「癒し系」とはちょっと違う、これまで読み継がれてきた作品、これからも読み継がれていくであろう作品をとりあげるサイトとして、 この「いやしの本棚」でこそ、小沼丹をぜひ紹介したいと思いました。
心が疲れたとき、ほのぼのしみじみしたいとき、何より美しい日本語を堪能したいときは、どうぞ本書を手にとってみてくださいね。
わたくし管理人はひきつづき、他の小沼作品を読んでいきます(^-^)/

※ ちなみに、川崎長太郎について書かれた「塵紙」という一篇に登場する「河出の平出君」は、おそらく(というか間違いなく)平出隆氏のことであると思われます。 平出氏の諸著作も大好きなので、ちらっと出てきた名前に「おっ!」と目をひかれたのでした。(→「平出隆の本」はこちら

※ 『小沼丹 小さな手袋/珈琲挽き』はじめラインナップの渋さはもとより、装幀も素晴らしい、みすず書房《大人の本棚》。 文字も比較的大きめで読みやすく、軽いソフトタイプのカバーなので手になじみ、表紙・表紙カバーのデザインも上品で素敵。 まさに《大人の本棚》にふさわしい、注目のシリーズです。

→小沼丹『黒いハンカチ』の紹介はこちら

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