■読書日記(2006年8月)


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2006年08月27日

平出 隆 著『ウィリアム・ブレイクのバット』

2006年08月19日

イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』

2006年08月13日

吉田篤弘・坂本真典『十字路のあるところ』

2006年08月06日

平出 隆 著『葉書でドナルド・エヴァンズに』



「ウィリアム・ブレイクのバット」

平出 隆 著(幻戯書房)
2006/08/27

いろいろな雑誌に数年にわたって発表された、詩人・平出 隆氏によるエッセイを、一冊にまとめた本。
「葉書でドナルド・エヴァンズに」について書かれた「glad day」、著者の愛する野球について芸術という切り口から語った「ball, bat & art」、42歳を過ぎての運転教習にまつわる話「kafka's drive」の、3章構成になっています。
「葉書でドナルド・エヴァンズに」は、完成された詩的な世界だと感じましたが、こちらは、親しみやすく肩のこらない読み物という印象。 しかしこれが、かなり凝った体裁の一冊になっているのです。

まず装幀が綺麗。
白いカバーをはずすと渋い緑の表紙、カバーの真ん中に、ビール瓶のラベルのように本のタイトルと著者の名前がレイアウトされています。 「ウィリアム・ブレイクのバット」の絵も配置されているのが素敵です。
次に、収録されている図版の数々。
ドナルド・エヴァンズの切手が貼られた絵葉書の体裁になっている図版のページが、けっこうたくさんあって、著者が撮った写真や、ウィリアム・ブレイク、ラウル・デュフィなどの絵が、 しゃれた感じにレイアウトされています。

そして何より、詩人の書くエッセイというものの素晴らしさ。
とくに印象深かったのが、「ball, bat & art」の章です。
著者のこよなく愛する野球。けれどもわたしは野球にこれといって興味はなく、ページを繰る前は、面白く読めるものなのかな? などと思っていたのですが、これは杞憂でした。
野球を愛する詩人は、ベースボールを芸術や美学、詩学ともいうべき切り口から語りなおし、スポーツとしての野球に興味のない読者をも、ひきつけてしまうのです。
たとえば表題にもなっている「ウィリアム・ブレイクのバット」について。
ウィリアム・ブレイクといえば、詩人でもあり挿絵画家でもあった人物。独自の神秘思想を展開し、「無垢の歌」「経験の歌」などを著した芸術家だということは有名ですが、はたしてベースボールとどのような関係が?
著者は野球を愛するあまり、打撃の道具にひかれ、さらに古今の美術作品の中に、その種の図像を見つけては過敏に反応してしまうのだといいます。 著者が見つけた「ウィリアム・ブレイクのバット」とは、ブレイクの詩集『無垢の歌』のなかの「こだまする緑の原」という詩に、ブレイク自身が添えた図版。この図版の中に、バットを持った少年が描かれているのです。
ブレイクの絵にエヴァンズの切手が配された図版とともに、著者はブレイクとベースボールについて、難解にならない程度に語り聞かせてくれます。
これがとても面白いのです。野球をこんな視点から見たことはなかったし、ブレイクのみならず、さまざまなアートとからめて語られるベースボールは、神話のように魅力的です。

こんなふうに感じられるのは、詩人の文章に、純粋な喜びがにじみ出ているから。
けっして理屈っぽくなく、小難しくなく、ただただ野球が好きで、芸術が好き、それだけという印象なのです。
知識をひけらかすような感じ、わざとアカデミックに書いているという感じが少しもせず、読んでいてほんとうに純粋に面白いのです。
知識をたくさん持っていて、芸術に造詣が深くて、その上で、こんなふうに素人にでも語りかけられる人というのは、稀有なのではないか、と思えました。
平出氏は大学で講義もされているとのこと、こんな先生に教わってみたかったなあ、などとも考えてしまいました。

誰でも気軽に読めるエッセイだからこそ、詩人ならではの言語感覚の鋭さや、風景の切りとり方、その手並みの鮮やかさに、はっとさせられる一冊。
ユーモアもたっぷりで、気取りのない著者の人柄も感じられ、とても楽しい読書体験になりました。

→「平出 隆の本」はこちら

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「見えない都市」

I・カルヴィーノ 著/米川良訳夫 (河出文庫)
2006/08/19

ヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロが、皇帝フビライ汗の寵臣となり、さまざまな空想都市についての不思議な報告を、延々と物語る幻想小説。
現代イタリア文学を代表する作家カルヴィーノが、「東方見聞録」を下敷きに、まったく独自の世界を描き出しています。
わたしは、カルヴィーノについてよく知っていたわけではなく、「見えない都市」というタイトルと、空想都市について物語るという趣向にひかれ、この本を手にとりました。

ただ読んでみると、これがなんというか実験的な小説で、よく理解できない部分がありました。
たとえば、物語の構成。訳者あとがきによると、この作品は「千一夜物語」のような<枠>物語として構成されているとのこと。 マルコ・ポーロとフビライ汗の対話の部分が<枠>であり、空想都市の報告の部分が物語の<中身>になっています。
この<中身>の部分、五十五篇ある都市の見聞録それぞれにタイトルがあるのですが、タイトルに付された数字は、順番に並んでいません。 といって、まったくでたらめに並んでいるわけでもないらしく、訳者あとがきには数字の並び方について詳しい記述があります。 でも、一般の読者には、何のことやら…という感じ。
さらに、マルコ・ポーロとフビライ汗の対話にしても、はっきり言葉で交わされたものではなく、意識の交流とでもいうようなもので…これまた、読者がとまどいを覚える要素かもしれません。
対話の内容が、哲学的で禅問答のようなものなので、なおさら???という印象なのです。

まあ、難しいことは考えず、 「私の話に耳傾けるものは、自分の待ち望んでいる言葉のみを受け止めるのでございます」 との作中のマルコ・ポーロの言葉どおり、わたしが受け止めた五十五の見聞録の印象について書くことにします。
わたしが感じたのは、これらの物語は、けっして「見えない都市」を描いたのではなく、 いまここにある都市の姿を、五十五に解体して語ったものなのかな、ということです。
カルヴィーノの「見えない都市」は、たとえばダンセイニの描いた空想都市のように、この世界の彼方へ誘うものではなく、いやおうなく現実の都市へと読者の目を向けさせてしまうものなのです。

都市論・文明論的な観点からではカルヴィーノ文学の核心にせまれない、と訳者あとがきにありましたが、それにしてもここに描かれた都市の姿は、 まったく奇妙なようでいて、なんとよくわたしたちの住む都市に似ていることでしょう。
瑪瑙や翡翠や玉髄が売り買いされ、美味な食物と美しい女のいる都市アナスタジア。欲望の都市で働く、欲望の奴隷にすぎない人間たち。
水道管だけが無数に、四方にのびてからみあうパイプの森の中で、女性の湯浴みする姿や髪を梳る様子だけが見えるアルミッラの都市。
日々新しい資材で新しい品物がつくり出され、それとひきかえに膨大な量の廃棄物が城外にどこまでも拡がり、膨張してゆく都市レオーニア…。
このレオーニアのくだりでは、現代の都市の…間違いなく日本のあらゆる都市の、あまりに克明な写し絵に、ちょっと怖くなりました。

五十五の都市の見聞録は、敬語で訳されており、美しい言葉が使われているだけに、現代都市への恐ろしい啓示のよう。
どれほど写実的に現実の都市を書いたとしても、この作品ほど、現代文明の抱える病理を、あぶりだすことはできないのではないかと思いました。
また読み終えてみれば、都市の報告だけでなく、物語の<枠>の部分、マルコ・ポーロとフビライ汗の哲学的な対話の中にも、なるほどと考えさせられるくだりも多くありました。
起承転結のあるストーリーを追っていく作品ではないので、難解な部分にはこだわらず、気の向くページを拾い読みするのでも、十分楽しめるのではないでしょうか。

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「十字路のあるところ」

吉田篤弘 文/坂本真典 写真(朝日新聞社)
2006/08/13

<水>に導かれ、物語を書くために訪れた街で、作家がめぐりあった雨にまつわる出来事「雨を聴いた家」。
大きな壁にうつる絵のような影に惹かれて、壁のある街に住み着いた画家の青年の、ほのかな恋をつづった「水晶萬年筆」。
坂の上のレストランに向かう途中、住み慣れたはずの街の中で迷子になってしまう、ある研究者と弟子の会話が面白い「ティファニーまで」。
夜を愛するファンファーレ専門の作曲家と、彼を師と仰ぐ青年の、夜をめぐる物語「黒砂糖」。
アシャ<鴉射>という綽名を自らにつけた男が、アパートの部屋の天井裏から一丁のピストルを見つける話「アシャとピストル」。
隠居した怪盗ルパンを名乗る男と、彼を師匠と呼んで慕う推理小説好きの大学生との交流を描く「ルパンの片眼鏡」。

「小説トリッパー」の連載に、加筆・修正を施して単行本化した一冊。
クラフト・エヴィング商會の物語作家、吉田篤弘氏がつづる文章と、写真家、坂本真典氏が撮った実在の街の風景とで、 六つのやさしい物語絵巻を織り上げています。
吉田篤弘氏の物語の素晴らしさは、いつも、ほっこりとあたたかみのあること。
そして、日常にまぎれこんでいる、ささやかな物語=異界の断片を、何でもないもののように拾い上げ、手にひらに載せて、ほら、と見せてくれること。
この本では、物語に坂本真典氏の写真が織り込まれることで、現実と非現実とがまじりあう、独特の雰囲気がひろがっています。

わたしが好きだったのは、住み慣れたはずの街の中で、「道草にからめとられて」迷子になってしまう話「ティファニーまで」。 暮らしている街でも、ちょっと道草して、いつもと違う道をたどれば、もう知らない街を旅しているかのような気分になること、ありますよね。
この一篇に添えられた坂本氏の写真、街の中の、路地のつきあたりのブロック塀に、なぜか取り付けられた白いドア。 間違いなく、別世界へのドアに見えてしまいます。

それから「黒砂糖」の、夜を愛するファンファーレ専門の作曲家、伊吹先生が主張する「見えない森」。
アスファルトの裂け目、コンクリート塀の隙間から伸びる雑草。それを見て先生は言います―「この中に森がある」。
わたしも、建物がとりこわされて更地になったところに、数日で雑草が育つのを目にするたび、「このままずーっと放っておいたら、ここは森になるんだろうなあ」なんて思っていたので、まったく先生の言葉に共感です。

あとは、この本を締めくくる「ルパンの片眼鏡」。これは、隠居した怪盗ルパンが、かっこいい、の一言につきます。
推理小説好きの大学生の青年との出会いが、滑稽ながら素敵。路地の水溜りにうずくまり、落としたコンタクト・レンズを探していたルパンと、そのとき彼に声をかけた青年。 振り向いたルパンの左右の目の色が違っていて…つまり彼は片方のカラー・コンタクトを失くしてしまったわけです。以来ルパンは青年を「俺の片目」と呼ぶようになります。
ルブランの生み出したルパンのトレードマーク「片眼鏡」が、片方だけ失くしたコンタクト、そのために色違いになった瞳であらわされているところが、しゃれているなと思いました。

吉田浩美・吉田篤弘の両氏による装幀は、カバーが透け感のある白で、表紙のうすい緑色がかすかに透けて見えるようになっています。 タイトルの文字も、オビも、あそび紙も、しおり紐も緑系統で統一。
内容と調和した、渋い体裁の一冊になっています。

→クラフト・エヴィング商會の本の紹介はこちら

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「葉書でドナルド・エヴァンズに」

平出 隆 著(作品社)
2006/08/06

真っ白な表紙カバー。まんなかにぽつんと、青っぽい、一枚の四角い切手。その下に、銀色に箔押しされたタイトルと、著者の名前。
そして帯に、こんな言葉。
  架空の切手の、
 架空の国への、
ほんとうの旅
ぱっと見た感じでは、実にそっけない佇まい。この本は読んでみて初めてその真価がわかる、素晴らしい一冊です。

著者の平出 隆氏は、現代日本の詩壇を代表する詩人。
ドナルド・エヴァンズというのは、切手に魅せられるあまり架空の切手を描くようになり、やがて架空の切手を発行する架空の国、その国の通貨、国旗、紋章、宗教まで創造した、夭折の画家。
そんな画家、現実にいたのだろうか? と思わせますが、どうも、いたようです。
平出氏は、この画家につよく憧れ、彼の足跡をたどる旅に出て、旅の途上、「葉書でドナルド・エヴァンズに」、短い日記を送りつづけます。 その葉書を一冊にまとめたものが、この本、という次第。
詩人が、今は亡き風変わりな画家にあてて発信した葉書。もちろん、画家の手になる架空の切手を貼って。
なんて素敵な趣向でしょう。
わたしははじめ、ドナルド・エヴァンズの切手の図版がたくさん載っていることを期待して、この本を手にとったのでしたが、図版のページは、ほんのわずか。
あとは文章ばかりで、ちょっとがっかりしながら読み始めたのでしたが、がっかりしたなんて、詩人の選び抜いた言葉に対して、失礼でした。

余白の白さが目立つ本文。まさにこの余白にこそ意味があって、白い空間の静謐が、ひとつ葉書を読むたびに、次へ次へとページを繰らせるのではなく、少しの間、立ち止まらせてくれるのです。
そうしてその少しの間に、エヴァンズの創り出した、切手の向こう側の世界に、思いをはせることができるのです。
読み終えたときには、詩人と一緒に、架空の国を旅した気分に浸れます。詩人の文章の、この素晴らしさ。

最後、エヴァンズが行こうとして行けなかったランディ島、独自の切手を発行する「世界からまったく離れた世界」へと、詩人が船で渡り、そこで偶然、日没の瞬間まれにしか見られないという、 緑閃光を目にする場面など、ほんとうに完成された詩的な世界と感じました。

ドナルド・エヴァンズの描いた、架空の切手。
それは架空の世界を覗き見るための、ちいさな窓。
まだまだエヴァンズの世界も、平出氏のことも、理解したわけではないけれど、この本の中に閉じ込められた空気、その清々しさ、その静けさに、とても心惹かれます。
さようなら、ドナルド。ぼくはいま旅立ったところだ。世界へ、世界から。すべてはまるで違っていて、親しいドナルド、ぼくにもすべてがあたらしい。

「葉書でドナルド・エヴァンズに」より

→「平出 隆の本」はこちら

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