〜無類の面白さ、永遠の人間喜劇〜
辛辣な観察眼と機知に富んだユーモア感覚をあわせもち、日常の些細な事柄を心浮き立つドラマに仕立てあげ、そこに普遍的な人間性をも浮かび上がらせてみせた、19世紀初頭の偉大な女流作家ジェイン・オースティン。 オースティン作品は、いかにも古典文学然として書店の棚に並んでいるけれども、肩の凝らないエンターテイメントとしても、現代のベストセラーにひけをとらない読みやすさと面白さです。 現代のベストセラーと違うところは、ページを繰ればタイムスリップできてしまうということでしょうか―満月の夜には馬車が行き交い、貴族の屋敷で華やかな舞踏会が催されていた、200年前の古き良き優雅な英国へ。 *「マンスフィールド・パーク (ちくま文庫)」→ちくま文庫の新訳、2010/11発売! |
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▼著者紹介 | |
▼小説作品 | |
「高慢と偏見」「自負と偏見」 | 「エマ」 |
「分別と多感」 | 「マンスフィールド・パーク」 |
「説得」 | 「ノーサンガー・アビー」「ノーサンガー・アベイ」 |
▼書簡集 | |
「ジェイン・オースティンの手紙」 | |
▼関連書籍 | |
「ジェイン・オースティン ファッション」 | 「ジェイン・オースティン料理読本」 |
「図説ジェイン・オースティン」 |
▼著者紹介
ジェイン・オースティン
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▼小説作品
「高慢と偏見 上・下」
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「エマ 上・下」ジェイン・オースティン 著/中野康司 訳(ちくま文庫)
エマ・ウッドハウスは美人で頭がよくて明るくて、村一番の大地主のご令嬢。この世の幸せを一身にあつめたような女性だけれど、甘やかされて育ったため、何でも自分の思いどおりにでき、また自分を過大評価しすぎることが欠点。
そんなエマが「縁結び」に凝りだしたから、さあ大変。私生児ハリエットのお相手にと、美男子のエルトン牧師に勝手に白羽の矢を立て、ハリエットに思いを寄せる農夫マーティンとの結婚話をつぶしてしまう。ハリエットもエマのおだてにその気になってしまうのですが、実はエルトン牧師は…。 エマの勘違いでこんぐらかる「縁結び」騒動。けれどもエマを幼い頃から知っているナイトリー氏は、エマに率直に忠告し、彼女を見守り続けるのでした…。 わたしはこの『エマ』が大好き。ヒロイン、エマの性格は、階級意識にこだわりすぎていて、最初は勘にさわるところもあるのだけれど、失敗したらそれを認めて、反省して、ちゃんと謝り、行動を正し、暗い気持ちをひきずらずに立ち直る、元気なかわいい女性です。 で、エマを見守るナイトリー氏が、それはそれは大人で、厳しくもやさしい、洗練された紳士で、最高にかっこいいのです。 オースティンの描いたヒーロー役のなかでは、ナイトリー氏がいちばんかっこいいと思う。ダンスパーティでエルトン牧師にいじわるされて踊りの相手がいなくなり、みじめだったハリエットに、普段は踊らない主義(?)のナイトリー氏がダンスを申し込む場面が、いいよね〜。 でもって、それはハリエットへの思いやりでもあるんだけど、ほんとうはハリエットを可愛がっているエマのためにやってることなんだよね〜。ああ、かっこいい…。 さて、『エマ』はオースティンの後期作品で、『分別と多感』『高慢と偏見』の初期2作品に比べて、辛辣さや皮肉なユーモアが、ストレートにではなく、円熟した筆さばきで描かれているところが、またよしなのです。 結婚喜劇でもあるけれども、オースティンの小説はホームドラマの要素が強く、『エマ』ではとくにそれを感じました。 エマと、自分が病弱だと信じている善良な(であるがゆえに滑稽な)父ウッドハウス氏。ここに帰省してくる姉夫婦。この帰省時の会話、心配性のウッドハウス氏と干渉されたくない娘婿がちょっと険悪になるくだりとか、それを回避しようと気を使うエマの様子が、もう、あるある〜と共感せずにはいられない。 『エマ』では舞台がハイベリーという村に限定されていて、登場人物もそれほど多くないのだけれど、だからこそ深く読ませる最高の喜劇に仕上がっているのだろうと思います。 ちなみに、エリザベス・ボウエンの短篇「割引き品」(単行本『あの薔薇を見てよ』に収録)の作中で、重要な登場人物である女家庭教師が、『エマ』を読んでいるのですが、わたしがオースティンを読もうと思ったのは、そもそもそれがきっかけなんですよね。 「割引き品」はちょっと怖い話なのだけれど、それで『エマ』はどんな話なのかと気になっていたら、こんな明るい結婚喜劇だったのかとびっくり。たしかに『エマ』でも、「女家庭教師」というキーワードは重要なのですが…(ちなみに当時のイギリスの「女家庭教師(ガヴァネス)」は、社会的地位が低く、差別的な扱いを受けることも多かったようです)。 「女家庭教師」が幸せになる、明るい『エマ』を、幸せそうでない女家庭教師が黙って読んでいる…と思うと、よけい怖いかも。 ともかく、ちくま文庫版の『エマ』は、読みやすい新しい訳で、すべての未読の人におすすめだと思います。 →Amazon「エマ (上) (ちくま文庫)」 「エマ (下) (ちくま文庫)」 |
「分別と多感」ジェイン・オースティン 著/中野康司 訳(ちくま文庫)
「分別」のある姉エリナーと、「多感」な妹マリアン。姉妹は父が亡くなると、母とともに、それまで住んでいたノーランド屋敷を追われ、遠く離れたちいさなバートン・コテッジに落ち着くことになります。
エリナーは、ぱっとしない容姿だけれど誠実なエドワードに思いを寄せ、マリアンは美貌の情熱的な紳士ウィロビーに激しく恋します。 エドワードとの恋に思いがけない障害が訪れるもしっかりと立ち向かうエリナー。マリアンに夢中だとばかり思っていたウィロビーの不審な行動。姉妹の恋は紆余曲折を経ますが…。 『分別と多感』は初期作品なので、オースティンの辛辣な人物描写が全快という印象です。 エリナーとマリアン、ふたりのヒロインの性格は対照的で、昔から「多感」なマリアンに人気があるようですが、わたしは「分別」のエリナーの行動のほうが共感できるなあ。トシをとったからでしょうか^^; ま、ヒーローとしてのエドワードにはさして魅力はない、かも。ウィロビーは…このタイプの男性は、オースティン作品によく登場します。『高慢と偏見』の美貌の将校ウィッカム。『エマ』の陽気な美男子フランク・チャーチル。 オースティン作品では人当たりのいい美男子は、途中で、なんだかこの男怪しいぞ…ということになり、実はサイアクな男だった〜と発覚することが多い。若いお嬢様がたには、いい教訓になることでしょう(笑)。 『分別と多感』のウィロビーはほんとにヒドい奴、『高慢と偏見』のウィッカムはダーシーのおかげでなんとか体面を保ち、『エマ』のフランク・チャーチルは、秘密を隠しとおすために嘘をついていたけれど、それほど悪い奴ではありませんでした。 ここらへんのキャラクターの動かし方の変化、作品を時間軸で追っていくと、オースティンの円熟度がうかがえて面白い。 また『分別と多感』では、舞台が田舎のバートン・コテッジから、ロンドンという大都会にうつり、当時のロンドンの中上流階級の華やかな暮らしぶりが垣間見えるのも興味深いです。 さて、ちくま文庫のオースティン作品は、カバー装画が雰囲気たっぷり。19世紀初頭のイギリス中上流階級の風俗が伝わってきます。 これを伝統と優雅と見るか、植民地からの搾取による豊かさと見るか…はさておき、何よりオースティン作品は永遠の、さまざまな読み方のできる、すばらしい人間喜劇であると思います。 →Amazon「分別と多感 (ちくま文庫)」 |
「マンスフィールド・パーク」ジェイン・オースティン 著/大島一彦 訳(中公文庫)
貧しい家に生まれた主人公ファニーは、十歳のとき、親戚でもある准男爵サー・トーマスのお屋敷、マンスフィールド・パークにひきとられます。
おとなしい性格の上、身分の違いから蔑まれることもあったりして、お屋敷の中でファニーは控えめで目立たない存在でしたが、従兄のエドマンドは優しく彼女を見守り、励まし、良い方向へ導きます。 やがて優しさと機知に富む女性に成長したファニー。彼女は自分を見守ってくれるエドマンドに思いを寄せるようになっていましたが、都会暮らしに慣れたクロフォード兄妹との交流が、マンスフィールド・パークの人間関係に変化をもたらします…。 『マンスフィールド・パーク』は、オースティン後期の名作。他のオースティン作品と比べると、少し地味で真面目な印象で、中公文庫版の硬めの訳が似合っています。 とはいえ『マンスフィールド・パーク』は、オースティン作品のなかではいちばん文学的だと感じるし、出版時には読者の反応がわかれたといいますが、わたしはけっこう好きです。 ファニーの幼い頃から、大人の女性になり幸せを掴むまでが、ゆっくりとした展開で描かれ、その中に巧妙な仕掛けが施され、伏線がはられて、やはり次へ次へと読まされてしまいます。 ファニーはほんとにいい子なので、ファニーの良さをよく知っているはずの、むしろファニーをそのように育てたエドマンドが、なんでファニーでなくてミス・クロフォードみたいないわゆる「俗物」的な女性に惹かれてしまうのか、わからん!という感じです。 そんなエドマンドを悲しく思いつづけるファニー…地味だけどロマンスの要素もたっぷりあります。 美男子じゃないけど人当たりがよくて女好きのするミスター・クロフォードは、『分別と多感』のウィロビーの系統のキャラクターを、さらに練った感じでしょうか。 彼がファニーに思いを寄せて、最後にとんでもないどんでん返しを演じるのだけど、ここらへんの筆さばきも、『分別と多感』から『マンスフィールド・パーク』にいたって、円熟味が増していると思います。 またマンスフィールド・パークはまさに英国のカントリー・ハウスで、ファニーは広大な敷地内で乗馬を楽しんだりしていますが、この優雅な田舎のお屋敷暮らしと、港町ポーツマスのファニーの実家の様子が対照的に描かれているところもポイント。 ただマンスフィールド・パークがよくて、ファニーの貧しい実家が駄目だというのでなくて、オースティンらしく鋭く機知に富んだ意見が披露されていて、興味深いです。 ←2010年11月、ちくま文庫から中野康司氏による新訳が出ました。 →Amazon「マンスフィールド・パーク (中公文庫)」 |
「説得」ジェイン・オースティン 著/中野康司 訳(ちくま文庫)
准男爵の娘アン・エリオットは、27歳になるが独身。花の盛りも過ぎ、父からも姉からも役に立たないと思われている、影の薄い女性です。
8年前、階級意識のつよい家族や周囲の人間に「説得」され、海軍軍人ウェントワースとの結婚をあきらめてしまったことが、アンの心に影を落とし、容貌もやつれさせているのでした。 さて時代は無能な地主階級が没落してゆく頃。アンの父も例に漏れず、浪費によって維持できなくなったケリンチ屋敷を、クロフト提督に貸すことになってしまいます。ところがそのクロフト提督の妻は、何と今は大佐となったウェントワースのお姉さんだったのです。 クロフト提督夫妻をたずねてきたウェントワースと再会することになったアンの心は、秋の木の葉のように乱れます…。 オースティンの最後の作品。ヒロインのアン・エリオットは花の盛りも過ぎた27歳。 英国の田舎の秋のしみじみと美しい風景描写に、アンの心情がかさねられ、地味で落ち着いた作風ですが、この作品がいちばん、恋愛小説として、どきどきはらはらさせられる展開になっているのです。 昔ふった男と再会、両者ともいまだ独身。あの人は今でもわたしのことを…と揺れる女心。時代が時代、状況が状況だけに、ふたりのはっきりとした会話や接触がないのに、アンはウェントワース大佐のほんの些細な言動から、落ち込んだり、喜んだり。まさに中学生のような乙女心。 他にもウェントワース大佐に思いを寄せる若い女の子も現われて、どうなるのか…とやきもきさせられ、物語の中盤に、「あっ!」という出来事が起こって、そこから風向きが変わるというか、アンに気のある素ぶりの紳士があらわれたり、ウェントワース大佐がアンへの恋心を蘇らせたように見えたりで、そのまま最後まで読まされてしまいます。 舞台は英国の田舎から、海辺のライム、社交の街バースへとうつり、当時の風俗もやはり興味深いです。 最晩年の作品だけあって、小説の中に散りばめられた名言も味わい深いです。これは訳者あとがきにもあげられているけれど「人間は自分の家を離れると、何者でもない存在になってしまう」だとか、「家族の平和は、たとえ表面的な平和でも保ったほうがいい。その底に永続的なものがなくても、その平和をわざわざ乱す必要はない」など。 は〜、ほんとオースティンを読んでいると、人間性、人間の関係性、人生の移ろいについて、考えさせられるし、納得させられます。 ちなみにこの作品については、岩波文庫では『説きふせられて』というタイトルで、中公文庫からは『説得』のタイトルで、それぞれ刊行されています。 →Amazon「説得 (ちくま文庫)」 |
「ノーサンガー・アビー」
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▼書簡集
「ジェイン・オースティンの手紙」新井潤美 編訳(岩波文庫)
オースティンの長編6編を読了しても、オースティン関連本は、まだまだあるのです!
『ジェイン・オースティンの手紙』は、オースティンが姉キャサンドラなどに宛てた手紙を精選した書簡集。 この手紙の文章、オースティンの小説の中に出てくる手紙みたい。 オースティンの生活も小説そのまんまという感じで、昨夜の舞踏会が楽しかっただの、誰それの馬車に乗せてほしいだの、絹のストッキングを買う買わないだの、そんなことばかり書いてあります。 でも、そんなこと、が面白いんだよね〜。 オースティンの気取りのなさがこれらの書簡から読みとれて、彼女が、後世の人間に「偉大な作家」なんて形容されていることを知ったら、面白い冗談を聞いたみたいに、くすくす笑ってしまうんだろうな〜、なんて思いました。 オースティンの辛辣な観察眼や、茶目っけたっぷりなところ、やはり『高慢と偏見』の主人公エリザベスに通じるのかなと思います。 姉キャサンドラとの姉妹愛も、『高慢と偏見』のエリザベスとジェーンに似ているし。兄弟への愛情の深さも、『マンスフィールド・パーク』のファニーと兄ウィリアムの関係を思い出させます。 「田舎の村の三つか四つの家族というのは恰好の題材です」(1814年9月9日付の書簡)と言ったオースティン。とにかくこれを読むと、オースティンが自身の日常から材を得ていただろうことがうかがえます。 解説もたくさんあり、200年前のイギリスの風俗を垣間見るのも楽しみな一冊。 →Amazon「ジェイン・オースティンの手紙 (岩波文庫)」 |
▼関連書籍
「ジェイン・オースティン ファッション」ぺネロープ・バード 著/能澤慧子 監訳/杉浦悦子 訳(テクノレヴュー)
オースティンを読んでいて、生き生きとした登場人物たちの姿を思い描くとき、でも200年前のイギリスの服装って、どんな??と悩むことがしばしば。
まあ正確に細かいことはわからなくとも、オースティンの小説は十分面白いのですけど、当時の風俗に興味をおぼえた方(それはわたしです)には、この本は参考になります。 ジェイン・オースティンが生きた時代の服飾文化について、オースティンの作品や書簡をひいて解説した一冊。 「ファッション・プレート」と呼ばれる、当時、流行を雑誌で紹介するために描かれた版画が、カラーで34枚収録されており、目にも楽しくわかりやすい。 また、この本やオースティンの小説に出てくるテキスタイル・ファッション用語の解説があり、モスリンとポプリンの違いがわかって、なるほど〜と思ったりして。 『若草物語』や『赤毛のアン』を読んでいても、モスリンってどんな生地なんだろうと思っていたので、よくわかって嬉しい。 オースティンが刺繍したモスリンのスカーフや、書簡に登場する弟チャールズが姉ジェインとキャサンドラに贈ったトパーズの十字架の写真などが掲載されているのも、ファンには興味津々。 チャールズが贈ったトパーズの十字架は、『マンスフィールド・パーク』のファニーの琥珀の十字架のアイデアになったとも言われるので、小説世界を想像するための助けになります。 あと、ちくま文庫『分別と多感』『エマ』『説得』の雰囲気たっぶりのカバーは、この本にも収録されている「ファッション・プレート」が使われていたことがわかり、ますます楽しい(^-^) 『エマ』の下巻の表紙なんか、とってもかわいい!と思っていたから。(左の表紙画像です。『ジェイン・オースティン ファッション』には、こういう「ファッション・プレート」が多数収録されており、身に着けているものについての、詳しい解説もついてます) オースティンの世界にどっぶりひたりながら、いつの世も変わらぬ女性のファッションへの関心の高さに、共感することしきりです。 →Amazon「ジェイン・オースティン ファッション」 |
「ジェイン・オースティン料理読本」マギー・ブラック,ディアドレ・ル・フェイ 著/中尾真理 訳(晶文社)
オースティン関連本、今度はお料理について。
オースティンが生きた、200年前のイギリスの生活で、服装とともに気になったのが料理です。 オースティンの小説は、食べ物に関する描写はあまり多くはないのだけれど、”ディナーに招かれる”という場面はよく出てくるし、そこでいったいどんなものが食されていたのか、知りたくなりました。 『ジェイン・オースティン料理読本』は、200年前のイギリスのレシピと、それを現代版にアレンジしたレシピを併記した、ユニークな料理本。 当時のレシピは、ジェインと姉キャサンドラの友人で、チョートン時代はジェイン母娘とともに暮らしていた、マーサ・ロイドのレシピ・ノートからとられたもの。 『ジェイン・オースティンの手紙』でも、マーサ・ロイドの名はよく登場しますし、ジェインがマーサに宛てた手紙もいくつか収録されています。マーサのレシピは、オースティン家の食卓の様子、200年前のイギリスの食生活を伝えてくれるものなのです。 この本では、最初の50ページほどで、「オースティンの時代の社交と暮らし」「作品と手紙にみる食卓」「マーサ・ロイドのレシピ・ノート」として、当時の食習慣について、オースティンの作品や書簡などをひきながら解説してくれていて、これが興味深いです。 以降はレシピ集で、現代のレシピ本とは違って完成写真などは載っていません。ですが、当時のレシピは現代のレシピとは違って、文章で「おっとりと」書かれていて面白いです。社交が盛んだった時代のこと、華やかに見える盛り付けの工夫などが随所に記されています。 この当時のレシピを再現するにはということで、材料や分量をわかりやすく示した現代版レシピが併記されているので、こちらも参考になります。 現代のそれとはかなり異なる当時の食卓の風景を知れば、オースティン作品がさらに面白く読めること間違いなしです。 →Amazon「ジェイン・オースティン料理読本」 |
「図説ジェイン・オースティン」シリーズ作家の生涯ディアドリー・ル・フェイ 著/川成 洋 監訳/太田美智子 訳
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